チャンピオンダイジェスト 1990年9月号 掲載記事
系統確立への道 勢山系
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チャンピオンダイジェスト 1984年1月号 掲載記事
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SS278
初代勢山系確立者 勢山庄太郎鳩舎作翔
”SS278”

大正15‐278 B ♀
勢山鳩舎基礎鳩

1929年(昭和4年)5月25日放鳩
釜山〜大阪間 600K 1位

曾孫 ”ゴールデンスター”

ゴールデンスター
二代目 服部愛之助鳩舎作翔
”ゴールデンスター”

昭和50‐50651 B ♂
細川鳩舎基礎鳩

1940年(昭和15年)6月18日放鳩
長崎県平戸〜大阪 600K

同腹 ”14−5733”
長崎県福江〜大阪 700K優勝 金の銘鳩賞

253
三代目細川勢山系確立 細川英次郎鳩舎作翔
”253”

51‐0253 BWF ♂
細川鳩舎基礎鳩

52年農林大臣賞 700K(秋田下浜〜京阪神) 全国優勝

直仔 52−2113 農林大臣賞(秋田一日市〜京阪神) 700K 近畿1位
孫 56−70105 郵政大臣賞 600K 西日本優勝 郵政大臣杯受賞

ブライト・スター号
四代目Y.S系確立 山下鉄夫鳩舎作翔
”ブライトスター号”

50‐27711 B ♂
山下鳩舎基礎鳩

昭和50年日本選手権福山 600K 全国優勝
山下さんとの出会い

昭和53年1月オリンピアードの際、競売で目にした1羽の勢山系の鳩が気に入り競売に参加しました。 もともと、雑誌で見たり話などを聞いて勢山のファンでした。 しかし、他にもう一人欲しい人がいたようで競り合いになりました。 そのもう一人とは、山下さんと同じなにわ支部から上京していた生田福造氏でした。 山下さんは初めての競売で、勢山とはこういう鳩だというお披露目の目的で出品したため、手放す気はなかったようです。ですので、生田氏がこの鳩を落札して持ち帰る予定でした。 しかし、私も譲れませんので値段はドンドン上がりました。 困った生田氏が山下さんに電話したところ、「自分の作出した鳩をそこまで気に入ってくれるなら…」と私に譲っていただく事となりました。 その鳩とはゴールデンクィーン号です。

そしてその後、山下さんからはがきを頂きました。 そのはがきには、この鳩を落札したことに対する例と、この鳩についてのことが細かく記してありました。 山下さんとの交流は、この時から始まりました。

山下鉄夫氏

ゴールデンクィーン号
勢山ゴールデン・ニスモ号

山下さんと電話で話している時、 勢山ゴールデンクィーン号の直仔×孫掛けで鳩を作ってみてはどうかという話題になりました。 これには絶対すごい鳩ができると2人で確信。 そしてできた鳩が勢山ゴールデン・ニスモ号です。 勢山系でグリーン目ができたらすぐ種鳩にしていました。 勢山ゴールデン・ニスモ号もグリーン目でした。 関西で言う出目にもなっていていました。
1992年、協会のオリンピアードの帰り、山下さんと協会副会長の岩田氏が水戸に来てくれました。 岩田氏は勢山ゴールデンクィーン号を見て感動してくれましたが、勢山ゴールデン・ニスモ号を見た時にすごい声で 「なんでこんな鳩が水戸におるんや!俺に譲ってくれ!」 と言ってくれました。 私は丁重にお断りをしました。 そういうエピソードがありました。

勢山ゴールデン・ニスモ号