福岡市原爆被害者の会       
          (福岡市
折鶴会






  



 
被爆体験談
被爆の惨状
(写真集)
被爆の実態
原子爆弾による被害   
 1945年(昭和20年)8月6日広島市、その3日後の8月9日長崎に人類史上初めて原子爆弾が投下されました。
 広島市と長崎市に投下された原子爆弾とその被害の状況にはどのような違いがあったのか、広島市と長崎市のホームページに記載されている内容を基に、その違いを比較してみました。
項  目 広 島 市 長 崎 市
  日時   1945年8月6日8時15分   1945年8月9日11時02分
  コードネーム   リトルボーイ(ちび)   ファットマン(ふとっちょ)
  爆弾の材料   ウラン325   プルトニーム
  爆発威力(TNT換算)   約1万5千トン   約2万1千トン
  爆撃機   B29爆撃機(エノラゲイ)   B29爆撃機(ボックスカー)
  投下高度   高度9,632メートルの上空から投下   高度9,600メートルの上空から投下
  炸裂   地上約600メートルの上空   地上503メートル〜±10メートルの上空
  爆発時爆心地周辺の地上の温度   3,000〜4,000度(摂氏)   3,000〜4,000度(摂氏)
  爆発時爆心地周辺の最大風速   秒速 440メートル   秒速 440メートル
  当時の人口   約35万人   約24万人
  死者数   約14万人   約7万4千人
 爆心地よりの距離による被害状況と放射線による被害の状況は、両県のホームページ等に詳しく記載されています。
※平坦な地形の広島に比べ長崎は、周囲に山があり、爆風など爆発の威力が遮断されたことにより、被害が小さくなったといわれています。