いろいろな道

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名のある通りの所縁

太宰ゆかりの地

伊勢元酒店跡
東京都三鷹市下連雀3-16-14

現:太宰治文学サロン
千草跡
東京都三鷹市下連雀3-24-3

現:Brillia MITAKA
1947(昭和22)年7月から小料理屋千草の2階を仕事場にしていた。
田辺肉店離れ跡
東京都三鷹市下連雀3-27-8

1947(昭和22)年4月から、「斜陽」を書き継ぐために、田辺肉店のアパートを借りた。この店を舞台にして「犯人」が書かれた。
太宰治ゆかりの地「野川家跡」
東京都三鷹市下連雀3-15-15

1999(平成11)年まで現存したこの家屋の2階に、山崎富栄が下宿していた。イル・デ・パン1F 山崎富栄と親しくなった1947(昭和22)年9月頃から、彼女の下宿先の野川家2階も仕事場にしていた。太宰最後の日、ここから2人で玉川上水へ向った。
玉川上水
東京都三鷹市下連雀3丁目6−52

「ポケットスペース」のレリーフには、玉川上水を「青葉のトンネル」と書く「乞食学生」の一節が刻まれている。
玉鹿石
東京都三鷹市下連雀3丁目3−50

太宰を偲んで、故郷、青森県五所川原市金木町産の玉鹿石を石碑とした。このあたりの玉川上水で、太宰は入水した。
太宰治旧宅跡
東京都三鷹市下連雀2-14-9

1939(昭和14)年9月から亡くなる1948(昭和23)年6月まで、疎開の一時期を除き住んでいた。太宰治旧宅の「玄関の前の百日紅」(「おさん」)が井心亭(三鷹市下連雀2-10-48)の庭に移植されている。
斜陽館
青森県五所川原市金木町朝日山412-1

太宰治記念館 「斜陽館」は、青森県五所川原市にある小説家太宰治の生家。
太宰治銅像
青森県五所川原市金木町芦野

平成21年(2009)、生誕100年を記念し、芦野公園に太宰治銅像が建立されました。像は35歳の頃のもの。
太宰治文学碑
青森県五所川原市金木町芦野

毎年誕生日に、芦野公園の文学碑前で生誕祭が開催されている。
 太宰橋
青森県五所川原市金木町芦野

芦野公園内
 太宰治 思い出広場
青森県五所川原市金木町朝日山210-35

母校、金木小学校の通学路にある小さな広場。レンガ壁には太宰の作品名が書かれたプレートが時代順に並ぶ。
 メロス坂通り
青森県五所川原市金木町朝日山317-9

太宰治疎開の家「新座敷」の通りで、太宰の作品「走れメロス」に因んで名付けられた。
 走れメロス号

津軽鉄道
 太宰治文学碑
群馬県利根郡みなかみ町谷川

小説「姥捨」の舞台となった谷川温泉に記念に建てられた。
 太宰の墓地
東京都三鷹市下連雀4-18-20

禅林寺 「花吹雪」では、森鷗外の墓に言及しています。そのため、没後、太宰の墓は鷗外墓の近くに建立された。

太宰横丁 東京都三鷹市下連雀3-27-8

太宰通り 東京都三鷹市下連雀
 
太宰通り 青森県五所川原市金木町
 
太宰治思い出道路 青森県五所川原市金木町
 
太宰の道
 
 
津軽鉄道・太宰文学を訪ねるみち
青森県五所川原市

太宰治と名水と池沼群をめぐるみち
青森県五所川原市 

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