浦幌炭鉱跡  探検: 北の細道 浦幌炭鉱

浦幌炭鉱で温泉の流れる坑口に会う



北海道浦幌町

   石炭は約3,000年前に中国で初めて発見されたとされている。
日本では足利時代に九州筑後、三池で農民が「燃える石」を発見したことが記録されている。

北海道の最古の記録は天明元年(1781)に松前誌に「タキイシ」として、
東部「クスリ」(=釧路)より出づとある。

徳川幕府が安政二年にアメリカと神奈川条約を締結し、箱館に入港する外国船の燃料として、
石炭の要求を迫られたのち、白糠炭山の開発と続いて、 茅沼炭山の開坑が進むこととなる。


浦幌炭鉱は大正2年(1913)、常室(トコムロ)・留真(ルシン)・毛無の三坑にて開坑する。
第一次大戦後、大正10年に一旦休山、その後、双運坑の開発に着手するが、成功せず、
隣接する尺別炭鉱の姉妹鉱として開発された。

昭和12年(1935)には尺別炭山直通の索道輸送が開始され、
出炭量は二万t台から一気に十万t台に増加する。

昭和16年(1941)には大平坑の開発と並行して、尺浦隧道(しゃくほずいどう)の開削が進み、
浴場・病院・職員クラブ・協和会館(映画館)・小学校などが併設され、
3,600人、730戸の暮らす一大市街地となった。

しかしながら昭和19年の政府による非常増産緊急措置により一旦休山、
職員は九州に配置転換なるも、昭和21年に再復興する。
ところが朝鮮戦争の終息とともに、全国の貯炭が増加し、
昭和29年(1954)10月、従業員384名を残し閉山を迎える。

忽然と消えた山中の街、炭鉱施設や福利厚生施設、
入手した昭和23年の炭山市街地地図を持って、
現地を歩いてみよう。








落書き・温泉・オニヤンマ・・・



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