秩父札所・第2番真福寺 | ||
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四萬部寺を出て旅籠一番の左脇を下ると直ぐに道は二股に分かれる。辻の所に、心求(高橋喜兵衛)を願い主とする元禄15年(1702)の銘が刻まれた道標があった。「右 大たな道・左 志かう道」と刻字されている。大たな道とは、第二番真福寺の山号が「大棚山」であるからだろう。志かう道は、傍に建てられた説明札の消えかかった文字から判読すると、二一番と慈光寺を指す、と説明されているように見える。この二一番が何処の何というお寺なのか分らない。その位置関係からして、秩父札所でないことは確かだ。慈光寺とは、秩父市に近い比企郡ときがわ町にある坂東三十三観音の第九番札所を指すのだろう。だが、「志かう道」との関連がどうにも分らない。まさかとは思うが、「ちがう道」の当て字ではないだろうか。 心求・はまの道標石「右大なた道・左志加う道」 右にとって下っていくと定峯川に架かる清水橋を渡る。緩やかな坂道を五〇mも歩くと、左側に「右順礼みち」と刻字された道標が建っていた。先ほど見てきた道標と同じで、心求・はまを願い主とするもので、元禄から宝永年間に建てられたものだという。 心求・はまの道標石「右順礼みち」 さらに五〇mも進むと、道が三叉路に分かれ、如意輪観音を祀った小さなお堂があり、その前に「みぎ三ばん・ひだり二ばん」と記された道標があった。これも心求・はまを願い主とする道標で、元禄から宝永年間に建てられたものだそうだ。この「心求・はま」なる人物の素性に興味が湧いてきたが、説明札から分るのは、心求の本名が高橋喜兵衛であるということだけだ。追々に分って来るだろうとは思う。 心求・はまの道標石「みぎ三ばん・ひだり二ばん 左の道を進み、二百mも歩いたところが丁字路になっていて、道端に両面に刻字された道標が倒れていた。こんな重い自然石の道標を倒す不届き者は一体誰なんだろう。勿論巡礼者ではないし、集落に住む人々にとっても愛着のある道標なのだから、悪戯で倒したとは考えられない。車で来た巡礼者が、追突して誤って倒し、そのままにして去ったのだろう。そこには、「右 志まんぶ道、左 大ミや道」と書かれていた。右志まんぶ道とは、第一番四萬部寺の方向を指し、左大ミや道とは、江戸期には大宮郷と呼ばれていた今の秩父市街地の方向を指している。 心求・はまの道標石「右志まんぶ道・左大ミや道」 丁字路を左折かると、暫くの間は穏やかな上り坂になり、畑の中の一本道が続く。左側に馬頭観音が建っていて、ここからは第二番真福寺へ登る山道となる。巡礼道の雰囲気が感じられるが、かなりきつい山あいの上り坂が続くのだ。私の先を二〇人余りの団体さんが、時々足を止めながら登っていた。着実に、ゆっくりと歩を進める私が、追いつき追い越した。この坂を登りきったところに真福寺がある。真福寺は標高六六五mの篠山中腹に建っている。この第二番真福寺は長享番付表にはその名が無い。札所が三十四ヶ所になったときに新たに加えられた札所である。今は無住のお寺で、納経所は二qも下った先の光明寺になっている。 真福寺に続く山道 『新編武蔵風土記稿』の記述の中に「本堂東向、十二間半に五間、庫裡方丈造りこみ、本尊正観音を安ず、當寺は行基開闢にて、中興は義空禅師なり、これを大棚禅師とよぶ、・・・略・・・」とある。さらに里人が大棚禅師を仰ぎ讃して、その地名を大棚に改めたと書いてある。これが山号、「大棚山」の由来の様だ。この記述からは、もとの堂宇が壮麗を極め、大規模の物であったように想像できるが、今の本堂は明治三十六(1903)年に建てられたもので、間口は三間半ほどもあるだろうか。小規模のものだ。 真福寺の本堂 般若心経を唱え終えたところに、途中追い越した団体さんがやってきた。坂道を登って来るのに疲れたのか、お堂に続く石段を上って来ない人もいる。それぞれが賑やかにお参りをすませ、弁当を開き始めた。 葛折りの坂道を三百mも下ると右側に旧道が見えてくる。未舗装の旧道へ入ったら、足への負担が幾分か軽くなった。さらに急坂な巡礼道を二百mも下ると、先ほどまで歩いていた新道と合流する。合流地点に「右ハ山ミち、左ハ二番ミち」と刻まれた道標があった。正丸峠越えの吾野通りを歩いてきた巡礼者は、八番西善寺から一番四萬部寺に向かって逆打ちになるから、三番から二番に進む巡礼者を意識した標識なのだろう。「右は山道」と教えているのが面白い。この道標から10mも登ったところに、かつて巡礼宿を営んでいたという民家がある。 「右ハ山ミち、左ハ二番ミち」と刻まれた道標石 納経所の光明寺は格式のある寺院で、末寺として二番札所真福寺、三番札所常泉寺、4番札所金昌寺、他に二寺を抱えていたという。本堂は南向きで、武甲山と対峙していることから、山号が向嶽山と名付けられている。 光明寺の本堂 (2013.4.20 記) |