機構論の意義と課題


(目次)

T はじめにー本稿の課題とその意義ー

U 石母田機構論の「意図」と方法

V 機構論の意義と課題ー石母田機構論の検証と、課題の析出ー

W 結び


〔T はじめにー本稿の課題とその意義ー〕

 筆者は、前稿で「上部構造」論の、国家論における意義を確認した*1)。それをふまえて、本稿では、第一に、律令制国家の「上部構造」の一部である権力組織を、機構として捉えることの意義ーすなわち、律令制国家研究における機構論の意義ーを確認すること、第二に、第一の課題をふまえ機構論の課題を把握すること、の二つを課題とする。本稿が追究する基本的課題は第二のそれであって、第一の課題はそのための準備作業である。

 この内、第一の課題の意義については説明が必要であろう。本稿で検討する石母田正*2)の機構論の影響もあって、律令制国家の権力組織を整序された国家機構として捉えることは、大方の承認するところと見られるからであり、必然的にその特質は機構論によらなければ捉えられないことになる。結論を先に言えば、筆者もこれらの点に異論はないのであって、今更、なぜその意義を確認しなければならないのかが問題となるからである。

 筆者が第一の課題を設定する理由は、第二の課題に対応する上で、不可欠と考えるからである。たとえば、近年の石母田の学説の影響を受けた研究には次のような記述が見える。

多数の官僚を動員し、全国の人民を対象に均質的な「個別人身支配」を成し遂げて国家支配を実現するためには、即ち支配」を個別の人格的関係から切り離し、国家権力行使のために構造化された非人格的装置たる官僚制の回転によって実現させるためには、命令・意思そのものの非人格化が求められる*3)

引用部は石母田の学説の要約である。本稿と関わる点としては、ここでは石母田の機構論によりつつ、律令制国家の権力組織による支配の特質を、非人格的装置たる官僚制の回転による支配に求めている点が挙げられる。換言すれば、機構論の意義はかかる支配の特質を明らかにし得る点にあるということになる。ただし、注意すべきは、この論文は、機構論というよりは、その一部である文書行政研究に関するものだということである。したがって、機構論の意義を全面的に論ずることを目的としたものではないのだが、機構論の意義に関する現在の学界における一つの水準を示していると思われる*4)。したがって、これを検討することは、本稿の第一の課題の意義を明らかにする上で有益であると考える。

 筆者が指摘したいのは、単に機構論によって、上記のような律令制国家の権力組織による支配の特質が明らかになるというだけでは、権力組織に関する諸事実と、機構論を展開した先行学説(ここでは石母田説)との間に緊張関係を設定することができないということである。かかる緊張関係を設定するには、第一に、そもそも先学がなぜ機構論を設定したのかーすなわち、機構論によって何を問題提起しようとしたのかーがふまえられなければならない。第二に、かかる提起に至る論証過程(諸事実の析出及びそれらの選択・配列)を事実に即して検証することが必要である。先の大平の機構論の意義の把握では、この二つの作業とも行われていない。

 しかし、このような緊張関係がなければ、機構論の課題の把握は不可能であると筆者は考える。第一の作業が踏まえられなければ、いかなる方向で問題を提起し、権力組織のどの側面をどのような方法で分析するかが明らかにならないから、課題の把握はそもそも不可能である。しかし、「機構論の課題の把握」を追究する場合も、第二の作業を無視することはできない。特に重要なのは、かかる作業なしにはー個々の論点の事実認定の検証以前にー機構論を構成する論点の位置づけが把握できないことである。言うまでもなく、「課題」とは、第一にふまえた提起の方向性を受けつつ、それを深化させるべき論点でなければならないから、各論点の相互関係(各論点の意義)が把握されなければ、その析出は有り得ないのである。

 そして、第一の作業は、機構論による問題提起の方向性を把握する作業だから、権力組織論・国家論一般において、機構論がどのような意義を持つのかを把握することである。また、第二の作業はその日本古代の権力組織の特質を捉える上での意義を把握することと言える。とすれば、結局、これらの作業は機構論の意義を把握する作業である。すなわち、先の大平説のように概括的な形ではなく、かかる緊張関係のなかから機構論の意義を把握しなければ、その課題も把握できないというのが筆者の立場である。したがって、第二の課題のみならず、第一の課題が設定されざるを得ないのである*5)。

 本稿では、機構論の意義を把握するために検討する*6)学説として、石母田正の国家機構論を選択する。その理由は、第一に、事実と理論の緊張関係の必要性を強調して権力組織を分析した研究であり、この点では、少なくとも、現在、影響を与えているものの中では、ほとんど唯一といってもいい業績であるからである。国家論の一部としての機構論の課題を把握する上では、古代史研究の業績としては今なお、最適の文献と言っていい。第二に、既述のようなその影響からも分かるように、ここでの分析結果は律令制国家の権力組織の特質を捉える上で、いまなお有効であるからである。

 本稿では、第U章で石母田が機構論によって、何を問題提起しようとし、それをどのような形で論証しようとしていたのかーすなわちその「意図」と「方法」ーを確認し、第V章でその論証過程を検討し、さらに機構論の課題を把握することとしたい。

 ただし、分析に先立ってお断りしておかなければならないことがある。それは、本稿での分析では石母田の「意図」の全容を把握することは不可能であるということである。たとえば、石母田の国家機構論は、あくまでも『日本の古代国家』の中の一章に過ぎず、本来、それのみを分析しても、石母田の「意図」の全容が把握できるかは疑わしい。また、機構論内部でも論点は多岐に渡っており、その意義をすべて把握することは不可能である。したがって、大平ほどではないにしても、本稿の分析もまた「概括的」との批判を免れ得ない。

 しかし、機構論の課題の把握という本稿の基本的課題については、本稿の分析でも十分に対応できると考えている*7)。以上の問題点にもかかわらず、本稿の分析を公表する意義はあると思うので、ご了承を請う。

 

〔U 石母田機構論の「意図」と方法〕

1.石母田機構論の「意図」と方法

 石母田が機構論を展開した、「国家機構と古代官僚制の成立」の本来の構成を、『日本の古代国家』「あとがき」によって示せば、の通りである。この内、第一・二節は国家機構の成立過程の分析であり、第三節以降が律令制国家の国家機構自体の分析である。本稿では、律令制国家の権力組織の特質を捉える上での機構論の意義を把握するのが課題だから、主な検討対象は後者となり、さらにその内、人民闘争・対外「交通」の視点から統一的行政機構成立の意義に迫った第六節「官僚制国家と人民」が除外される。

 しかし、第二節「『政ノ要ハ軍事ナリ』天武・持統朝」の冒頭が次のような記述で始まっていることを看過することはできない。

天武天皇が一三年閏四月の詔で「政ノ要ハ軍事ナリ」とのべたとき、かれは国家についての一つの真実を語ったのである(書紀)。本来の意味の政治権力または国家権力は、一つの階級が他の階級を支配し抑圧するための「組織された強力」にほかならず、「軍事」は「強力」の純粋で典型的な表現だからである。(一七四頁)

この内、太字の部分はマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』からの引用である*8)。この記述の後には、他の制度的、社会的、経済的、イデオロギー的機能と比較して、「『組織された強力』または『公的強力』という属性は、それを欠くときもはや『国家』ではなくなるという意味において、国家の本質的な、固有な属性である。」との記述が見え、そもそも「組織された強力」という属性を無視しては、他の権力体と異なる国家の独自の特質を捉えることができないという見解が示されている。

 ここでは、この『共産党宣言』の見解や、石母田の天武の詔に対する見解の是非を問うことはしない。しかし、石母田が問題提起の方向性を、この『共産党宣言』の記述に見いだしたことは明らかであろうと思う。この第二節は、日本古代における国家機構の本格的成立を分析する節*9)であり、その冒頭にこのような国家についての一般論が引用されたことは、特別な意味が付与されているとみるべきだからである。

 石母田の基本的「意図」は、第一に「組織された強力」という属性を日本古代の場において検証し、国家権力の独自の特質を明らかにすることにあったと見られる。そもそもかかる属性が「それを欠くときもはや『国家』ではなくなるという意味において、国家の本質的な、固有な属性である」とされている以上、かかる検証がなければ、「日本の古代国家」を分析したことにはならないのであって、必然的に本書には国家機構論が設定されなければならなかったと考えられる。「意図」の第二は、第一の検証を通して、かかる属性の日本古代における歴史的特質を明らかにすることであったと見られ、「第五節  古代官僚制」の課題を「古代官僚制のいくつかの問題、とくにそれがもっている古代的特徴について考察する」(三四一頁)としていることに、それがよく表れている。

 事実、石母田機構論の構成ー特に第四節以降ーからは、この「意図」と一定の対応関係が見いだせる*10)。第四節「古い型の省と新しい型の省」は、石母田が「律令制国家の特徴」*11)とする「国家機構の体系」(二一四頁)を問題とする節である。問題が、個別の官司ではなく、それらを編成した「国家機構の体系」であるからこそ、国家の歴史的性格を表す、いくつかの典型的な省の分析が方法として採用される。かかる課題が設定されたのは、前記の「意図」に基づくことは間違いない*12)。

 さらに、第五節「古代官僚制」の@「有位者集団」は「支配階級が、どのような仕方において国家機構と結合されるか」(三四二頁)が問題とされる項である。かかる課題を設定するのは、国家を「一つの階級が他の階級を支配し抑圧するための『組織された強力』」とする見解を検証するためと考えられる。A以降の項目においては、「単一的支配」(モノクラシー)との関連で課題が設定されていることが多い。「単一的支配」とは「最高の指揮命令権に服従」(三五〇頁)することであり、それが官僚制の特徴となるのは、言うまでもなく官僚が運転する国家機構(あるいは国家)が「組織された強力」だからである。したがって、「単一的支配」と関わる論点を課題として設定するのは、前記の「意図」を達成するために有効な方法だったと考えられる。

 A「俸禄制と家産制組織」は国家の、官僚への物的給与を問題とした項であるが、かかる課題が設定される根拠の一つは、官僚が一定の社会的分業の所産であり、彼らを直接生産過程から切り離し、かわりにかかる給与を支給する必要があることである。しかし、それ以上に重要な根拠は、「単一的支配」を特徴とする官僚制においては、私的権力をうみだす私的所有は本質的に否定の対象であることであり、私的所有が否定されればされるほど、国家による物的給与が必然化せざるを得ないことである。明らかに「単一的支配」との関わりで課題が設定されていると言える。Bにおいて「規律と分業」が問題となるのも、意思決定と執行に関与する一切の諸機関・諸官人が「単一の『国家意思』以外のいかなる特殊利害も体現してはならないという秩序と規律を確保」(三五八頁)するために、官僚制が創出されたとの理解に基づいており、ここでも「単一的支配」との関連で課題が設定されていることが分かる。C「昇進と官僚制 官僚制と天皇制」は、基本的に昇進を問題にしているが、この課題自体は官僚制が「単一的支配」を特徴としているから設定されたというものでは、必ずしもない。しかし、「国家は官人の意識の内部を支配することなしには、外的規律のみによっては、官人の労働の給付を期待し得ない」(三六〇頁)とされており、昇進は「官人の意識の内部を支配する」手段とされていることを見れば、それが「最高の指揮命令権」に官人を服従させるための手段とされていることは疑いなく、「単一的支配」との間に一定の関連性を見いだすことは可能である。D「官僚制と法規 形式主義と文書主義」で、成文の法と規則及び文書主義が問題となるのは、ーこの言葉は使われていないがー、再び「単一的支配」との関連である。既に述べたように、「単一的支配」が「最高の指揮命令権に服従する」ことである以上、私的権力とは矛盾せざるを得ない。必然的に、「私」に対する「公」の分離が問題とならざるを得ず、「公」を直接に表現する法と規則、行政における「意思の非人格化」を目的とする文書主義が分析されると考えられる。

2.小結

  以上の分析から、石母田の「意図」と「方法」をまとめるならば、その「意図」は、第一に「組織された強力」という属性を日本古代の場において検証し、国家権力の持つ独自の特質を明らかにすること、第二に、第一の検証を通して、かかる属性の日本古代における歴史的特質を明らかにすることにあったと見られ、「方法」は、(1)国家機構の体系、及び(2)「古代官僚制」に関して@支配階級の国家機構への結合の仕方、A国家の官僚への物的給与、B規律と分業、C昇進、D成文の法と規則・文書主義の各論点を設定し、多様な実証研究によって明らかにされた日本古代の事実に基づいて*13)、それらを検証することであったと考えられる*14)。

 

〔V 機構論の意義と課題ー石母田機構論の検証と、課題の析出ー〕

 本章では、まず、以上の石母田の「方法」を検討し、律令制国家の権力組織を機構としてとらえることの是非を検討する。次に、その検討をふまえて機構論の課題を把握することとする。

1.機構論の意義

 「律令制国家の権力組織を機構としてとらえることの是非」を検討しようとする場合、問題となるのは、前章で検討した各節の内、「第四節 古い型の省と新しい型の省」である。権力組織が整序された国家機構であるか否かは、権力組織を「体系」化したものと捉えうるか否かにかかっているのであって、かかる「体系」の問題を論じたのが、まさに本節だからである。したがって、行うべき作業は、第一に、本節の石母田の論点のなかから、権力組織を「体系」化したものとして捉える根拠となる論点を把握することであり、第二にその是非を検討することである。

 かかる根拠となる論点は、「権限配分に関する意識的・計画的原則」に関する指摘であると筆者は考える。この論点は本節において、八省の分析からまず提起された論点であり、この原則をふまえて、「新しい型の省」ー具体的には民部省ーに見られる、国家機構の体系の特質が論じられる論理展開となっている。まず、石母田の指摘をまとめておこう(二一八頁)。

(1)「権限配分に関する意識的・計画的原則」とは「国家行政の諸分野・諸機能を分割し、それを、それぞれの省の任務または目的としてあらかじめ設定し、それにもとづいて、職務権限の配分、行政事務の分担管理、被管各官庁の配置、それに従属すべき品部・雑戸の統合、分割をおこなうという原則である。」
(2)かかる原則は「新しい型の省」はもちろんのこと、「古い型の省」にも見いだされる。すなわち、それは律令制国家の権力組織の基本的特徴である。
(3)したがって、律令制国家の権力組織は「上から統一的な原理にしたがって、下部機関へと系統的に組織化された官制の体系としてつくり出されたものである」。この点は、「主として伴造・部民制のなかからいわば自然生的に成長してきた断片的な諸官司の集合体として存在」した「大化前代」の権力組織とは異なる、独自の特質である。
(4)かかる権力組織が成立するには、「一つの建物をつくる労働には、完成された形での建物の表象を労働者があらかじめ観念としてもっていることが不可欠の条件であると同じように」、「一つの全体的プラン」があらかじめ存在していることが不可欠である。
(5)かかる権力組織が成立するには、八省百官を構成してゆく技術または方法があらかじめ獲得されていることも、必要である。その技術の一つは「省という行政組織を構成している職・寮・司の単位諸機関、さらにその最終単位をなす個々の官職は、必要に応じて統廃合しうる機械の部品のような性格のものであり、統廃合によって全体の機関体系の存在と機能は影響されないという認識」である。

  (3)(及び(4)(5))から見て、この指摘が律令制国家の権力組織を、それ以前の伴造・部民制とは異なる、国家機構と捉える根拠となっていることは疑いないであろう。
 次に筆者は、この指摘は全面的に正しいと考える。(1)で述べられているような、権限配分に関する意識的・計画的原則」が律令制国家の権力組織において存在することは、それが職員令に規定されていることから明らかである。とすれば、それが(3)で述べられているような「上から統一的な原理にしたがって、下部機関へと系統的に組織化された官制の体系」であることは間違いなく、整序された国家機構と捉えるべきであると考える*15)
2.機構論の課題
 では、機構論の課題はどこにあるだろうか。まず、指摘すべきは、この問題は単に石母田の「意図」と「方法」を把握するだけでは、解決できないということである。『日本の古代国家』において、「第三章 国家機構と古代官僚制の成立」の最終節となったのは、「第四節 古い型の省と新しい型の省」であるが、そこでは、日本古代における国家機構の特質が「強力でおそるべき武器」(二二九頁)と極めて一般性の強い形で把握され、機構論の一応の総括となっている。
 もとより、前記のように石母田に、機構の日本古代における歴史的特質を明らかにするという「意図」があったことは明らかである。しかし、機構の「古代的特徴」の把握を深化させる論点を、石母田が直接、示しているわけではない。敢えて、指摘するとすれば生産関係論・共同体論であり、例えば、「古代的特徴」の一つである、日本の貴族層の天皇に対する相対的優位を、中国と比較して「根本は両者の生産関係の相違に規定されている」(二一二頁)としている。
 機構の特質の一般的把握は、石母田の「意図」に、「組織された強力」という属性を日本古代の場において検証し、国家権力の持つ独自の特質を明らかにするという部分がある以上、当然であったかもしれない。また、「古代的特徴」の把握の深化を、生産関係論・共同体論に収斂させる方法も、「第四章 古代国家と生産関係」が『日本の古代国家』全体の総括的位置を占めている以上、また当然であったかもしれない。しかし、機構の歴史的特質を把握しようとすれば、かかる一般的把握では対応できないことは明らかである。また、前稿で指摘したように、「上部構造」が国家論において独自の意義を有していることを考えれば、「上部構造」の独自の分析を経ないまま、その課題を生産関係論・共同体論に収斂させる方法は否定しなければならない。かかる形で、課題を設定することは、「生産関係・共同体を分析しなければ、機構の歴史的特質は把握できない」と言っているのと同じことで、「上部構造」論の独自の意義を否定し、同時に歴史学の立場からの国家論は事実と理論の緊張関係から生み出されなければならないという「学問の約束」を否定することだからである*16)。したがって、機構論の課題となる論点は、石母田の「意図」をふまえた上で、機構論の枠のなかで、独自に把握しなければならない。
 筆者は、その論点は、天皇と官人との人格的身分的結合関係の特質の解明であると考える。かかる関係は有位者集団の秩序となっているが、この秩序が律令官僚制の秩序を支えていることを石母田は既に指摘している(三六二頁)。ら生み出されなければならないという「学問の約束」を否定することさらに「第五節 官僚制と法規 形式主義と文書主義」においては、法による律令官僚制の支配が天皇への忠誠と不可分であるとの指摘、律令制国家の文書主義が天皇を権威の源泉とする権威主義的体系を特徴とするとの指摘もなされている(三六七頁、三七七頁)。
・指摘A

まず、位階は官職に先行するという原則がある。…有位者集団の成員となることが、原理的に官職占有に先行するだけでなく、歴史的にも前者は後者に先行した。…王権を頂点として支配階級自体を特定の秩序に編成することが、国家の官制体系に選考する選考する第一義的課題であった。(三四三頁)

この指摘の前には、次のような記述が見える。

・指摘B

個々の武士団または領主は、封建制独自の連合体または結合体を構成することによってはじめて、階級全体として、または個々の領主として、農奴階級を支配し得るのであって、この原則は古代においても変化はないのである。古代におけるこの結合体が王民制であり、有位者集団であって、それぞれ古代の支配階級が階級として存在する具体的・歴史的な形態なのである

この内、領主階級の結合体に関する指摘(最初の太字部)はマルクス・エンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』の引用である*17)指摘Aは、このマルクス・エンゲルスの見解を日本古代の機構論の枠組みの中で検証する意味をも持っていたと考えられる。
 この内、天皇と官人との人格的身分的結合関係の特質の解明を機構論の課題として設定する根拠となるのは指摘Aである。この指摘で重要なのは、太字部に見えるように、「大化前代」のみならず、機構が成立した律令制国家段階においても、「支配階級」*18)にとっての第一義的課題が、 「王権を頂点として支配階級自体を特定の秩序に編成すること」ーすなわち、天皇と官人との人格的身分的結合関係に基づく有位者集団の秩序の形成・維持ーであるとされていることである。必然的に官制体系に基づく機構による支配は二次的課題となるから、律令制国家においては、まず有位者集団の秩序が存在し、その上で国家機構による支配が成立する形になる。

 とすれば、有位者集団の秩序が官僚制の秩序を支えることになるのはある意味で当然と言える。また、法による官僚制の支配が天皇への忠誠関係と不可分であることも当然であり、天皇を権威の源泉とする権威主義的体系が律令制国家の文書主義の特徴となるのも、またありうることと言える。すなわち、指摘Aによって、天皇と官人との人格的身分的関係が律令制国家の国家機構の歴史的特質を規定する根拠が明らかとなるのである。
 また、当時の「支配階級」にとっての課題を、天皇との人格的身分的結合関係に基づく集団の秩序と、機構を媒介とする秩序の、歴史的成立過程及び官職任用における原理の、前後関係から析出する方法は正しいと考える。
 ただし、留意すべきは、この指摘は現在の段階ではそのままの形では成立しないということである。石母田のこの指摘の前提には、「大化前代」の「臣連・伴造・国造」と呼ばれた階級または身分の後継者としての官人貴族層が、国家機構を専有し、「白丁」身分を統治するという理解があり、前者の官人貴族層が有位者集団とされている。しかし、吉村武彦によって、官人集団には「無位」が含まれることが明らかにされており、「官人集団を有位者集団とするのは誤りであり、有位者と無位の官人が百姓に対峙する」とされている*19)。「無位」は言うまでもなく有位者集団には属さないから、律令制国家において、有位者集団に編成されることが、原理的に官職専有に先行するとは、必ずしも言えなくなってくる。必然的に、有位者集団の秩序維持を「支配階級」の第一義的課題としうるか否か、さらにそれに基づいて指摘Aを機構論の課題を天皇と官人との人格的身分的結合関係の特質の解明と、設定する根拠と見なしうるかも、検討の余地が生ずる。
 結論から先に述べる。第一に、筆者は吉村の指摘によって、指摘Aには一定の修正が必要であると考える。第二に、にもかかわらず、基本的に指摘Aに基づいて機構の歴史的特質を把握するための課題を設定して差し支えないと考える。吉村の指摘は、かかる課題を設定する上での指摘Aの意義を否定しないと思うからである。
 第二の点を中心に述べていこう。まず、吉村の指摘は冠位制の成立が官職体系の成立に先行することを否定しない。次に、律令制国家の官職任用において、天皇と官人との人格的身分的結合関係の成立が先行することを否定しない。無位の官人は確かに有位者集団に属さないが、天皇から姓を賜えられ、いわゆる「良人共同体」の一員として、人格的身分的結合関係を結んでいるからである。そもそも、官人としての政務は、古代においては、課役負担などと同じく、「良人共同体」の一員としての「仕奉」と認識されており、有位者集団もかかる「共同体」の一部である官人の一般的編成形態である*20)。すなわち、「無位」にあっても、天皇と人格的身分的結合関係を結んで、官職に任用されているという意味では他の官人とかわらないのである。したがって、かかる関係に基づく集団の秩序維持が、当時の「支配階級」にとって第一義的課題であったことは認めてよい。
 ただし、指摘Aが、かかる集団を有位者集団に限定している点は修正しなければならないであろう。「無位」が官職に任用される以上、「支配階級」が秩序維持を第一義的課題とした集団は、「無位」をも含む「良人共同体」であったと考えられる。「良人共同体」には、被「支配階級」も含まれる以上、当時の「支配階級」の課題を「支配階級自体を特定の秩序の中に編成すること」とする見解も検討の余地が生ずるであろう*21)。ことは認 てよい。

 しかし、以上の修正は、官人身分の一般的編成形態である有位者集団の秩序維持が、当時の「支配階級」にとって、機構による支配に先行する課題であることを否定するものではない。言うまでもないが、有位者集団は「良人共同体」の一部をなしているからである。すなわち、有位者集団の秩序維持は、ただちに「支配階級」にとっての第一義的課題であるわけではないが、その一部であることは間違いなく、機構による支配よりも先行する課題であることは修正の必要はないのである。とすれば、かかる秩序が機構の歴史的特質を規定することになること、したがってかかる秩序の特質の解明を機構論の課題として設定すべきこと、は前述の通りである。以上から、筆者は吉村の批判にも関わらず、機構論の課題を指摘Aに基づいて設定して差し支えないと考える*22)。
 機構論の課題の把握は、歴史学の立場から国家をどのように論ずるかという、国家論の方法論の模索の一環であるが、前稿で論じたようにかかる模索は、歴史学の持つ科学性を発展させつつ、現代的要請に応える道の模索でもある。指摘Aは、発表後三〇年以上を経た今日においても、かかる模索の上で重要な意義を持っている。

〔W 結び〕
 以上の行論から明らかなように、機構論の課題は「天皇と官人との人格的身分的結合関係の特質の解明」であると言える。もっとも、かかる課題は筆者が初めて設定したわけではなく、国家展開期を中心に成果が蓄積されている。したがって、次の課題はかかる成果を検討し、さらなる課題を析出することである。国家論における「上部構造」論・機構論の意義、及び機構論における「天皇と官人との人格的身分的特質の解明」という論点の意義をふまえ、かかる作業を行うことは、これらの研究によって明らかにされた諸事実と、国家の独自の特質を「組織された強力」であることに求める一般理論との間に緊張関係を設定する作業となるであろう。


*1)「『上部構造』論と律令制国家論ー石母田説と浅野・高橋説の検討からー」(『井内誠司 日本古代史論集』http://www7b.biglobe.ne.jp/^inouchi/joubukouzou.htm)。以下、拙稿といえば、これを指す。なお、頁数は1頁を41字×29行で表示した場合のそれである。

*2)「国家機構と古代官僚制の成立」「古代官僚制」(『石母田正著作集』第三巻、岩波書店、一九八九年。初出は、一九七一年、一九七三年)。以下、引用の場合は出典を略す。また、引用部の太字は引用者による。
*3)大平聡「音声言語と文書行政」(『歴史評論』六〇九、二〇〇一年)三一頁。

4)宮瀧交二「日本古代の『筆記具』と権力」(註(3)前掲、『歴史評論』六〇九)における石母田機構論の意義の把握も、大平のそれと類似している。また、拙稿で指摘したように、石母田機構論を早川庄八・井上光貞・青木和夫の研究と一括し、独自の意義を把握していない研究も見られる。
*5)前掲の大平論文は音声言語を主たる検討対象としているが、その検討と石母田機構論との関連性は不明確で、前者を以て後者を検証したとは言えない内容である。必然的に(と筆者は考えるが)、機構論、あるいは文書行政論の課題は析出されていない。
*6)尤も、ここで述べている「権力組織に関する諸事実と、機構論を展開した先行学説との緊張関係」は、石母田が『日本の古代国家』において設定した「事実と理論の緊張関係」とは、同じ「緊張関係」と言いながら内実を異にしている。とりわけ、先行学説の検証の深さは比較にならないと言ってよく、後者が新たに古代国家論をうみだす作業であったのに対し、前者は国家論はもちろん、機構論さえ直ちには作り出すことができないことが、そのことを如実に表している。このような点からすると、ここでの先行学説の検証を、わざわざ「緊張関係」などと称し、石母田の提起と関連させる必要はないのではないか、との疑問が出てくることも考えられる。
 しかし、筆者はここでの検証を「緊張関係」と称して差し支えないと考える。なぜなら、石母田が強調した事実と理論の緊張関係とは、本質的には歴史学の立場から国家を論ずる際の一般的原則・基本的手続きーすなわち、「学問の約束」ーだからである。
  本稿での検証が『日本の古代国家』のような深さを持たないのは、本稿で追究するのが「機構論の課題の把握」という、「新しく何かをうみだす」ための準備作業であることが直接の原因である。課題が違うのだから、『日本の古代国家』とは作業の具体的内容がことなるのは当然である。そもそも、研究者の数に応じて課題はあるのだから、作業の数も研究者の数に応ずるのであり、全研究者が石母田と同じような作業を行わなければならないということはない。仮に、この点を否定するとすれば、研究者の個性・主体性を否定することになるから、結果として、日本古代史研究の立場から現代的要請に豊かに応えることを否定することになるだろう。
 しかし、本稿のような作業であっても、「学問の約束」をふまえなければ所期の目的を達成することができないのは本文で述べたとおりである。というより、いかなる課題設定においても踏まえられねばならないからこそ、それは「学問の約束」なのであって、したがって、石母田の述べる「緊張関係」とは課題設定と作業内容を限定する概念では、本質的にはない(石母田の当時の関心にしたがって、力点が置かれている部分はある。拙稿、5頁参照)。
 したがって、ここでの検証を「緊張関係」と称して、別に問題はない。むしろ、石母田との課題設定・作業内容との相違を以て、筆者の立場を否定することは、「緊張関係」の適用範囲を特定の課題設定・作業内容に限定することになるから、石母田の提起を尊重しているようで、むしろその意義を矮小化しているものと考える。
 なお、石母田が、日本古代の諸事実との間に緊張関係を設定した「理論」とは、日本の古代国家を分析した先行学説ではなく、主として西欧型の国家から機能された国家の一般理論であって、かかる理論の、日本古代史研究の立場からの検証は近年でも行なわれている(例えば、浅野充「日本古代における都市形成と国家」〔『国立歴史博物館研究報告』七八、一九九九年〕)。しかし、石母田がかかる理論との緊張関係のなかから、独自の日本古代国家論を生み出したのであるから、今度はーかつて、石母田がマルクスやエンゲルスなどの学説に対してそうしたようにー、石母田の「われわれの古代国家論」(四頁)と、日本古代の諸事実との間に緊張関係が設定されなければならない。
*7)したがって、少なくとも緊張関係が「不足」しているとは言えないと考える。
*8)国民文庫本五六頁。
*9)第一節で分析された天智朝はあくまで過渡期とされている。
*10)第三節「東洋的専制国家 天皇制と太政官」では、「律令制国家が『東洋的専制国家』の一つの型としてとらえることが正しいかどうか、またいかなる意味で正しいか」(一九三頁)を検証することが課題となるが、この課題設定は、ー第四節以降の論点に比べー上記の意図との明確な対応関係は見いだせない。
*11)前後の行論から、「それ以前の権力と比較しての特徴」と見られる。
*12)ただし、この説での国家機構に対する石母田の評価は、一般性が強い(後述)。
*13)官僚制については、「もっとも研究の精密化している」(三四一頁)分野との認識が見える。
*14)「方法」については、至極当然の感もあるが、各論点の位置づけの把握が必要なことは既に述べたとおりである。また、『日本の古代国家』においては論点が必然性を以て設定されていることがわかる。

15)大平註(3)論文が検証した「音声言語」の例に見えるように、石母田の段階と異なり、現在では、律令制国家の権力組織の、七世紀以前との連続性を強調する見解も発表されている(なお、大平自身はそのような立場に立つわけではない)。しかし、言うまでもなく、権力組織が七世紀以前と共通する部分を持つことは、その基本的特質が国家機構であること(すなわち、共通する部分を持ちつつも、それ以前の権力組織とは基本的特質を異にしていること)を否定するわけではないから、機構論の意義も否定しない。このような議論の一つの特徴は、「音声言語」のような機構の一般的特徴とは異なる部分の強調にあるが、それは機構論の意義をふまえ、その歴史的特質の問題として追究されるべき問題である。本稿で問題としているのは、かかる歴史的特質を把握するための課題の把握であるから、本稿での作業、さらに把握された課題の分析を通じて、このような議論が生みだした成果を発展させるのに有益な論点を提供することもできるだろう。
*16)ただし、石母田が単に生産関係論・共同体論に総括的位置を与える国家理論を日本古代に適用するのではなく、「上部構造」と生産関係論・共同体論の間に緊張関係を設定していることは、拙稿で述べたとおりである。
*17)合同出版本、三六〜七頁。なお、石母田が前近代の諸国家において、「支配階級」が機構や制度を媒介とする結集と人格的身分的関係を媒介とする結集の、二重の仕方で結集するとしたのも、この『ドイツ・イデオロギー』の指摘に示唆を得たものであろう。
*18)ここでは、便宜的に「支配階級」を国家機構を専有し、政策の意思決定から実務までを掌握する集団としておく。なお、大町健は在地の共同体の支配者であり、したがって支配階級の一部である村落首長は国家機構に編成されないとする(『日本古代の国家と在地首長制』校倉書房、一九八六年)。
*19)吉村武彦「古代の社会編成」(『日本古代の社会と国家』岩波書店、一九九六年)、一四八頁。
*20)「良人共同体」は、天皇を超越者とし、賎身分を排除して成立する。詳しくは、石母田正「古代の身分秩序」(『石母田正著作集』第四巻、岩波書店、一九八九年。初出は一九六三年)、大町註(18)書、吉村註(19)書など参照。「仕奉」については吉村前掲書参照。
*21)なお、大町註(18)書によれば、「良人共同体」は在地の共同体の支配者である村落首長と、共同体成員との階級対立を隠蔽するための擬制とされる。被「支配階級」を含む「良人共同体」の秩序維持が「支配階級」の第一義的課題だからといって、日本古代における階級の存在や、階級間の対立を、直ちに否定できないのはいうまでもない。
*22)逆に吉村の律令制国家の分析は、当時の「支配階級」の課題が明確ではなく、静態的と言われた石母田の分析以上に静態的である。


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