宇宙の構造について
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【ニュートンの静止宇宙モデル】 太陽系を舞台の中心とした「天動説」V.S.「地動説」の争いについては、 「ケプラーの法則(1609年)」と「万有引力の法則(1687年)」によって決着がつき、 地動説を採用することに落ち着きました。 そして、人々の次なる探求心は、太陽系を含む宇宙全体へと広がっていったのです。 “天文学の父”と称されるイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイ(1564−1642)が、 1609年に初めて望遠鏡を天体に向け、宇宙には無数の星が分布していることを示して以来、 宇宙に対する人々の好奇心から「宇宙は、どのような構造をしているのか?」という疑問が浮かんでいました。 この疑問に1つの答えを与えたのは、イギリスの物理学者アイザック・ニュートン(1642−1727)です。 彼は、万有引力を及ぼし合う無数の星が、中心も端もない無限の空間に均一に分布していると考えました。 ・・・というのも、もし星の分布が有限であるならば、中心と端の区別ができてしまい、 万有引力のためにすべての星が中心に集まるので、いずれは宇宙が潰れてしまうことになるからです。 宇宙が永遠なら、中心も端もない空間、すなわち、無限の空間に 無限個の星が均一に存在しなければならないと考えたのです。 【ハーシェルの恒星分布図】 しかし、実際に空を見上げると、そのようには見えない気がします。 それを観測によって調べたのは、イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738−1822)でした。 彼は、夜空を区画に切って番地をつけ、番地ごとにどの明るさの星が何個ずつ見えるのかを数えていき、 天空の単位領域あたりの星の数は、天の川に近づくにつれて増加し、 天の川の面内にて最大になることを発見しました。 こうして1785年に得られたのが「ハーシェルの恒星分布図」であり、 恒星は宇宙空間のどこにでも一様に分布しているのではなく、 限られた空間にいびつな分布(直径と高さの比が約5:1のレンズ状に分布)をしていることを示したのです。 ハーシェルは、最終的に約2500個にも及ぶ星雲を詳しく調べて、 それらが多数の星の集団であることを明らかにしました。 しかし、それらの星雲までの距離を測る方法を知らなかったので、 近くにあるのか、遠くにあるのか判断できず、 宇宙全体の構造を具体的に論じるまでには至りませんでした。 ここで、問題!・・・星までの距離を、どのようにして測れば良いのでしょうか? 次回以降で見ていきましょう! |
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