倶知安峠 9162(9262)レ 小沢〜倶知安
吹雪の大空転 1991年11月4日
この日は朝から荒れ模様の天気でした。雨、雪、みぞれ・・・時折風も舞い、露出は落ちる一方・・・。この年の最終運転日とあって、200kmのオーバークロスや200.3kmの勾配標のあたりは三脚のバリケード。それを嫌って、お気に入りの201kmのSカーブに三脚を立てたのはわずか3人。私とワンカップ氏、それに武田旅館の常連のUさん。寒い中、1枚のチョコレートを分け合いながら、とりとめのない話をしてC62を待っていました。
定刻、小沢発車の汽笛が風に乗ってかすかに聞こえました。さあ、スタンバイ。折からみぞれが雪に変わり始め、やがてドラフトが徐々に聞こえ出します。しかし、調子がおかしい。ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。次第に聞こえてきたドラフトはいつものC62のあの高速ドラフトじゃない。こんなゆっくりしたドラフト音を聞くのは・・・。
やがて・・・ドドドドドドドッドドドドッ! 空転だ! それも二度、三度・・・。無事に登ってくるだろうか? やがて正面左の林の影からC62が姿を現しました。吹雪の中、すさまじい煙が立ち上がっていました。
カーブを曲がり終え、こちらに編成全体が見えるようになったところでまた、ドドドドド・・・!空転!! 速度はもう小走り程度に落ちています。機関士と機関助士がキャブから顔を突き出して、心配そうにレールと動輪を見ていました。煙は猛烈に立ち上がり、ファインダーを埋め尽くしています。夢中でシャッターを切る。この時、気温はかなり低く、素手だった私は汽車を待っている間手をすり合わせて暖をとっていたんですが、この時は目の前で展開されるあまりにもすさまじい光景にすっかりアタマの中が熱くなり、寒さなどは忘れ去ってしまっていました。
空転のたびに、すさまじい勢いで煙突から煙が立ち上がります。まさに火山の噴火のよう。空転が収まると、叩きつけるようなゆっくりしたドラフト音に混じって、動輪がレールをきしませる不気味な音までも聞こえてきます。
私の目の前、わずか3メートルのところで再び大空転、動輪が激しくカラ回りしてきしむのを私は目の当たりにしました。おそらくキャブの中では機関士が加減弁を握り締めて苦闘していることでしょう。
しかし、その苦闘も空しく、私たちの前を500mばかり通り過ぎたところで、とうとうC62はガクンと止まってしまいました。その場で何度か引き出しをかけようとしましたが、全く進みません。やがて列車は退行を始め、我々の目の前を再び通り過ぎてSカーブの奥まで戻っていきます。やがて汽笛が聞こえ、再びドラフト音、しかし、またすぐに空転が起こりました。もう先程のような猛々しい煙は上がりません。煙突からは、白い煙が吹き上げられているだけ。再挑戦も空しく、今度もまた200kmポストを目前にして止まってしまいました。
再びC62は退行を始めます。客車から顔を出した車掌さんが、私たちに向かって「いいねえ、何回も撮れて!」と声をかけてくれましたが、当の機関士さんはそれどころではなかったでしょう。かなり麓まで下りたらしく、なかなか上がってくる気配がありません。(あとで聞いたら、上平踏切まで戻ったそうです)その間に私たちは場所を200.3キロの「お立ち台」に移動しました。場所を変えた人が多いのか、人数は先程の半分以下に減っていました。私はリバーサルを使い果たし、とうとう予備として残しておいたモノクロフィルムをカメラに詰めるハメに・・・。やがて待つこと十数分、再び登ってきたC623は、先程とは比較にならない速度で私たちの前を走りすぎていきました。ほぼ同じ場所で9162レを3回撮った、今となっては忘れられない思い出です。
ちなみに、この時C62の三度の登攀を目前で全て見ている人は201.3km〜200.6kmの間にいた人だけですが、そこにいたのは私たち3人のほかには数名だけ。つまりこの時、この大空転劇の一部始終を線路端から全て目の当たりにしたのは日本広しといえども私たちだけだったのです。これはちょっと自慢かな。(^^ゞ