秩父巡礼への道

 やむに已まれぬ信仰心から歩いたというものではない。あえて言うならば体を痛めつけて歩くことが修行だという、私の信念のようなものがあるからだ。まっ、難しい理屈はない。知らない道を歩き、街角を回った先に展開される佇まいを思う。坂を上り頂上から眺める風景を思う。路傍の標石に歴史を思う。そんな好奇心を満足させるために、てくてく歩いている。歩いていると煩わしいことを忘れて、無心になっている己に気付くのだ。

ギャラリー

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第1番四萬部寺

「施食殿」その昔、三十表の米を炊いて信者はもとより、飢餓に苦しんだ庶民への飲食を施したお堂だそうだ。

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第2番真福寺

札所が三十四ヶ所になったときに新たに加えられた札所である。今は無住のお寺で、納経所は2qも下った先の光明寺になっている

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第3番常泉寺

観音堂」明治三年(1870)に秩父神社々地にあった蔵福寺の薬師堂を移築したもの。江戸期の繊細な建築物として観賞する価値がある。

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第4番金昌

仁王門の両脇に大きな草鞋が掛けられている。巡礼の旅に出て、踏みしめる土に命をもらい、無事に満願の日が訪れるよう祈念して奉納されたものだろう。

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第5番語歌堂・長興寺

私財を喜捨して堂宇を営んでいた本間孫八が、ある夜御堂を訪ねてきた旅人と「夜もすがら和歌の奥義を談じ」合い、旅人は聖徳太子の化身だと気付き「孫八歓喜して、即ち御堂を語歌堂と名づく」と云う


秩父巡礼・目次お知らせ

旅のはじめに
その動機
お遍路と巡礼の違い
   
観音巡礼三十三所の起源
秩父札所の成立
秩父の山岳信仰
秩父札所の番付表
秩父札所が三十四所になった背景
江戸から秩父札所への道筋
吾野通りの道筋


吾野通りを往く
日本橋から目地目通りを経て田無まで
田無から所沢を経て入間まで
入間から飯能を経て吾野まで
吾野から正丸峠を越えて秩父・横瀬迄


秩父札所を歩く
第1番四萬部寺
第2番真福寺
第3番常泉寺 
第4番金昌寺
第5番長興寺(語歌堂)
第6番卜雲寺
第7番法長寺
第8番西善寺
   

熊谷道を還る
秋には、長瀞から熊谷を廻り、てくてく歩いて還る来る予定です