到着したヒースロー空港ではちょっとしたハプニングがあった。
税関でパスポートを見せて入国するのだが、そこに居た厳つい顔の入国管理官が私のパスポート・・・というか私自身に難癖を付けてきたのだ。
『貴方がアリス・・・・?女性だろ?は?男?しかも歳が30歳を超えているって?写真は確かに貴方の顔だが、とても信じられない、クレイジーだ!どうみても女学生にしか見えないぞ!』
ぶつぶつと呟きながら大げさなジェスチャーをしている管理官を睨みつけてやる。
信じられないのは私のほうだ。その場に居たのが私だけなら事態はもっとややこしいことになっていたに違いない。なにしろ口に籠った発音に加え、やけに早口だったから後半の聞きとりがほぼ壊滅的だったから。何を言っているのかわからない、では事態の収拾にこぎつけることが難しいからだ。
なんとか事なきを得たのは苦笑いをしながらも丁寧に説明をしてくれた火村が居てくれたからに他ならない。
というか火村が見せた身分証が功を奏していたというべきか。。
英国におけるスミス家の影響力は思いのほか強いらしく、上司に確認を取った管理官は、身分が明らかになった途端にそれまで浮かべていた厳しい表情が嘘のようににこやかに笑って言ったんだ。
『よいご旅行を!』
大きなお世話だ!
怒り任せに貰い煙草をした。
約半日振りとなる煙草を味わうように吸っている火村は、にやにやを張り付かせたままで、私が嫌そうに睨みつけるとそしらぬ顔をして紫煙を燻らせる。
まったく、酷い目に会った。
これでやれ身体検査だ、身元照会だなど大事に発展していたら目も当てられない。長時間のフライトで疲れて居るところにふってわいた難癖に
機嫌を斜めにしたままアリスはやけ煙草をふかしていた。
久しぶりの喫煙を経て御機嫌な火村はくつくつと笑いながらも手に二人分の荷物を持って歩いている。
その大きな背中にばしんと張り手をかましつつ並んで歩くと
ほどなくして建物の外へと出た。痛いな。一言だけ文句を言うも火村の態度は変わらずでそれがなおさらアリスのイライラを誘ったりもするのだが当の火村は慣れたモノ、気にもしない。颯爽と足を運びドアを開ける仕草さえやけに気障に見えて更にイライラだ。それでも促されるまま辿りついた車止めに停まっていた黒塗りのリムジンハイヤーには驚いてしまった。
「は?こんな仰々しいお出迎えなん・・・?」
「仰々しいってお前・・・。長時間のフライトに耐えたんだ、コレ位の贅沢はいいだろ。乗れよ、アリス」
見事なまでの「アリスファースト」で促されアリスはその車内に身を滑り込ませた。
私たちが乗り込むと車は静かに走り出す。
我ながら単純だな、と思ったが・・・初めて乗る黒塗りのリムジンにテンションは直に回復した。
まるで包み込むような上質な椅子はとても車の中とは思えない快適さ。木目調のインテリアはピカピカに磨きあげられており、ウエルカムドリンクのシャンパンはほどよく冷やされている。まさに贅沢の極み。多少のイライラなどアッと言う間に吹き飛んでしまうというものだ。
「なあ、なあ、火村!今日は予定、無いのやろ?」
「ん?・・・ああ、まあ無いな」
へへ、と先ほどまでの不機嫌など微塵も感じさせない笑顔でアリスは笑っている。その笑顔を好ましく思いながら火村は足を組みかえた。
「どうしてだ、アリス」
リムジンの黒い革張りのソファに深く腰をかけた火村は頬杖を付いてアリスを見つめていて、その視線がやけに絡むような気がして私は咄嗟に目を逸らしてしまった。
「予定無いんなら、行きたいところがあんねん。今日泊まるのってロンドン市街やろ?
市街ってどこらへんのホテルなん?」
「・・・・チャリング・クロス・ロードに面したナンバー・ファイブ・マドックス・ストリート・ホテル。
比較的新しいが5ッ星を獲得している新鋭デザイニングホテルだよ、アリス」
軽く傾いだ体勢で火村は少しだけ微笑んで優しく見つめてくる。
その言葉に、胸のうちがじんと熱くなってしまった。
「チャリング・クロスロードって・・・火村・・・」
「ああ。マーダー・ワンまで徒歩圏内だ。・・・・・きっと気に入る」
なんてことだ。私が其処へ行きたいというのを見越してホテルまで手配してくれていたとは。
しかも、5ッ星を獲得していても古くないホテル。私が古いホテルの持つ独特の雰囲気が怖いのを知って・・・?
湧き上がるような嬉しい感動を抑えきれずに、思わず火村に抱きついてしまった。
火村が体勢を保つようにして抱きついた私を抱えるようにして腕に抱きとめる。
「アリス・・・・、大変嬉しいがパブリックスペースじゃ不味いんじゃないのか?」
「・・・・ええねん、車の中は。火村・・・・、ありがとう」
いいさ、という火村の呟きは合わせた私の唇によって呑み込まれて。
先ほどよりも深い口付け。先ほどはしなかった苦い煙草の香りが私を安堵させる。のだが。
「んっ・・・・、んんっ・・・・!って火村っ!」
いつの間にか私を抱きとめた火村の掌が腰のあたりを撫で回していて。
互いの吐息すら奪い合うような濃密な口付けへと変化した触れ合いをすんでのところで引き剥がすと、なんとも恨めしそうな瞳で見つめる火村が居た。
「な、なんや・・・・?」
「アリス、買い物は・・・、明日にしないか?」
「はあ?折角キミが取ってくれた部屋やろ?明日なんて言わんと荷物を置いたらすぐに出掛けるで!」
「・・・・・」
ぶつぶつと何かを呟く火村の声は聞こえない振りをした。
そうとも、折角ロンドンまで来たのだ。
このチャンスを逃す手は無い。
そうこうしているうちに車はホテルに着いたらしい。
見上げる概観は落ち着いていて申し分ない。
洗練された雰囲気の中、案内された部屋もまたまるでインテリアショップそのままのようなデザイン性が高い、それでいて寛げる様に配慮された上質のものだった。ロンドンの市街地に位置しているのにも係わらず、パーティーが出来そうなほど広い室内は此処がランクの上の部屋なのだと知らしめている。いくら旅費が火村持ちだからとはいえ、1泊幾らくらいするのだろうか、などと下世話な事を考えてしまうのは・・・まあ仕方ないだろう。
「アリス・・・・?」
「ん?ああ、なんでもない!さ、行こ、火村」
あまりの不慣れさに呆けてしまったアリスを訝しげに見つめる視線に気がつくと、
手荷物だけを鞄につめなおし、腰重く未練がましく私を撫ぜている火村の手を引いて連れ出した。
疲れているようだから「休んでいていい」と言ったのに、「独りで行かせるのは心配だから」とか言ってきかない。
「子供じゃないねんから、本屋くらい独りで行けるわ!」
「甘い、アリス。変な男に攫われでもしたらどうするんだ?絶対着いていくからな」
いまいち火村の言っている意味が分からないが、どうしても付いてきて欲しくないわけでもないから結局は二人連れだって部屋を後にした。
憧れのマーダー・ワンまであと少し。この為にはるばる英国まで来たわけではないのに
アリスの心は既にミステリ一色に染められている。
そんな様子を見て取った火村はさり気無くため息を付いた。
まさかこの地にアリスを伴って戻ってくる日が来るとは思っても見なかった。
アリスを連れて来い、と言っていたじいさんの思惑はなんとなくわかるが、それを考えると
少々面倒くさい気になる。
放って置いてくれ、と言ったのにな・・・。
断ち切れない血縁というだけの絆を持て余しつつも、喜ぶアリスを見てそれもいいかと思う。
実際に今ここでこうして楽しそうな笑顔をつくりだしたのは、自分が持っているスミスの名前と生前分与されていた資産があったからだ。
勿論、アリスはそんなことにこだわりはしないだろうが、その力の成せ得る技は事のほか大きい。今まではひた隠してきた物だったが、有効に使うのもまた在りなのかもしれないなと思えるくらいには。
所詮つまらない拘りだったのかもな。そんな風にも思えて我ながらおかしくもなる。やや自嘲気味に笑いとなりを見ると、アリスは物珍しそうにあたりを見回していた。
ふらふらと歩く、その様子が危なっかしくて火村は手を伸ばす。
「火村っ・・・・・、此処往来やで?」
「・・・誰も俺達のことなんて知らねぇだろ?平気さ、アリス」
手を、繋ぐ。
その手を、離さずに歩こう。
その温もりを、感じていこう。
「・・・それに、どうやら女学生にしか見えないらしいからな、アリスは・・・」
「なっ、なんやて?」
顔を真っ赤にして大きな瞳を見開くアリスは、本人的には相当いきり立っているのであろうがそんな顔さえ愛おしく思える。
「オレが、じゃないぞ?さっきの入国審査で言われてただろ?なんだ、気がついていなかったのか、アリス」
「知らん!」
だからどうにも放っておけないんだ。そんな人間が俺に居るなんて信じられないとじいさんは言うだろうな。
それでも、俺はアリスと出逢った。
あの日、出逢えた事に・・・素直に感謝している。
それまでの人生が味気なく作られたものだったから、なおさらに。
家を捨て、名前を捨てて、俺は“火村英生”という自由な人生を手に入れた。そして“有栖川有栖”というかけがいの無い大切な伴侶を手に入れたんだ。
それで、十分じゃないか。
何を拘り、何を恐れる必要があろうか。
見えてきた看板にアリスが喜びの声を上げるのを悦ばしく響く。
時間を越えてきた2人の長い一日はまだ、これから・・・。
続きはR18です。飛ばしていただいても内容に支障はありません。
Author by emi