ズリ山の扉




渡島半島の北部に位置する八雲町は、
日本海と噴火湾に挟まれた、
農業・漁業とも盛んな街だ。 八雲町

八雲温泉方向へ向かうと、
土砂流出防備保安林の看板があり、
そこには明確に「鉱山跡」の文字が・・・。


付近の鉛川左岸には黄渇色の石灰華が堆積している。
温泉から更に遡る。 石灰華


川沿いの林道を遡ると、
廃橋が現れる。
軌道跡なのかもしれないが向こう岸には道が無い。 廃橋


林道脇からも鉱泉が湧き、
赤い沢が道路へ流れる。
水は生温く冷泉だ。 鉱泉


鉛川を渡った四号鉱床付近に残る坑口。
大きな坑口からは、ここも鉱泉が流れ出る。 坑口


かつての鉱山事務所付近に残存する、
郵便局跡は現在も山小屋として再利用される。
この奥の沢を遡る。 おぼこ山荘


山荘の裏手にはズリ山がある。
伊達の美園鉱山のような、
小さなズリ山だ。 ズリ山"


沢を少し登ると、
中央に何やら円錐の遺構が見える。 4号坑


四号坑付近に到達した。
坑口の記述があるが・・・。 四号坑


円錐の帽子は水利施設の遺構のようだ。
この沢の左岸の坑口を探索する。 水利施設


怪しい斜面を登る。
間違いなくこの付近が坑口だ。 坑口


斜面上部にはレイルが突き出している。
しかも2条で軌間は510mm。
レイル高は50mm程度で9kgf級だ。 レール


ここが埋没した四号坑で間違いない。
しかし坑口は完全埋没している。


鉛川を遡上する。
右岸には鉱山道路のような廃道があるが、
目指す「万歳坑」は左岸だ。 鉛川


付近には遺構が点在する。
標高270m付近の万歳坑まであと少しだ。
鉛川


少し登攀して発見した、
万歳坑は埋没し、その全容は解らなかった。
次に目指すは五号坑だ。 万歳坑


万歳坑の下部には大きな廃橋が横たわる。
かつての積出のための軌道跡だろうか。 万歳坑


廃橋はアングルで組まれたトラス橋。
高さから言って大きなモーメントが係るようで、
鉱石を満載したトロッコが渡ったのかもしれない。 トラス


右岸の五号坑付近にも多数の遺構が残存する。
下流から鉛川(金堀沢)にそそぐ沢の名称を、
1号沢、2号沢・・・と名付けたようだ。 五号坑


五号坑は残念ながら発見に至らなかった。
熊笹の茂る斜面が残るのみだった。 五号坑


右岸に辛うじて残る鉱山道路を登る。
このまま沢が二股に分岐する所まで遡上する。 鉱山道路


拾号沢との分岐には、かつて大きな橋梁が掛っていた。
ここにはピアの跡が残り、
水没して渡渉する。 拾号沢


分岐から南の沢へ入ると八号坑。
北に進むと精錬所方面だ。
まずは南の拾号沢を渡渉する。 分岐


ここからは険しく注意して登る。
残雪の滝を遡り、
坑口を探索する。 滝


そして現れたのが八号坑。
滝の滴る斜面に辛うじて見える支保工。
坑口も見える。 八号坑


坑門は数十センチしか開いておらず、
内部は窺い知れない。
突入してみる。 坑門


入坑するにはギリギリのサイズだ。
ブヨが多く一気に数ヶ所刺されてしまった。
埋没した土砂を掻き分け更に潜る。 入坑


入坑した八号坑だ。
かなり埋没しており高さが無い。
水没もしているが少し進んでみよう。 八号坑


足元は汚泥で一気に深く潜る。
水深も膝まで来た。
おまけに天井は低く、屈んで進むこととなる。 坑道


十数m進むと泥がひどく、
足が抜けず、水深も限界まで来た。
奥は続いているが、ここで限界とする。 坑内


再びピアの残る分岐点まで下り、
今度は鉛川に沿った金堀沢を遡上する。
目指すは精錬所だ。あたりには遺構が多数残存する。 金堀沢


途中には木製の枡がある。
遺構が増え、
いよいよ本丸に接近する。 枡


そしてトロッコの車輪である。
抜き勾配のついた、
重厚な鋳物だ。 枡


頭上には軌道の橋梁が現れた。
これを潜り、
更に遡上する。 橋梁


更に登ると、巨大なズリ山が出現した。
石垣や埋没したレイルが残存している。
しかしこのズリは焙焼後のものだ・・・ということは。 ズリ山


焙焼炉である。
かつてのマンガン鉱時代に、
品位向上のために運用されたのだろう。 焙焼炉


3基並列した焙焼炉は、
上国鉱山程の規模ではないが、
その到達の難度により、より重厚に見える。 焙焼炉


RCの劣化は著しいが、
800℃以上の高温に晒されてきたにも拘らず
さほど崩れずに残存している。 焙焼炉


内部は上国と同様、煉瓦製だ。
一工程で70時間も焼き入れる事を考えると、
よく煉瓦は残ったものだ。 煉瓦


焙焼炉の脇から広大なズリ山を登る。
上部から堆積したズリ山は、
崩れやすく、そして急角度だ。 ズリ山


焙焼炉の先端と同高度に来た。
下にも大きな設備跡の遺構があったので、
おそらく索道にてズリを引き上げたのだろう。 先端


焙焼炉の突端に登り下部を覗く。
かなりの高さだが、
千鳥に組まれた煉瓦が繋がる。 焙焼炉


広大なズリ山をトラバースすると、
その向こうには鉱泉の滝が見える。
これは廃坑の原風景だ。 原風景


ズリ山から見下ろす鉱山跡。
並んだ焙焼炉の向こうに滝と、
そこから続く、遡ってきた金堀沢。 廃坑跡


ズリ山の頂上には、
レイルなどの索道跡が残存する。
再び下って、今度は大切坑方面を目指す。 索道跡


遺構の残る金掘沢を再度遡る。
坑口の記述は他にも多数あるが、
見落としたり、未発見のものもあるようだ。 金堀沢


斜面に亀裂のような穴があり、
どうやら坑口のようだ。
接近して確認してみる。 大切坑


坑口はほとんど岩の裂け目だが、
大切坑で間違いない。
八号坑と同様に深い泥で水没し入坑はできない。 大切坑


更に金堀沢を遡る。
相変わらず河床には、
配管や焼滓が多数眠っている。 金堀沢


やがていよいよ選鉱所に到達した。
国富鉱山程の規模がある。
まず鉱石はすべて新坑を経て選鉱所最下段に集約される。 選鉱所


選鉱所内部にある最下段の新坑坑口だ。
低品位鉱貯鉱場は選鉱所脇にあり、
良好な部分と廃石部分にまず分離する。 坑道


マンガン鉱、雑鉱、粉鉱等などを鉱車に受けて、
このトンネル部分で選鉱場を縦断する。
沿って奥へ進む。 洞内


選鉱所内を出た鉱石は 「インクライン」勾配斜面にレールを敷設し、巻上機等で台車を動かして貨物を運搬する装置 により、
最上段の木造30t貯鉱舎に運ばれる。
その巻上機は複胴式40馬力のものだ。 坑道


上段に行くに従って遺構は荒れ放題となる。
最上段では 「チップラ装置」鉱車(トロッコ)から積載物を降ろすために、鉱車ごと転回させる装置 により、貯鉱舎に鉱石が投入、
200o 「グリズリ」ある角度を持った固定式のふるい器 により分別後、今度は50t鉄筋コンクリート製貯鉱舎に入る。 溶錬


選鉱所は数段の構成で、50t貯鉱舎下部から50o格子目によってふるいがかけられ、
砕かれたものは20馬力の 「ブレーキクラッシャ」粗砕用破砕機。二つの鋼製爪ではさみ、圧縮衝撃にて鉱石を破砕する装置 にて細分化される。
ふるいを通過しなかった中塊は50oのグリズリで再処理される。 選鉱所


上段まで続く選鉱所。
更に細かく破砕された鉱石は、 ウオッシング 「トロンメル」孔あき鉄板の傾いた筒を電動で回転させて、鉱石の粒の大きさにより分離する装置 にて洗浄・中砕される。
これは5馬力、直径φ1m×長さ3mのもので、その後コンベヤ上で手選される。 選鉱所


処理後の鉱石は 「フィーダー」振動を用いて、部材を送給する装置 にて均等量がベルトコンベヤ上に排出される。
その後、直径φ1.4mの 「ボールミル」鋼球と鉱石を円筒内で回転させ、その衝突で粉砕する装置 で磨鉱工程に入る。
これはOH型 「ドル分級機」流体中で固体の沈降速度の違いを用いて分類する選別器 に直結しており、ここで固形部分を分離する。 磨鉱


その後4種の 「浮遊選鉱」粉砕した鉱石を気泡や濡れにくさを流用して分離回収する方法 が施工される。
まずは方鉛鉱・門亜鉛鉱を分離する総合浮選、
その後鉛浮選・亜鉛浮選を行い、
マンガン浮選を最後に行う。 浮遊選鉱


中段には 「ドルシックナー」液体中に浮遊している固体粒子を重力を用いて沈殿濃縮する装置 3か所が丸い池として残存している。
浮選後は濃縮および脱水処理が施工され、
濃縮槽は鉛精鉱用、亜鉛精鉱用、マンガン精鉱用となる。 シックナー


選鉱用水は選鉱場前の金堀沢から15馬力のタービンポンプにて揚水していた。
選鉱場は南向きで、冬季除雪は頻繁に行われていたものの、
特殊な暖房装置は無く、もっぱら薪ストーブに頼っていたという。 浮遊選鉱


幸い大切坑の坑内奥深くから60℃近い温泉が湧き、
この熱を利用して選鉱用水を10℃近くに保持していた。
浮選尾鉱はサンドポンプで清水沢堆積場に鉱送していた。 転炉


見下ろす選鉱所全景。
いつの間にか、金堀沢はかなり下だ。
残念ながら頂上への到達はできなかった。 浮遊選鉱


完成した鉛・亜鉛・マンガン精鉱は貯鉱舎から、
50sづつ麻袋に梱包、秤量荷作り後、八雲駅にトラック便で搬出された。
同時に試料採取され、水分・品位等が測定された。 内部


かつては250名が従事し、
出鉱量は15.3万tを記録した、
道南の巨大坑は今も静かに山に眠る。 坑口









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浮選
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