倶知安峠 9162(9262)レ 小沢〜倶知安
サミットへ
勾配標直線を過ぎて、大きなSカーブを2つ回ると倶知安トンネル。C62の苦闘ももうすぐ一段落。心なしか速度が上がっていくようにも思えます。
この日は朝から荒れ模様の天気。時折霰が落ちてくることもあって・・・。そういえば霰のことを私たちは「乾燥剤」と呼んでましたね。(^^;
やがてC62が来る頃には、空から落ちてくるのはみぞれから小雪に変わっていました。春の淡雪の中を突き抜けるようにしてC62は登ってきました。
(↓1991年5月 小沢〜倶知安)
ここは倶知安トンネルの少し手前。最後のSカーブを見渡すところです。珍しく背後には広葉樹で覆われた山があって、秋は赤く染まります。ところがどうしたものか、山線の紅葉というのはこのC62が走っていた8年間、どうも色づきがいまひとつ。満足のいく紅葉とC62のマッチングが撮れたことは数えるほどしかなかったですね・・・。
(↓1990年10月 小沢〜倶知安)
倶知安トンネルは全長約1km。その間もずっと倶知安に向かって20.0‰の上り勾配で、トンネルを出た直後にようやくLになります。トンネル出口で聞いていると、くぐもったような轟音が次第に大きくなり始め、やがて「ブシャァ〜!」という音と共にC62が飛び出してきます。列車が走り抜けたあと、トンネルからはいつ絶えるともなく大量の白煙が出続けていました。
実はこれも「雪の行路」のマネでして。(^^ゞ
サミットを超えると列車は軽快に倶知安盆地に向けて下りていきます。
(↓1992年5月 小沢〜倶知安)