稲穂峠へ   9163(9263)レ 小沢〜銀山

 小沢を発車したC62はいよいよ下り列車最大の難所、稲穂峠に挑みます。稲穂トンネル内のサミットまで小沢駅から約8km(小沢駅が函館起点204km、サミットは211.9km)、標高差125.1m、標準勾配20.0‰・・・。倶知安峠と比べるとR250というような急曲線が少ない分機関車への負担は少ないですが、国道5号線が併行するように走っている倶知安峠と違ってこちらは国道は山ひとつ隔てた向こう・・・まさに人跡稀な森の中を走っていくという感じで「峠越え」というイメージはこちらのほうが圧倒的に強いでしょうね。
 小沢を発車していくC623。上り9162レの発車にも劣らぬような猛ダッシュをかけていきます。
 (↓1990年5月 小沢)

小沢発車 9163レ

 小沢を発車すると、しばらくは国道5号線を見下ろすようにして斜面にへばりつくように走っていきます。斜面側には落石よけの柵がありました。下の写真は小沢駅遠方信号のあたりから撮ったカット。ここが峠に向かう最初のSカーブになっていました。
 (↓1989年5月 小沢〜銀山)

小沢〜銀山 9163レ

 その姿を遠くから見晴るかす場所があります。ここは広々とした牧草地。国道5号線から西に折れる細い道を登っていくと10分ほどでたどり着く場所ですが、すぐ眼下には今は使われていないサイロがあります。ほとんど鉄ちゃんは来ないので汽車がくるまで三脚も立てず、牧草地に仰向けに寝転んで空を見ていたこともありました・・・。
 (↓1990年10月 小沢〜銀山)

小沢〜銀山 9163レ

 やがて列車は大きく右にカーブを切って国道5号線と分かれ、林の中に分け入っていきます。この小沢〜銀山は人跡稀な場所だけに運転開始当初は撮影地ガイドなどで紹介されたことはほとんどなく、この区間はひたすら自分の足で歩いて撮影ポイントを探すしかありませんでした。ここは小沢の駅から30分ほど歩いた206km地点。この日は6月にしては暑い日で、ここまで来るのに私は汗びっしょりになってしまいました。
 (↓1988年6月 小沢〜銀山)

小沢〜銀山 9163レ

マイマイガの幼虫

 やっほ〜!皆さ〜ん!
 私のこと覚えてますかぁ〜?(^^;
 そうです、マイマイガの幼虫ですぅ〜。
 C62が走り始めた年、私たちも大発生して皆さんの三脚に登ったり銀箱に張り付いたりしたんですよねぇ〜。
 私たち、黒いモノが大好きで、黒い三脚なんかだと皆で喜んで登ったんですよ〜。でもあんまり好きになってもらえなかったみたいだけど。(^^;
 C62が走らなくなってから、黒い三脚を持った人もほとんど来なくなって、私たちも寂しいですぅ!また山の中で遭ったら遊んでくださいね〜〜。(^^)

住友俯瞰

 この206kmあたりからセトセ川の谷を挟んでちょうど真向かいにある山が通称「住友山」と呼ばれていたところで、反対側の国道側に住友の工場があったんですよね。国道から分岐するセトセ川に沿ってしばらく歩くと「白い家」と呼ばれていた人家があって、そこから細い道をしばらく登ると、この「住友山」の上に出ます。ここからはニセコアンヌプリやイワオヌプリを入れてフレーミングできるので、春、秋ともに人気のあるお手軽俯瞰ポイントでした。
 (↓1988年10月 小沢〜銀山)

小沢〜銀山 9163レ

 1990年が8年間のうちで紅葉が比較的マトモな年でしたが、それにしても山を隔てた国道5号線側はいつの年でも意外に紅葉がきれいでしたよね。それなのに、こちらの線路側はくすんだ紅葉ばかりのことが多くて、「この差はいったい何なんだ〜!」と皆不思議がってました。こればっかりは私も未だに納得がいかない・・・。
 (↓1990年10月 小沢〜銀山)