2,000人の行方




日本海に面した小平町はかつて鰊漁ににぎわった天然の良港であったが、
現在は人口3,200人、恵まれた自然に囲まれたスローライフな風景の広がる、
静かな町だ。 寧楽

炭鉱は住吉市街から鷲ノ巣沢川を少し遡る。
道々からすぐに炭鉱跡地付近を望むことができる。
ここからは徒歩で探索だ。 炭鉱


残雪の斜面を進む。
付近には1棟2戸の住宅が60戸、独身寮や集会所、
物品配給所や病院も建設されたというから驚きだ。 残雪


鷲ノ巣沢川の右岸には遺構がある。
あれは坑口だ。
一気に増加した人口のため、長屋を改装した臨時小学校が開設されたほどだった。 坑口


斜面の上部に何かある。
当時、2,000人もの人口急増により、
小規模農家は離農し、商業に転業する場合が増えたらしい。 廃祉


これは上水道に関する遺構のようだ。
昭和16年以来、大小多数の石炭業者により、
蜂の巣のように坑口が開かれ、その経営者もめまぐるしく変化した。 上水道


付近にはここだけに遺構が残る。
街外れの山中にある炭住街は同じ生活環境の鉱夫達が暮らしており、
隣近所の他人の家といっても、大きな家族のようだったという。 廃祉


川向うに細長い遺構が見える。
春のシーズンになると、会社が鰊をまとめて購入し、
希望者に箱で支給したそうだ。 遺構


川向うに渡り、廃祉に接近する。
どうやらあれは選鉱前の原炭を貯炭する原炭ポケットのようだ。
芦別とも美唄とも違う形状だ。 原炭ポケット


近寄るとその原炭ポケットはそこそこ巨大で、
コンクリートは粗悪な感じがする。
藪の無いこの時期ならではの光景だ。 遺構


原炭ポケットの下流にもホッパーらしき遺構がある。
昭和42年4月、閉山大会に集まったのは200名。
労働組合委員長はそれまでに会社側と十分な交渉を行っていたようだ。 廃祉


閉山に至る起因となったのは、
二度の運搬災害による影響で、
閉山反対で押すことよりも、鉱員の退職金を維持するために多くの人が扮装したらしい。 積込ビン








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