余談−私の西脇順三郎体験
手持ちの詩集の解説には「いわゆる日本的なセンチメンタルな感性を否定するところから西脇の詩は出発している・・・」とある。西脇順三郎が否定した日本的感性の表現を愛読してきた筆者には、彼の拓いたシュールレアリズムの詩は馴染めなかった。不幸な出逢いであった。
途中で放棄した詩集「馥郁タル火夫ヨ」については「既成概念を打ち破るメタファーを使うところに西脇の詩作方法がある」「"馥郁タル"と"火夫"という全く異なるイメージの形容詞と名詞を連結させることによって、言葉が本来持っている以上のパワーを読者に向って放つ。西脇が最も得意とする手法である」と教えられた。が、語学の天才の紡ぎ出す古今東西の言葉(特に固有名詞)の洪水は詩を味わう余裕を奪い去った。
本格的にいしぶみ紀行を始めた頃、川崎市にある影向寺で「旅人かへらず」の詩碑に出会い、その詩集を再読した。解説には「日常の何でもない叙述を響かせながら、ある種の神話的な叙事詩のようなところへぼくたちを連れていってくれる。・・・詩は、言葉を通して、言葉の本来もっている意味や伝達機能を超えて、なにか根元的なものをじわじわとぼくたちに訴えかけてくるに違いない」と記されていた。少しだけ詩人に近づいた。
小千谷市への旅を終え西脇順三郎の伝記を読んだ。
「孤独な詩人は生涯にわたって、ひそやかな寂しい声で何かを語り続けた」
「徹底して言葉(日本語や英語あるいは他の言語)に己のエネルギーを集中させ、決して散逸させなかった西脇の生き方は見事であった。多分、芸術とは、こういった狂気にも似た集中力がなければ生まれないものなのだろう」との記述に感銘を受けた。
漸く、詩人の「寂しい声」を聞くことが出来、言葉の洪水にも流されない歳になったのだろうか。神奈川県には前述の「影向寺」の他に「観音崎」「慶応大学湘南校舎」と三箇所に詩碑があるのである。「西脇順三郎詩碑アルバム−神奈川」(クリックで別ぺージ)を作ってこの紀行に添えておきたい。尚、文中の写真は小さいので一部写真は別紙アルバム(クリックで別ページ)で拡大写真をご覧下さい。(2006.09記)
   
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