長生橋界隈はメインの会場だけに準備でごったがえしていた。橋畔の小公園には与謝野夫妻の歌碑、堤防上には与謝野晶子歌碑が遠目にも判ったが駐車禁止の標識ばかりで近づけない。少し離れたお寺の駐車場を借り、雪国の風物詩「雁木の街並み」を珍しげに歩いた。
与謝野夫妻の歌碑「晶子−越ひろし長生橋の上しもに つらなれる山他州にあらず 寛−落つる日を抱ける雲あり越の国 大河を前にしぐれんとする」は見事な造型であった。が、赤御影石は強い日差しを反射して写真にならない。上下左右と駈け廻ったが苦労は実らなかった。園地の花壇のサルビアが「ながおか」と花文字を描き、マリーゴールドが隊列をなし、姫百日紅の群生が燃えていた。花々は疲れた眼を労わった。堤防上の与謝野晶子歌碑「あまたある洲に一つづつ水色の 越の山乗る信濃川かな」は交通規制の柵で囲われていた。直ぐに直しますから・・とお願いして写真だけ撮らせてもらった。河川敷には観覧席、屋形船が観客を待機、その向うに長生橋が長く延びていた。
この堤防上の道路をのんびりと走る予定であったが通行止の看板。
車に戻り大回りして、長生橋と大手大橋間の堤防上に海音寺潮五郎文学碑「大ひろ野 流るる川の 信濃川 ゆたかなるかも 美しきかも・・・」(流域紀行)、大手大橋畔に杉本鉞子(えつこ)文学碑(代表作「武士の娘」一節刻)を訪ねたが、何れも花火大会準備の取り込み中であった。更に上流の水道局の付近で漸く混雑が終っていた。堤防を少し広げた園地に白御影石の巨大な石が座っていた。星野慎一詩碑「信濃川よ 静かなるながれを見れば かぎりなく想ひわくかな・・・」(詩「信濃川」)は青空と芝生の緑に映えて美しく望郷の想いを語っていた。

 堤防上杉本文学碑・同星野詩碑・西福寺虚子茂吉合同碑・長岡花火大会借物写真
       

時計は4時を回った。最後の訪碑地の西福寺に向う。戊辰戦争の開戦を告げた寺の鐘は史跡を示す石柱をお供に聳え立つ鐘楼に収まっていた。山門を入ると、白い塀に沿って、九条武子歌碑、斎藤茂吉・高浜虚子併刻の碑、相馬御風の歌碑が並んでいた。
市の中心部の追廻橋畔にある山頭火句碑と井上井月句碑を急いで写真に納め旅は終った。
長岡駅で「長岡花火大会弁当」を仕入れ新幹線に飛び乗った。車中で飲むビールは忘れなかったのに、駅のコンコースにあるという良寛和尚の像と歌碑のことは頭から消えていた。
新潟市、三条市、小千谷市、長岡市を駆け抜けた、今回のいしぶみ紀行は早慶戦(会津八一と西脇順三郎)の名勝負を堪能させてくれた。が一方、未だに残る大震災の跡、融雪のために地下水で赤茶色に汚染された道路・・・と痛々しい光景が目に焼きつく旅であった。いしぶみを追っかけてこの地に脚を踏み入れたことを少し後悔しながら飲んだビールは何時になく苦かった。
会津八一、西脇順三郎、堀口大学は、奇しくも同じ明治中期に信濃川下流に育ち、故郷を捨て、文壇に大きな足跡を残し、故郷に回帰した。信濃川の下流も文人達の「母なる川」であることを確認する旅であった。
(紀行日:2006.07.31)
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