|
東欧4ケ国;旅の思い出 Wienその1…Part1(2005.11.6)
東欧4ケ国のツア−ル−ト(再掲)
|
|
オ−ストリア 首都ウイ−ン
ウイ−ンへの旅立ち…2005.11.6(日)。
ブタペストの夢の中のようなひと時をすごした私たちは愈々最終訪問国
オ−ストリアへ向けて出発の朝を迎えました
・モ−ニングコ−ル6時
・朝食7時
・ス−ツケ−スを廊下へ7時
・ホテル出発8時
・チャ−タ−バスにてWienへ約240km約4時間
|
|
■国旗の意味/正式の国旗は中央に鷲が入っているが、
一般で使うときはこれを取っている。赤と白が使われているのは、
十字軍の遠征の際、当時のオーストリアの大公レオポルト5世の
純白の軍服が敵の返り血で真っ赤に染まり、ベルトの下だけが白
く残ったという故事からきている。
☆ 1278〜1918年ハプスブルク家が支配。第一次大戦後共和国となり、
1938年ドイツに併合。第二次大戦後、米・英・仏・ソ4国によって分割占領。
1955年主権回復、永世中立国となる。 |
|
オ−ストリア共和国は西側はドイツ:北側にチェコ:東にハンガリ−:西南はスイスに:南の一部にイタリァなどと8ケ国と国境を接しています。
面積/ 8万4千平方km(北海道とほぼ同じ)で東西に540kmと細長い。
国の南に連なる東部アルプスの山々が国土の2/3を占め、起伏の多い渓谷と、
渓流と氷河により形成された山岳地帯特有の複雑な地形が、美しく、
北部を西の隣国ドイツから流れ出るドナウ川が最北東端に位置する
首都ウィ−ンを横切って、東の隣国ハンガリ−へと流れ込んでいます。
人口約810万人、首都ウィ−ン約160万人時差は約8時間遅れ。通貨は1ユ−ロ=145円前後。
ウイ−ン市内中心部案内図
|
|
ブタペストから約4時間のバスの旅で、みなさん少しお疲れ気味道中はとても静かでした。お昼頃無事到着、ウインナ−シュニッツェル、クリ−ムス−プ、サラダ、ケ−キなどのお昼を食べたレストラン。 |
ハプスプルク家支配の歴史
結婚縁組政策によって6世紀半に及ぶ長期間、中央・東ヨ−ロッパにおける大帝国を維持してきたハプスブルグ家
@オ−ストリア、ハンガリ−、チェコの3国に重なる歴史は初代から27代までハプスプルク家支配の歴史でもあったことでした。1200年代後半に神聖ロ−マ帝国の皇帝でもあったルドルフ1世が初代オ−ストリア国王に在位したあと、1700年台初頭20代目のカ−ル6世がなくなった後、息子が居らず、長女マリア・デレジァが21代目の国王に40年間半分は戦争に明け暮れながら在位しました(神聖ロ−マ帝国の皇帝は夫のフランツ・シュテファンが継承)。その間16人の子供を育てたそうですが、その末娘が有名なフランスのルイ16世と結婚したフランス王妃のマリ−・アントワネットです。
Aフランツ・ヨ−ゼフ一世は18歳で即位し1840年から1900年初頭まで第26代オ−ストリア国王(在位約70年)となり,エリザベ−ト(美しい后妃だった)と結婚、エリザベ−トは幼いころからシシイの愛称で呼ばれていたようです。 |
26代国王の后妃エリザベ−ト(愛称シシイ)
シシイ博物館と皇帝の居室
館内は20室あまりの部屋からなり、当時を偲ばせ、歴史の重みを感じさせる貴重なものが数多く陳列されていました。撮影禁止であり、旅のしおりなどからです…………
|
エリザベ−ト(シシイ) |
|
|
|
シシイの化粧室です、いゃあ驚きました、この時代に体操器具や、つり輪もあったりで減量に気を遣っていたようです |
シシイが使用していたという浴槽ですが150年も前に合金のようなものでしたが、こんな立派なものが製作できる技術が良くあったものと驚きました。 |
|
|
|
|
シェ−ンブルン宮殿
ハプスブルク家の夏の離宮と言われ、広大な敷地に宮殿の他に馬車博物館、バロック様式の宮殿劇場、バラ園、日本庭園などがある。シェ−ンブルンとは「美しい泉」という意味のようです。とにかく巨大で美しく、圧倒される建物でした。
絵画で見る宮廷の女性の衣装等は豪華だが、皇帝自身の生活や部屋は質素だと感じました。大帝国の皇帝ともなればハ−レムを想像しがちだが実質的にオ−ストリア最後の皇帝となった第26代のフランツヨ−ゼフ皇帝(1848〜1916)は、いつも軍服姿で、多くの書類にサインし寝る暇もないほどの激務だったようです。
|
シエ−ンブルン宮殿前
|
シエ−ンブルン宮殿付近の風景
|
シエ−ンブルン正面北側入り口
|
シエ−ンブルン南側入り口(裏側)
|
宮殿内結婚式その1
|
結婚式場があり幾組みかのカップルに出くわしました。おめでとう。
|
宮殿南裏庭の風景
|
|
|
|
|
|
宮殿内で公開されているのは2階部分でした、フランツヨ−ゼフ皇帝の居間→ヨ−ゼフ皇帝寝室・皇帝の馬上像→マリ−アントワネットの部屋(ヨ−ゼフ皇帝の全身像)→子供部屋(6人の王妃の絵画)→マリアテレジア朝食室→モ−ツアルトが演奏した鏡の間→大ギャラリ(天井のフラスコ画)→中国サロン→漆の間→ナポレオンの部屋→百万の間→等の39室をガイドさんが説明してましたが全てが豪華絢爛夢の世界でした。
中でも豪華なのは、「会議は踊る」で有名な大広間(宮殿内画像…大ギャラリ)。連夜の舞踏会の余韻が
伝わってくるような雰囲気でした。
宮殿内部
宮殿内はすべて撮影禁止で監視厳しく、旅のしおりなどから…、絢爛豪華で、こんな感じです
|
|
|
大ギャラリ− |
ナポレオンの間 |
|
|
|
美術史美術館
|
新王宮
|
21代目の女帝マリア・テレジア像;背景自然史博物館
|
オイゲン公像と新王宮
プリンツ・オイゲンはフランスのサヴォイ公の息子としてパリに生まれたが、オ−ストリアに亡命。皇帝軍の総司令官となってトルコ軍を破リウイ−ンの危機を救った。ベルヴェデ−レ宮殿は彼の夏の離宮とのこと。 |
|
フランツ二世像:背景は皇帝の居室;右手がシシイ博物館;
|
カ−ル教会
18世紀前半のウイ−ンで最も美しいバロック建築の教会と言われているようです |
|
|