2010/3/23 0:50
タイミングは「はずせない」ことについて補足、かな。 (今日のひとこと 5)
今日のひとこと 4 でタイミングははずせない、ということについて書きました。
その後、コメントを頂きまして、私も返事を書き、
そのやりとりを頭の中で反芻しながら
朝、コーヒーを入れている最中に
今回は、「声」ではなく「映像」を見ました。
いや、「見る」というと嘘っぽいかも。
額のあたりに浮かんだ、といえばいいのか。
いや、それも定かじゃないなあ。。
うん、でも「どこで見たのか」を考えたら
「眼」よりも「おでこ」と言うほうが、どちらかというと
合っているから、そういうことにしておこう。
タイミングは、(自分が)はずさない、のじゃなくて
(必然的に)はずせない のか。。。と思っている、その時
大小ひとつずつの歯車が、お互いにかみ合って回っているのが
見えました。
おそらく、タイミングがはずせない、というのは、
この歯車と同様、
もうかみ合っているのだからはずすことが不可能・・・
という事を、映像をもって念押しさせられたのかなと。
でも、何で歯車?って思っていたその時
あれ?何かのテレビ番組で、
マヤ暦がかなり長いこと、歯車で作ったカレンダーで
構成されていた。。。。的なことを放送していたなあ。。。
と思い出しました。
どんなものでも、歯車の歯になっていて、ひとつのモレもなく
毎日を動いている(生活している)から
かみ合わないことがないから、
タイミングもはずすことがないばかりでなく
「はずせない」仕組みになっているのだ・・・・
とでも言いたげでした。(でも、誰が?)
すべての事象が、すべて偶然ではなく必然的に
動いていて世界を構成しているのであったら
「風が吹いたら桶屋が儲かる」話だってありえるだろうし
「クレオパトラの鼻がもっと低かったら世界は変わっていただろう」
とよく言われる言葉も合点が行く。。。
うまく表現できないけれど、わかってくれる人が居るとうれしいです。
きっと今は、眠いからだ、きっともっと後になったら
上手に説明できるさ、とも思うけれど
忘れないうちに書いてしまおうと思った次第です。