いろいろな道

街道古道廃道道

名のある通りの所縁

道灌ゆかりの地

太田道灌像
埼玉県川越市元町1丁目3番地1

太田道灌が「川越城」を築いた。
道灌橋
埼玉県川越市

太田道灌の屋敷が近くにあった。
道灌公墓所
神奈川県鎌倉市扇ガ谷

この太田道灌の墓は、1826年水戸徳川家の子孫である英勝寺住職が再建したものである。
道灌屋敷跡
神奈川県鎌倉市扇ガ谷

英勝寺の地は、かつて摂津源氏の流れをくむ扇ガ谷上杉家の家宰、 太田道灌の屋敷であった。
山吹の里の碑
東京都豊島区高田1-18-1

七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだに無きぞ悲しき
太田道灌堂
東京都北区赤羽西1丁目21−17

静勝寺境内にある太田道灌堂には道灌の坐像が納められている。
太田道灌像
東京都千代田区丸の内3丁目5−1

都庁舎があった昭和33年、当地に設置され、都庁の移転後、東京国際フォーラムに再設置
「山吹の里」の太田道灌像
東京都新宿区 西新宿2−11

太田道灌の有名な逸話の一つ「山吹の里」を再現した銅像。
山吹坂
東京都新宿区新宿6-21-11 (大聖院)

坂上の大聖院境内にある「紅皿の碑」にちなむ。
紅皿の碑
東京都新宿区新宿6-21-11 (大聖院)

道灌に山吹の一枝を捧げた女性である。

太田道灌騎馬像
東京都荒川区西日暮里2-19

JR「日暮里駅」東口のロータリー。
太田道灌像
埼玉県さいたま市岩槻区本町3丁目2−5

岩槻庁舎 太田道灌が「岩槻城」を築いた。
太田道灌公追慕の碑
東京都千代田区一ツ橋1丁目

1457年、太田道灌が江戸城を築いた
太田道灌の開基の寺 法恩寺
東京都墨田区太平1-26-16

丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立、資高の代、本住院を法恩寺と改称した。
道灌橋
神奈川県伊勢原市下糟屋

大慈寺近く。
道灌公墓所
神奈川県伊勢原市下糟屋362

 代々太田家の菩提寺だった大慈寺。首塚。
道灌公墓所
神奈川県伊勢原市上粕屋1160

道灌が暗殺された地の洞昌院という寺院に墓所。胴塚。
太田姫稲荷神社
東京都千代田区神田駿河台1丁目2−3

江戸城本丸内に長禄元年(1457)創建したと伝えられ、現在は神田駿河台へ遷座した。
御殿山城跡
東京都品川区北品川4丁目

太田道灌が築城した城。やがて道灌は江戸城を築城し、江戸城に移る。
太田道灌駒繋松
東京都新宿区西早稲田3-5-43

水稲荷神社 甘泉園の隣 山吹の里で狩をした太田道灌が、馬とつないだ松と云われている。
道灌丘之碑
東京都荒川区西日暮里3丁目-1

太田道灌が長禄元年(1457)に江戸城を築いた際、ながめのよいこの地に「物見塚」と呼ばれる斥候台(見張り台)を造ったという。
日莫里繫舟松之碑
東京都荒川区西日暮里3-6-4青雲寺境内

道灌船繋松とも呼ばれている。船繋松とは、舟人が目印とした高台の松。
道灌山
東京都荒川区西日暮里四丁目

太田道灌の出城址という説がある。
道灌山公園
東京都荒川区西日暮里3-5-5

正式には西日暮里公園。かつてこの辺りの台地は“道灌山”と呼ばれ江戸時代には景勝地として知られていた場所。ここから道灌山公園の名もある。
道灌橋之跡碑
東京都杉並区上井草3丁目

文明九年(1477)太田道灌が豊島氏の石神井城を攻めたとき、ここで川を渡った、といわれます。
道灌橋公園
東京都杉並区上井草3丁目14番23号

道灌橋之跡碑に隣接して「道灌橋公園」がある。
道灌公園
東京都杉並区今川4丁目27番7号

石神井城攻略に当たって、太田道灌が陣を敷いた場所と伝えられている。
名のある通り
 
太田道灌ゆかりの地めぐり コース
埼玉県川越市 
 
太田道灌・日向薬師のみち 神奈川県伊勢原市

道灌通り 埼玉県さいたま市岩槻

道灌山通り 東京都荒川区西日暮里

駿河台道灌道 東京都千代田区神田駿河台

道灌通り 東京都品川区

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