NICUでの体験

 私達親子にとってNICUとは、思いもかけず入院した場所であり、元気に産まれると思っていただけに、こんな過酷な人生を娘に送らせることになることになるとは思ってもいなかったところです。

NICUで娘は必死で生き、生き抜きました。そして親子としての時間を過ごした場所でした。私達は娘の側に居てあげたい、娘が安心していられるようにしてあげたい、と思いNICUに入り浸りになっていました。それでも、娘の人生の半分も一緒にいられなかったのです。人生の半分も知らないのです。NICUはある意味酷な場所だと感じました。

娘は、一旦は回復の兆しを少し見せてくれましたが、ほとんどが低空飛行の状態でした。そんな中で、医師や看護師、臨床心理士いろいろなスタッフに支えられ、娘との時間を過ごすことができました。でも、やっぱり、親子だけの時間があまりに少ないのです。超重症な娘は一時間に何回もスタッフが点滴やバイタルサインや採血やいろいろと処置にあたります。それが必要なことはわかっていても、娘と静かに過ごしたいと思ってしまうものでした。

NICUのスタッフにはいろいろと配慮してもらいました。少し調子が良いときに『祖父母に面会させるのなら、今だ。』と思い、面会をお願いしたところ、すぐに病院の情報センターと連絡してもらい、TVモニターを用意してくれました。誕生したら、使うように用意したものを持ってきていいですとおしゃってくださり、柔らかなシーツや洋服や肌着、タオル、ガラガラのおもちゃなど持ち込ませてもらいました。今となっては、娘が使った大切なものとなりました。

娘が感染症を発症したり、無気肺などになった時は、私(柿原幸代)も元NICUの看護師だっただけに、イライラしスタッフに注文をつけたりしたこともありました。でも、今から思えばそれは、それで親として子供を守るのに必要だったことであり、そうした私達親子を丸ごと受け入れてくれ、娘と一緒に生きることに戦い続けてくれたスタッフに感謝しています。

NICUの現状はとても厳しい状況です。スタッフにもハイレベルな知識技術が求められます。医療人の多くは、大変な努力と無理を重ね、今いる子供達を救おうと頑張っています。そうした現状を多くの人々に知っていただき、新生児医療を社会で支えていって欲しいと願っています。(柿原幸代)

娘がNICUに入院となり、初めてNICUの環境を知りました。様々な医療機器により小さな生命が守られている様子が、部屋に入った最初の瞬間にわかりました。しかし1日目で機械よりもスタッフの動きに驚きました。子供の様子を常に見守り、微妙な変化から状況を判断しなければ命を守っていけない。少し体の向きを変えるだけで子供はずいぶん楽にもなるし、苦しくもなる。命をつないでいるのは機械ではなく、スタッフであることが理解できました。

NICUの環境に入ったことがない人は、イメージとして医療機器とスタッフの立場を逆にとらえ、スタッフが補助的な位置にいると思ってしまっているのではないでしょうか。そして今でも、看護師は医師の補助という考えの人は多いのではないでしょうか。

少しでもこの厳しい環境での勤務を一般の人が知るようになれば新生児医療の改善につながっていくのかと思います。

私たちは、NICUの環境の中のみでしか娘と接することができませんでした。もちろん普通の親子並みの環境があったわけではありません、しかし、NICUのスタッフのおかげで娘との時間を持つことができました。少し前ならば不可能であったかもしれません。スタッフの皆様には、感謝のしようがないほど感謝しています。(柿原仁志)

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入院中の経過と両親の心境
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