法幢寺の沿革

 法幢寺は健治2年(1276年)に村主藤田常胤が開基となり、善光寺如来の分身として阿弥陀三尊像を金銅をもって鋳造し本尊として奉ったというが(『会津温故拾要抄』、明応3年(1849年)玉譽上人の開基ともいう(『新編会津風土記』)。
 その後、堂宇廃れたのを天中年中(1532~53年)に三世の智鏡上人が再興した。
当寺の本尊は「銅像阿弥陀如来及両脇侍立像」である。中尊の阿弥陀如来像の背面に刻まれた銘より、当寺の浄土教の隆盛と、善光寺如来の信光の広まりをうかがわせている。
 また、阿弥陀三尊像は紀年銘の明らかな秀作として、昭和4年(1929年)に国宝に指定され、戦後は国重要文化財となり、〝会津の善光寺さん″として地域の深い信仰を得ている。
 また、慶応3年(1867年)に建てられた大黒堂(土蔵)に大黒天が安置されている。丈二尺余の木像の一木彫、形相壮美「寛文年中(1661~73年)伊佐須美神社の境内より移す。大黒は運慶作」(『新編会津風土記』)とあるが詳らかではない。この大黒堂には安政6年(1859年)9月上旬に発句を書いた扁額が納められている。
 なおこの他、「涅槃」「地獄」「極楽」の三軸があり、大事に保管されている。庫裏の北東裏には「正一位院中稲荷神社」が祀られ、法幢寺の司掌で祭祀が行われている。
 客殿裏には、樹齢不詳の栂の大木が枝を張り、前庭には、樹齢100年を超す「百日紅」があり、真夏にはると紫じみた桃色の花が見事に咲き誇る。(※このページの写真の花が百日花。毎年8月のお盆頃が見頃)