国策による閉山



十勝の最東端に位置する浦幌町は、
海洋の影響で夏季には濃霧に覆われることもあるが、
地形は緩やかで、東西幅の倍の南北距離がある狭長な街である。 浦幌


浦幌川に沿って、道々を遡る。
常室の集落からは、常室川に沿って進む。
夏の終わりの農村を進む。 道々500


途中には立ち枯れた木々の森がある。
増水した池の湖面にシルエットが映っている。
炭鉱跡はさらに奥だ。 立ち枯れ


常室川はいよいよ狭くなり、
ここにはオニヤンマやトンボがたくさん飛んでいる。
水はどこまでも澄んでおり、通る車両は全くない。 常室川


少し進むと旧栄町付近に炭住アパート3棟がある。
ブロックとモルタル造りのようだ。
内部を確認してみよう。 炭住


第二次大戦終戦後、一時休山していた浦幌炭鉱であったが、
昭和24年には鉱夫数が戦前の状態に戻ったという。
モルタル製の炭住は劣化が激しい状態だ。 炭住




内部は柱が辛うじて残っている。
酒瓶やコップ、当時の残留物が多少ある。
生活の痕跡を見てみよう。 炭住


昭和30年当時の少女雑誌「マーガレット」の断片だ。
マーガレット少女は人気者の常識人。常識テスト「あなたはいくつできる?」
彼女は現在恐らく70歳ぐらいだろうか。 マーガレット


当時のアニメキャラクタらしき転写型のシールが、
柱に張ってある。
中学校の増設もあったようで、多数の子供も生活していたようだ。 シール




木製の窓枠から別棟を見渡す。
長年の積雪で木材の劣化は激しい。
いつまでこの風景が見られるだろう。 窓枠




2階からは更に眺めがいい。
蜂の巣や天井からのコンクリート鍾乳石。
自然に還る様子と、劣化の風景が物悲しい。 炭住街


3棟とも劣化の度合いは変わらない。
昭和19年の国策による一次休山では、1,000名の鉱夫たちが、
妻子をこの地に残して、九州の炭鉱へ送還された。 炭住街


当時の鉱区図を見ていただこう。
上右が尺別に通じる尺浦隧道、中央上に大平坑、下に双運坑、左に留真坑。
大正10年休山までは留真(ケナシ)坑、昭和7年以降、双運・大平坑の出鉱となる。 地図


この90度カーブの奥がかつての製綿工場付近。
現在は何もない。
730戸の街には何でもそろっていたようだ。 製綿工場


共同浴場付近も痕跡はなく、
現在はただの森だ。
労働者には僻地手当も支給されていたそうだ。 共同浴場


この橋の手前が協和会館という集会施設の跡だ。
現在は何もないが、毎日、映画の上映が行われたという。
芝居も多数演舞され、非常に盛況だったようだ。(マウスon)


東町、協和町、相生町を過ぎるが、その痕跡は皆無だ。
健保会館兼体育館・購買会・精米所などがあったようだが、
この山中に商店街やその暮らしがあったとは想像できない。 協和町


常室川の対岸には小学校、そして独身寮「双運寮」があった。
浦幌炭鉱小学校に続いて、
中学校、高校の炭鉱分校も設けられた。 小学校


復興記念碑 と昭和19年 浦幌炭鉱国民学校卒業生の碑だ。
最初の炭山市街地は双運坑を中心としていたが、
やがて川上の大平坑方面へ伸びていった。 碑


ここは山神社の痕跡だ。
昭和26年には大きな出水事故が発生、
地底540m、犠牲者5名の死亡事故であった。 神社


そして病院の廃祉だ。
危険な坑内作業に従事していた労働者のための施設だ。
3,600名の住む街にはかなりの規模の病院があってもおかしくない。 病院跡


これは玄関基礎と洗面所のタイル部分だ。
昭和26年からでも年間1〜8名の罹災者が出ている。
マウスonは砿山病院と称された当時の様子だ。


これは炭鉱病院のボイラー跡だ。
当時は「気缶」と呼ばれた装置だ。
煉瓦は立派に残存する。 ボイラー跡


建物の基礎は厚く苔むしている。
炭山市街地は道有林のため、閉山後借用地返還の際に、
完全に取り壊されたようだが、この一帯だけは免れたようだ。 苔


常室川をさらに遡ると対岸に橋台が現れた。
これは石炭運搬用の索道ケーブルの橋脚跡だ。
この対面を追ってみよう。 橋台


大きくえぐれた斜面を登っていくと、
そこには隧道が現れた。
接近してみよう。 隧道


昭和17年完成の尺浦(しゃくほ)隧道である。
わずか2年半後に休山、昭和29年の閉山後は
1年間だけここから尺別への通勤に利用されたという。(マウスon)


内部は数mで埋没している。
ここから約5qで尺別炭鉱である。
途中には 「明かり区間」トンネルが一時地上に露出する区間 がある。 尺浦隧道


大平坑方面へソウウンベツ川を遡る。
如何にもの人工の切通しの上部には、
索道の橋台らしき遺構がある。 橋台


更に進むと選炭施設の廃祉がある。
51o以上の大塊、19〜51oの中塊、19o以下の粉塊に分離するための
施設のようだ。 選炭


小さなトンネルがあり、
内部には枕木がある。
インクラインのようにトロッコで原炭を運搬したようだ。 選炭


手選された原炭はバースクリーンでふるいに掛けられる。
網目の大きさを徐々に小さくすることで、
原炭の粒度を選別するのである。 選炭


ソウウンベツ川上流域の対岸には、
人工物であるRC製の遺構がある。
大平坑とも方向が異なり、謎の遺構だ。 選炭


常室川を遡ると、そこには坑口が現れた。
木材で封鎖されたこの坑道は、
排気坑だ。 排気坑


ここは斜坑となっており、
内部に行くに従い、下っている。
奥は十数mで水没し、地底湖となっている。 排気坑


すぐ上流にはもう一つの坑口がある。
これは通風坑で白濁した温泉水が流れ出ている。
湯の花の浮いた鉱泉は硫黄臭が激しい。 通風坑


鉱泉の温度は14.2℃と冷泉である。
周囲には紫や赤い苔が生えており、
不思議な光景だ。 温度


それでは坑道内に突入してみよう。
ここも斜坑で段々深くなっていく。
足元に要注意だ。 坑口




数m進むと一気に深くなる。
鉱泉は澄んでおり、
内部から湧き出しているのがよくわかる。 水没


国内炭の需要が減少すると、産炭地域では大量の貯炭が増加した。
中小炭鉱は相次いで閉山となる中、
浦幌坑においても昭和29年、雄別・茂尻・尺別への人員転換とともに閉山を迎える。 水没







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坑口
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