蘭島   9163(9263)レ 蘭島〜塩谷

 忍路小学校前の踏切を通過すると、C62は大きく右にカーブして国道から離れていきます。このあたりから続いている20‰〜18.2‰の連続勾配、峠越えといってもいいくらいの勾配ですが、右手には田園風景が開けて開けっぴろげになっているせいかあまり「峠」という印象は受けません。ひたすら長い直線築堤が続いていきます。

忍路の踏切

 その直線築堤に出る前にC62は二つばかりS字カーブを通っていきますが、その途中に1箇所小さな踏切があります。私たちは「忍路の踏切」と呼んでましたが・・・(たぶん正式名称は違う名前だと思います)。
 ここから見るC62は、特に春と秋は煙が逆光に映えて印象的でした。背後に忍路小学校の建物が写り込んでしまうのが難点といえば難点でしたが・・・。
 (↓1992年5月 蘭島〜塩谷)

蘭島〜塩谷 9163レ

 

蘭島直線

 このあたりの風景、この頃はすっきりとした畑と荒地だったんですが、C62の最終運行の年あたりからポツポツと建物が建ち始め、今はかなり様相が異なってしまっているみたいですね。定番ポイントの跨線橋まで行かずに、途中から後追いするのも私は好きでした。特に雨の日、煙が長々と尾を引くときは最高でしたね。
 (↓1990年5月 蘭島〜塩谷)

蘭島〜塩谷 9163レ

 雨の日、C623が吐いたドレインの白い蒸気が、連なる客車にまとわりついていく姿も印象的でした。
 (↓1990年5月 蘭島〜塩谷)

蘭島〜塩谷 9163レ

 稲穂峠や倶知安峠と違って、同じ20‰程度の連続勾配でも、やはり直線であるというのは機関車にとって全然ラクであるらしく、この蘭島の直線ではいつもすさまじい速度でC62は坂を登ってきていました。機関車の最大の敵は勾配よりもむしろ曲線抵抗なのかもしれないですね。
 (↓1992年10月 蘭島〜塩谷)

蘭島〜塩谷 9163レ

 線路をオーバークロスする一本木跨線橋からの定番カット。この跨線橋はいつ行っても100人近い人が集まる場所でした。もっともそれだけ来てもスペースが広かったので撮影に混乱はありませんでしたが、むしろクルマの駐車場所でモメるケースが多かったようです。
 (↓1989年8月 蘭島〜塩谷)

蘭島〜塩谷 9163レ

 跨線橋から線路端に下りて正面気味に撮ることもできました。この撮り方だと、山の中かな?と錯覚させるようなカットになるんですよね。(^^;
 (↓1989年7月 蘭島〜塩谷)

蘭島〜塩谷 9163レ

金五郎山
 この蘭島直線を俯瞰することができた撮影ポイントが「金五郎山」と名づけられた山の上でした。ここは本来私有地だったのですが、C62の運行開始にあたって、地主さんがご好意で写真撮影者のために、ということで場所を開放してくれたポイントでした。その地主さんのお名前である成田金五郎さんにちなんで「金五郎山」という愛称がつけられたのは皆さんご存知と思いますが・・・。
 山の頂上まではロープが張られていて「SLファンの方はこのロープの内側を歩いてください」という立て看板がありました。上に登ると優に30人以上は三脚が立てられる広いスペースがあって、眼下に蘭島直線を一望できるという・・・本当にありがたい場所でした。
 (↓1988年8月 蘭島〜塩谷)

蘭島〜塩谷 9163レ

 お立ち台を通過したC62は、忍路、桃内、第二桃内、第三桃内の4つの短いトンネルをくぐって塩谷へ。その先には最後の峠が待ち構えています・・・。
 (↓1991年9月 蘭島〜塩谷)
蘭島〜塩谷 9163レ