室根山のふもと

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 昨年忘れられない体験をしました。幸い退職後だったので誰にも知られずにすんだのですが、「忘れる」という忘れられない体験です。


一 過 性 全 健 忘 症

 去年の9月、記憶を失う体験をした。

 意識が戻り始めたのは夜の10時前だった。テーブルの向こう側で、妻が不安げにこちらを見つめている。自分はいま何をしていたのか思い出せない。
 「いま、何してたの?」と妻に話しかけると、「病院に行って来て、それから同じことを何回も聞いてたの」と妻が答える。
 「病院に?、何しに?」と聞き返すと、「同じことを繰り返し何回も聞いて、様子がおかしいので、病院に行って診てもらってきた」と言う。
 病院に行って来たなどという記憶は全く無かった。かといって、さっきまで何をしていたのか、思い出せない。「今日は何日?」と聞くと、「9月29日、月曜日」と機械的に応じ、「それももう何十回、何百回と聞かれて、何十回、何百回と答えていたんだよ」と言う。まさか、そんなことがあるんだろうか。
 「病院にはどうやって行ったの?」「私が運転して行ったの」「診療所?」「○○クリニック。診療所の○○先生に電話で相談したら、そこに行って診てもらいなさいって」
 狐か狸に化かされているような気持ちである。しかし妻の表情にはかついでいるような気安さは微塵もなく、こちらの反応を暗く不安に満ちたまなざしでじっとうかがっている。
 「なんでそうなったの?」「知らない。私が帰ってきたら、お父さんはテーブルの上に新聞を3種類並べて、じっと見比べていた。それから、今日は何日だ?と聞くので、29日、と答えると、しばらくしてまた、今日は何日?と同じことを聞く。いつもは干してあるプールの道具も、濡れたままテーブルの上に置きっぱなしだし、心配になって○○先生に電話したの」
 そういえば、昼にプールに行ったのだった。プールから上がり、シャワーを使い、更衣室で着替えを始めたあたりまでは記憶にある。その後何をしていたのか、思い出そうとしても何にも思い浮かばない。
 「病院では何て言われたの?」
 「イッカセイゼンケンボウショウだって」
 イッカセイゼンケンボウショウ ? それがどういうことなのか、呑み込めない。ケンボウショウは「健忘症」らしいが、ゼンは「前」だろうか、イッカセイって何だ ?
 「イッカセイは一度だけ、ゼンは全部のゼンで、いま起こっていることはみんな覚えていないけど、24時間以内にはもとに戻るんだって」
 すると一過性で、あとは大丈夫ということらしい。どうやら24時間経たずに記憶が戻り始め たようだ。まだ不安げにこちらを見ている妻を安心させなければ。
 「びっくりした?」
 「びっくりした ! した ! ボケたのかと思った !」
 まだ半信半疑の表情ではあったが、声が弾んできた。
 「心配掛けたね。なんだか白髪が急に増えたみたいだ」
 まじまじと妻の顔と、このごろ白髪の目立ってきた髪を見ながら言うと、目を大きく見開いていた妻の表情がゆるんできた。
 「こうなったらみんなやめて、お父さんの面倒を見る、と腹をくくったんだよ」
 妻は日本語とヨーガを何カ所かで教えているので毎日忙しい。そのうえコーラスや太極拳のサークルにも入って、プールにも通っている。時々リクリエーションインストラクターとしてあちこちに出かけもする。それをみんなやめる決意をしたというのだ。
 そういえば何年か前、夫が若年性アルツハイマーになった夫婦のドラマ(「明日の記憶」渡辺謙、樋口可南子)を見た後、しばらくして妻が私に言った言葉が忘れられない。「お父さんが寝たきりになったら、私は……、逃げるからね ! 」
 ドラマは確か、焦点の定まらない眼で椅子に座ったままの夫を、妻が優しいまなざしで見下ろしている美しい場面で終わったはずだったのだが。
 あの時からすると、大英断である。

 インターネットで「一過性全健忘症」を調べてみた。
「 一過性全健忘症とは、言われたこと、目で見たこと、触って感じたことなどをすべて一時的に忘れてしまう病気だ。普通、24時間以内に正常に戻るため「一過性」と呼ばれる。
  自分が誰かとか、身近な人の名前、自分との関係などは分かっている。しかし、数分から30分程度前の短期記憶に障害が起こる。」
「 再発率は25%以下で、3回以上の発作の頻度は3%以下。中年以降に発症する。」
「 軽い脳卒中、てんかん、頭部外傷、精神的なショック、初期のアルツハイマー病など、いろいろな原因で起こる。」
「 何らかの原因により、脳の記憶に関係する『海馬』という部位を中心として、一時的に血流が悪くなったりして障害が起き、発症すると考えられている。」

 記憶が消えている間にも、プールの受付で個人カードを受け取り、15、5qの複雑な道のりを迷わずに車で家に戻っているのだから、その場その場での判断力はあったことになる。記憶に残らないのに行動は正常にできていたなんて、これも不思議だった。
 記憶が戻ったあと、後頭部が痛かった。偏頭痛の痛みとは異なり、こぶができたときと同じ痛みだった。さわるとその部分が痛いのである。しかし原因は思い当たらない。
 病院では脳にCTスキャンをかけたり、点滴をしたり、かなり時間をかけて検査したという。その間にも、「いま、なにしているの?」とくり返し妻に尋ねていたそうだが、その結果が心配ない、という診断だったそうだ。
 それでも不安が募る。何と言っても、「初期のアルツハイマー病など」というインターネットの記事がこたえた。

 生活は普通にしていいというので、いつものようにプールに行った。すると更衣室で出会った常連の人が、私の顔を見るなり「具合は大丈夫 ? 」と尋ねてきた。
 「なんでですか ?」と聞き返すと、「この前俺が入ってきたらずいぶん具合悪そうだったから」と言う。「どんな具合だったんですか」「顔が白くなって、具合が悪いって言ってたな」
 「それなら大丈夫です」と答えて、なにかピンと来るものがあった。
 そうか、着替え中に、もしかして貧血を起こして倒れたんじゃないだろうか。それで起き上がったところに、その人が来合わせたのだろう。それなら顔色が白いのと後頭部が痛かったのとつじつまが合う。そのとき頭を打ったのが原因で、「海馬」の血流が悪くなり、発症したのではないか。インターネットに「頭部外傷」が原因の1つになっているのともうまく合うから、これで他の原因を心配せずに済む。
 そう思ったら気が楽になった。
 私は検診で時々貧血の欄がbになる。一日にコーヒーを4・5杯は飲むのだが、コーヒーを飲むと鉄分の吸収が48%抑えられるのだそうだ。それでコーヒーを飲むのを控えると、次の年にはaになるので、一年ごとにaとbを交互に繰り返していた。今年は気にせずに飲み放題なので、貧血になったのだろう。その上日ごろから低血圧で、プールの後に受付けの横にある血圧計で測ると、上が100を切ったり、下が60、などということもあった。低血圧は立ちくらみの原因だというから、これも関係あるに違いない。
 我ながら完璧に説明がついた。 

 後日再診のため○○クリニックに行った。診察室に入って、なにげなく「初めまして」と挨拶すると、お医者さんは看護婦さんをふり返って一緒に笑った。
 「この前のことは覚えていませんね」「はい」
 改めて周りを見回したが、むろん初めて見る部屋である。笑っている看護婦さんの顔にも、むろん見覚えがない。尤も、以前から、誰であろうが1度会ったぐらいでは顔を覚えられないのだったが。
 「これも覚えていませんね」
 目の前に広げられた紙には、算数の計算問題や、私の住所、名前、時計の図などが書いてある。その字は私のだった。妻の話では、初診の時にお医者さんに聞かれたことは全部すらすら答えたそうである。指を言うとおりに動かさせられたり、早口言葉を言わされたり、面倒なこともなんなくこなしたという。その時に書かされたという内容も教えられていたのだが、ここは初心に返って答えた。
 「はい。私が書いたんですね」「そうです。いつ記憶が戻りました ? 」「その夜の10時頃でした。どうもプールで着替え中に貧血で倒れて頭を打ったみたいで、それが原因かもしれません。」「はあ、そういうことがあったんですか。そうかもしれないな。もう大丈夫です。繰り返すこともありませんから」「再発はないんですね ? 」「ええ、安心してください」「一過性全健忘症の人って、よくいるんですか ? 」「年に2回ぐらいはありますね」
 それ以上聞くのも憚られて、10分ほどの診察も無事終わった。会計を済まし、玄関で靴を履こうとかがんだ時、その姿勢で見る玄関のたたずまいになんとなく見覚えがあるような気がした。
 帰りの車の中で再診の様子を妻に話していると、見せられた紙に私が書いた時の問診の様子が、おぼろに思い浮かんでくる。記憶が蘇ってきたのだろうか。初診の日、診察が終わるとお医者さんはわざわざ玄関から外に出て、妻が車を回して私を迎えに来るまでベンチで私に付き添ってくれていたんだ、と妻が教えてくれた。言われてみると、これまたその時の様子がなんとなく思い出されるような気がしてきた。言われるたびにその時の表象が頭の中に蘇るのだろうか。それとも暗示と同じで、新たにそういう場面が頭の中で創作されるのだろうか。不思議な気分だった。

 それからしばらくの間、妻はことあるごとに、「今日は何日 ?」と言ってみたり、「いま何してたの ?」と私の言い様をまねては、からかった。私も時々「また多発性全健忘症になった」と言って迎え撃ったりしていたが、ある日妻は「お父さんは酒もたばこもやらないから、80歳まであと20年は持つ。それなら癌のほうがよかったのに、って本当は思ったんだ」と漏らした。
  確かに20年間も認知症と付き合うことになったら、寝たきりより疲れるに違いない。逃げることもかなわず、好きなヨーガやプールを断って付きっきりで面倒見続けるのは、やはりかわいそうだ。が、それにしても「癌のほうがよかった」はちょっと言い過ぎではないか。

 正月に娘が帰ってきたので、妻のいるところでその話を教え、「娘としてそれを聞いてどう思う ? 」と尋ねてみた。すぐには応えられず、私と妻の顔をちょっと見比べた後で、「お母さんもあけすけにそんなこと言って」とあきれ顔で言った。
 これもよく考えてみると、あけすけな言い方にはあきれていても、「癌のほうがよかった」という内容そのものは否定していないとも取れる。そうだとしたら、癌になる(→早く死ぬ)ほうをよしとされた父親を思いやったことにはならないのでないか。ならば娘も、母の本心に共感していることになるのだろうか。確かに、妻だろうが娘だろうが、面倒を見る側になったら大変な苦労になるのは間違いないのだから。
 あれこれ考えるにつけ、つくづく、一過性で良かったなあ、と思うのだった。

 

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