倶知安峠   9162(9262)レ 小沢〜倶知安

小沢看板

上り9162(9262)列車の撮影地というと、どちらかと言えば稲穂峠の然別〜銀山のほうがポピュラーで、雑誌にもそちらのほうが多くガイドされていたと思います。しかし私は上り撮影列車の実に2/3以上を倶知安峠で撮影しています。一つには、定宿のある小沢から近いというモノグサな理由なんですが、もう一つはやはり稲穂峠とは一味違った、C62のギリギリの真剣勝負が見られるから、ということがあったのでしょうね。特に春と秋は・・・。
 小沢を発車したC62はゆるく右にカーブを切りながらいきなり20‰の勾配にかかります。ヤエニシベの小さな鉄橋を渡ると今度は大きく左にカーブ。ここに下り列車に対する小沢駅接近標識が立っています。「小沢」と書かれた黄色い標識で、私たちは「小沢看板」と呼んでいましたが、この近くが格好の撮影地。ここはそのまんま「小沢看板」というのが撮影地の愛称になってしまいました。(^^;
 ここは地平から撮る撮り方と、西側の斜面に登ってちょっと小俯瞰気味に見下ろす撮り方がありましたが、どちらも絵になりましたね。下は地平のアウトカーブから。運行開始の5月頃は、背後の白樺が美しい場所です。
 (↓1989年5月 小沢〜倶知安)

小沢〜倶知安 9162レ

 斜面に登って見下ろすと、C62の大きな体が際立ちます。
 夏になるとこのあたりにはオオイタドリに混じって黄色い花がポツポツと咲きます。それを入れて撮ろうとすると・・・C62の車体のディテールを出そうとすると花がすっ飛び、花を生かそうとするとC62がツブれ…露出計をにらんでハムレットの心境になったこともしばしば・・・。(^^;
 (↓1992年8月 小沢〜倶知安)

小沢〜倶知安 9162レ

上平踏切(ワイス:202km地点)

 小沢看板を過ぎSカーブを2つ過ぎると小さな踏切に出ます。ここが有名な「上平踏切」。すぐ近くを通っている国道5号線から伸びる細い道(近年は拡幅されてかなり広くなっていますが、C62運行開始当初はほんとに小さな道でした)が線路と交わるところで、その国道を挟んだ反対側にはワイス温泉があります。撮影地から温泉まで徒歩3分。私は朝ここで三脚を立てると、まずは温泉で一風呂浴びてから汽車が来る1時間前に戻ってくる、というのを何度もやりました。(^^;
 仲間からは「そんなコトやってると湯冷めするぞ〜!」とよく言われましたが、どうしたものか、春先のけっこう寒い日でも湯冷めして風邪を引いたということは一度もありませんでしたね。(^^)v
 ここも雑誌などにはよく取り上げられた有名撮影地です。このあたりではまだC62も余力ビンビンで、かなりな高速度で登ってきます。
 (↓1989年5月 小沢〜倶知安)

小沢〜倶知安 9162レ

 夏になればここにも黄色い花が・・・。機関車の黒と花の黄色が見事なコントラストをなしてくれました。
 (↓1994年8月 小沢〜倶知安)

小沢〜倶知安 9262レ

201km地点

 上平踏切からさらに1km、クネクネと右に左に曲がりながら登っていくC62の息遣いは少しずつ荒くなっていきます。大き目のS字カーブを回るとそこが201kmポスト。私が函館山線で最も好きだった撮影地がここでした。この少し倶知安寄りの200.3km地点のSカーブは有名でいつ行っても20〜30人の人が集まる人気ポイントでしたが、そこからわずか700m奥に入ったこの201kmはいつ行ってもほとんど人がいない・・・。たまにいても1人か2人。一時期「私だけの撮影地」なんて言って自惚れていたほどです。静かなものでした。しかし、ここは200kmや200.3kmのお立ち台よりも確実に爆煙が期待できる場所だったのです。後で聞いた話ですが、このあたりがC62にとって最も苦しかったそうです。
 ここも、小高い斜面からと地平からと2種類のアングルを撮ることができました。
 (↓1995年10月 小沢〜倶知安)


 公式記録で見る限り、9162(9262)レが峠で空転停止したというのは5回あるわけですが、そのうちの3回が倶知安峠、さらにそのうちの2回はこの201kmポストを通過した直後の200.5kmと200.6km地点で停止しています。そのどちらにも私は目前で立ち会っていますが、特に「伝説の大空転」と呼ばれる1991年11月4日の空転劇はすさまじいものでした。
 それは・・・。