秩父巡礼への道
やむに已まれぬ信仰心から歩いたというものではない。あえて言うならば体を痛めつけて歩くことが修行だという、私の信念のようなものがあるからだ。まっ、難しい理屈はない。知らない道を歩き、街角を回った先に展開される佇まいを思う。坂を上り頂上から眺める風景を思う。路傍の標石に歴史を思う。そんな好奇心を満足させるために、てくてく歩いている。歩いていると煩わしいことを忘れて、無心になっている己に気付くのだ。
「施食殿」その昔、三十表の米を炊いて信者はもとより、飢餓に苦しんだ庶民への飲食を施したお堂だそうだ。
札所が三十四ヶ所になったときに新たに加えられた札所である。今は無住のお寺で、納経所は2qも下った先の光明寺になっている。
観音堂」明治三年(1870)に秩父神社々地にあった蔵福寺の薬師堂を移築したもの。江戸期の繊細な建築物として観賞する価値がある。
仁王門の両脇に大きな草鞋が掛けられている。巡礼の旅に出て、踏みしめる土に命をもらい、無事に満願の日が訪れるよう祈念して奉納されたものだろう。
私財を喜捨して堂宇を営んでいた本間孫八が、ある夜御堂を訪ねてきた旅人と「夜もすがら和歌の奥義を談じ」合い、旅人は聖徳太子の化身だと気付き「孫八歓喜して、即ち御堂を語歌堂と名づく」と云う。