760(mmHg)÷3×4=1,013(hpa)


愛別町にある石北本線、安足間(あんたろま)駅である。
2面2線の相対式ホームがあるが、
列車集中制御装置により列車はすべて一番ホームに停車する。 安足間駅


愛山渓温泉に向かって安足間川沿いを登る。
愛山渓温泉は明治末期に熊追い猟師が発見し、
道井温泉として原生林深くに誕生した。 愛山渓温泉


10月初旬、安足間川の紅葉である。
愛山渓温泉はその後、大雪山国定公園の指定機運と共に、
昭和11年(1936)、自動車道整備が行われ広く知れることとなった。 安足間川


原生林の中を進む。
やがて愛山渓温泉は大雪山縦走の基地として、
上川町の秘湯の一つとなる。 原生林


愛山米飯(ペーパン)林道の分岐である。
舗装道路を南下すれば愛山渓温泉。
鉱山跡へは分岐した林道を進む。 愛山米飯林道


付近の林道地図を見ると、
このまま進めば ペーパン水銀鉱山 まで峠越えができそうだ。
しかし林道は通行止め、鉱山跡までの7qは徒歩となる。 看板


落ち葉の林道を進む。
第二次大戦中に企業によって若干の開発は行われた鉱山だが、
昭和30年(1955)から イトムカ鉱山の母体により再開発される 。 林道



延々と静かな林道が続く。
昭和30年から水準坑の掘進を進め、
115m樋をはじめとする数条の坑道にて探鉱を行った。 グラベル


途中の砂防ダムには立ち枯れた木々が残る。
旭一坑、旭二坑などを掘進し、
最盛期の昭和33年(1958)頃には従業員40名程度で採鉱した。 砂防ダム


対岸には露頭のような岩肌が露出した場所もある。
品位0.3%の粗鉱300t/月の生産を上げ 、
鉱石はトラックで イトムカ鉱山 へ送鉱したという。 露頭


2時間弱の徒歩で鉱山跡付近だ。
年間粗鉱量3,585tに対して、水銀製品は12.7tという生産量だった。
昭和37年(1962)休山、現在に至る。 鉱山跡


林道奥に穏やかな平場がある。ここが鉱山事務所跡だ。
話が飛躍するが、過去の天気予報で使用されていた気圧の単位、
これはミリバール(mb)である。。 平場


奥は明らかに植生が疎らで恐らく建物があったようだ。
この(mb)は昭和48年(1973)に国際標準化機構(ISO)の圧力単位の変更に合わせて、
世界気象機関(WHO)が後にヘクトパスカル(hpa)に変更、
日本では平成4年(1992)に(mb)→(hpa)へと統一された。 荒地


人口の築堤のような一角もある。
台風の規模などを示す1mbだが、これは=1hPaのため単位だけの変更のように見えるものの、
1気圧は4/3mbであるので、1,013mbとなる。つまり1,013hpaとなる。 築堤


夥しい汚泥が流れる場所が恐らく旭一坑付近だ。
今でも血圧の単位はミリメートルエイチジー(mmHg)が使用されるが、
かつての気圧の単位(mmHg)の中の(Hg)は水銀の元素記号である。 旭一坑


藪の中で坑口を探索するが、すでに埋没したようだ。
水銀を満たした容器に逆に向けた真空のガラス管を差し込むと、
水銀は760oの高さまでガラス管内を上昇、これは容器内の水銀が大気を押す力、
つまりこれが大気圧であると言える。 坑口


沢の岩礁は独特の形状だ。
水銀は常温の液体金属で、水の13.6倍の密度(同体積の水より13.6倍重い)を持つため、
コンパクトに計測できたということとなる。 シキシマ沢



沢を登り、旭二坑を探す。
この760oを大気圧と規定、換算するには、
1気圧760(mmHg)÷3×4=1,013(hpa)となる。 軌道跡


河川敷の岩盤には、蛇が這ったような溝ができている。
これは甌穴のように、積年の砂利が少しずつ水流で削った、
自然の造形だ。 ポットホール


旭二坑、坑口議定地に到達したが、
こちらも一坑同様、残念ながら、
坑口の発見には至らなかった。 坑口


今回は明確な遺構には到達できず、平場や汚泥の発見に留まってしまった。
辛うじての痕跡の発見と共に、
何も残留していなかったという事実が確認できた。 紅葉







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