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母の手記

【妊娠から分娩時の経過】

私は、200626日(妊娠256日)より切迫早産にて総合病院に入院していました。ウテメリン(張り止めの薬)の持続点滴で妊娠を維持し、412日(351日)に無事分娩待機で退院しました。胎児期に娘日向子には特に異常はありませんでした。429日(374日)早朝破水し、そのまま自然に陣痛がきて分娩となりました。429日夕方陣痛が強くなり、子宮口が全開大になった時には異常に陣痛を逃せなかったのですが、児頭がまだ高く陣痛室で待機の状態でした。そしてようやく胎児心拍モニターを装着し、一過性の徐脈がみられた後、胎児心拍が80台に低下しました。モニター装着から7分間の出来事でした。急きょ分娩室に移動し、人工破膜後、一回の怒責でツルンと娘は18:57 2793gで産まれました。胎児徐脈後14分での出産でした。出生時臍帯巻絡が3回頚部にありましたが、巻絡を解除した後娘は弱いながらも第一啼泣をしてくれました。


【出生後からの経過と私達の心境】

出生直後

アプガールスコアは6点、7点。第一啼泣の後2回弱々しい泣き声を上げてくれましたが、皮膚色が青白く酸素を吸わないと酸素飽和濃度(以下SPO2)が保てないため、小児科医が呼ばれ診察となりました。私は分娩台から娘の様子を遠目にしながら、皮膚色が非常に悪いことが心配でなりませんでした。夫は、陣痛室で待っており、娘の第一啼泣を聞き嬉しさと、時間がたってもその後何も説明がないことに心配とあせりを感じていました。

娘は小児科入院となり、分娩室の隣にある小児科に助産師さんが連れて行く時、私の横へ連れてきてもらい、目を開け手を握らせてくれました。小児科では、保育器の中で酸素を供給してもらい、夫とも面会しその時も目を開けてくれたそうです。

それから、間もなく娘はPPHNによりアタックを起こしたそうです。医師の話によると、気胸を疑いレントゲンを取ろうとした瞬間に全身蒼白となった。ということです。十数分間その状態が持続し、血圧測定不能、心拍低下はなし、虚血状態であったということです。その後、点滴ラインを採る際に血液の逆流がなく、循環血液量の減少を疑ったそうです。その時点での採血の結果では、PHが6.6重症なアシドーシスにて人工換気を実施し、生理食塩水で循環量を上げ、緊急輸血をおこない、その他昇圧剤やアルカリ剤などの救命治療が開始となりました。出生後2時間経たない間の出来事でした。

最初の診断は、出血性ショック・胎児循環遺残PFC新生児遷延性肺高血圧PPHN

430AM1時半ごろ

諸々が落ち着くまで病室で待ち、深夜1時過ぎに再び娘と対面しました。途中、貧血で輸血が必要なこと、人工呼吸が必要なこと、アシドーシスをおこしていることなどは、夫や産科医から説明を聞いていましたが、人工呼吸器につながれ、塩酸モルヒネで鎮静され、ラインだらけの娘を目の前にして、私は小児科医の説明が頭に入らず、それでいて、冷静に昇圧剤がどのくらい使っているのか、頭での出血はないか、など医師に質問していました。NICUを出てから涙が止まらなかったです。『あの時、もう少し早く産んでいたら・・・元気に産んであげなくてごめんね』分娩時の急激な進行を見抜けなかった悔しさが湧いてきました。でも大丈夫、もっと重症な子供達を見てきたからと自分自身に言い聞かせていました。その夜はあまり眠ることはできませんでした。

 430AM9時半ごろ

夫が来るのを待って面会にいきました。娘の状態は血圧は30台と低く少しの刺激でSPO2の上下肢差が出てしまう状況でしたが、一見見た目には、肌もピンク色になり、昨晩より少し元気そうでした。夫がカメラを向けると両目を開け、まるで両親に会えて笑っているかのような写真写りでした。私達も少しホッとし、今までの経験からも「時間はかかるけどいいかぁ」と思い落ち着いて両家祖父母に早速デジカメの娘の姿をみせました。今考えると少し安堵していた時間はこの半日だけでした。

430日午後

昼食を終えて再び面会にいきました。医師より、昨晩からの血液データーをみせてもらい、午前の安堵感から一転しました。諸臓器がダメージを受けている恐ろしいデーターを見て、そこからの記憶が途絶えました。娘が保育器に入っていたのか、インファントウァーマーだったのか、も覚えていません。また、播種性血管内凝固症候群DICを発症しており、全身状態が非常に悪い状態でした。

夫は医師から『厳しい』と言われても娘の表情からは理解できず、大丈夫だろうという気持ちが強かったと言っていました。

51日(日齢2日)

ここのころの娘の様子についてはあまり記憶がありません。ただ、夫に早朝娘の様子を携帯メールで送ったものが残っていたので、それをもとに記載します。前夜に痙攣様の動きがみられました。「朝5時過ぎに痙攣を1回おこしたということで、昨晩使った薬と似た薬を開始。血圧も下がってきてしまうので、ステロイドを注射で入れたということ。だいぶ浮腫んでしまい、呼吸器の換気条件を上げ、痙攣後は酸素も7080%必要になってしまったよう。日中呼吸器を違うタイプに交換するかもって言っていたです」(メールより)

おしっこが出生後一度出ただけで前日とは違って大分浮腫んできていたことは記憶にありました。

夫は出生届を提出しに市役所に行きました。早く戸籍を取ってしまえば安全だという気持ちがありました。しかし、役所の駐車場で、早いうちに別の届けを提出に来なければいけないのでは、という不安で涙がいっぱいになり窓口にすぐに行けませんでした。