真実と有用性 -11-


アリスはそっと遮光板を下ろした。
どうやら雲に覆われているらしく、窓から見える空は暗い。

関西国際空港を飛び立ってから既に8時間が経過したが、ヒースロー国際空港到着予定時刻まではあと4、5時間もある。
通常イギリスとの時差は9時間なのだが、今の時期はサマータイムになるために8時間となっているらしい。
それでも、日本から時間をさかのぼるようにして移動するのはどうしても抵抗があった。
関空を飛び立ったのが金曜日の午前9時の便だと、ヒースローに到着するのは日本時間では午後9時すぎ。約12時間半の長い空の旅という事になる。
それなのに、現地時間では到着は午後の2時すぎ。
4時間強でイギリスまで到達したことになるのだ。
やけに長い一日、ということがアリスにとっては気持ちが悪くて仕方が無い。
まさに、超克の旅、だ。

「なんだ、疲れたか?アリス」
「大丈夫や・・・」

広めの席で肩を回すアリスを見やる火村が心配そうな顔をして尋ねてくるのに、笑顔をもって答える。2人用に仕切りの外されているBOXタイプのシートは大人の男が収まっても尚有り余るくらい広い。勿論、180度リクライニングで先ほどまでアリスも火村も横になって眠っていたのだ。
・・・・少なくともアリスは熟睡していた。


飛行機のチケットやら滞在するホテルなどの手配は全て火村がしてくれた。
今回はスミス家から費用が全てまかなわれるということで、飛行機のチケットはこの先おそらく縁が無いであろうファートクラスで。おかげで約半日という長いフライトにも耐えられそうだ。
到着はロンドン、ヒースロー国際空港。時差に慣れるためにといって着いたその日はロンドン市街に宿泊。そして、翌日、ロンドン郊外にあるというスミス家の本宅へとお邪魔する予定になっている。

「なあ、火村・・・。今日はホテルに泊まるとして明日からはどないするん?・・・まさかとは思うけどいきなりスミスさんのお屋敷にお邪魔するわけやないよね?」
「ああ。勿論だ。あんな家に長居していたら全身にカビが生えちまうよ。・・・通っていた大学の近くに俺名義の家がある。そこへ泊まろう。すでにハウスメイキングもしてあるはずだ」

「・・・・通っていた?大学?」

聞き間違い出なければ大学に通っていたと言ったよな・・・・。

不思議そうな顔をしていたのだろうか、コーヒーの入ったカップを片手に器用に眉を上げて見せた火村はぬるくなった茶色い液体を口元へと運んでいる。

「・・・俺が日本に帰国したのは18歳になった年だ。そして英都大へ入学した。それからはアリスも知っての通りだな。英国に居たときに通っていた高校から飛び級して大学で博士課程をとっていたんだ。・・・・学長のエディンバラ公とうちのじいさんが懇意でな。推薦という特別枠だが・・・」
「飛び級って、高校から大学に?学校ってどこや?」

「かの有名なケンブリッジ。カレッジはスミス家もバルサーとして出資してるキングス・カレッジだ。・・・ああ、バルサーってのはカレッジに寄付をしている資産家フェローの呼び名だな。あの経済学者ケインズも同じキングス・ブリッジのバルサーだったらしい」
「ケ・・・、ケンブリッジにいたんか?火村・・・、じゃ、あのDrはケンブリッジに居たときに取得した博士号か・・・」

私の言葉に頷きながらもしきりに唇を動かす火村はニコチン切れも甚だしいのだろう、機内では吸わないのがマナーだなんて言って煙草を持ち込まなかったからだ。約12時間の禁煙はさぞかし辛かろう。

それにしても、秀才だ、俊才だとは思っていたがまさかケンブリッジに通っていたとは思わなかった。
資産もある、頭もいい、家柄もいい、おまけに容姿も申し分ない、とくればさぞかし取り巻きが多かったことだろう。
火村の女嫌いはもしかしたら、このあたりに所以しているのかもしれない。
偏見ではないのだが、外国の女性は押しが強そうに思えるからだ。

「・・・・ほんとに火村はなんでもできるんやな」

思わず、漏れてしまった私の呟きが聞こえたのだろう、火村は軽く笑うと握りこぶしを作ってこつんとこめかみあたりを小突いてきた。

「だから・・・、なんでお前がそこで不安になるのかわかんねえぇよ、アリス・・・。きっと同じように俺だって不安に思ってるからな?・・・・メールひとつも満足には送れねぇくらいに、な」
「・・・メール?どういうことなん?」

少々照れくさそうに首を傾げるとため息と共に火村は言葉を吐き出した。

「アリスのマンションに行く、と連絡してから家に着くまでいつも思うんだ。今大学を出た、あとどのくらいで着くとか何か買っていくか?とか・・・メールでもしようかと」
「・・・火村」

それは私も思っていたこと、だ。
いつもいつも。あとどのくらいで着くのだろうか、とかどのあたりに居るのかな、とか。
でも、そんなことでメールなんてしたら君が煩わしいかと思ってどうしても出来なかったことだ。

考えが顔に出ていたのだろうか、私の表情をちらりと見た火村は苦笑しながらそっと頬を撫ぜていく。
そっと、やさしく私を包み込む掌で。

「わかってるさ、そんなメールをいちいち送られたら面倒くせぇだろ?そう思うとなかなか送れなくってな・・・」
「・・・そんな事、ないよ・・・。オレやって同じ事、考えてたから・・・」



ぴたり、と頬を撫ぜる掌の動きが止まったのを寂しく思って触れている火村の掌に自分の手を重ねて添えた。

「オレも、火村にメールしたくても出来なかったんや・・・。何時くらいに来るの?とか」
「・・・アリス」

「だって、な?ほら、オレは待っている方やったから・・・。キミが来るんをずっと待ってるから」

気になってもうて・・・、という言葉は合わせられた火村の唇によって塞がれた。

そっと、触れるだけのキス。
大きく瞳を見開いたままで突飛な火村の行動に固まっていた私が我を取り戻したのは すでに火村が離れた後だった。


「なっ、なにしとんねん!」
「何って、キス」

しれっと涼しい顔をして火村は微笑んで私を見つめている。
何を考えとんのじゃ、この男は・・・。


「此処、飛行機の中やで?パブリックスペースや」
「誰も見てねぇよ・・・、騒ぐんならその口、塞いでやろうか?」

「っ・・・・」

瞳を細めて性質の悪い微笑を口の端に乗せた火村は私の手を掴むとあろうことか、指を絡ませて繋いできた。そのまま開いている片手を使って英字の雑誌を捲っている。
誰かきたらどうするのだろうか、と思いつつも黙ってしたいようにさせておいた。

イヤホンを付けるとテンポの良いサウンドが流れ出す。




あの日。二人でたくさん話をした。

ずっと聴きたかった事が聴けて安心して笑いあって抱き合って眠った。

その日から、火村は少しおかしい・・・気がする。
はじめのうちは私が不安な思いをしないように気を使ってくれているのだと思っていたが、 日が経つにつれなんだか、それも違う気がしてきた。

なんというか、非常に生き生きしているのだ。
まるで、これまで私を甘やかすのを我慢してきたみたいに・・・。

どうかしている。

本当に、どうかしている・・・。



それを、嬉しいと感じてしまうなんて・・・。



友人として出逢ってから、10年が過ぎた。

恋人として付き合い始めてからも同じくらいの時間が経ったのに。
想いは枯れる事無く、掠れる事無く、今尚熱いままで私達の間に在る。



(誰しも最後の独りにはなりたくないと願っているんだ)

(誰だって他の誰かに想ってもらいたいと願っているだろ)

(人生を捧げて愛せるような誰かが)

(そんな風にオレを想ってくれる誰かが居る筈だ)

(誰しも最後の独りにはなりたくないと願っているだろ)

(そして独りじゃないんだと確信したいんだ)

(何処かで同じような気持ちの誰かが)

(何処かに、同じ想いの・・・)

(何処かにオレを想ってくれる誰かが居る筈だろう・・・・?)

流れている曲はこの上ない愛を探していて、まるで自分たちのようだと思う。
いつかいつか、と願って君と出逢い、こうして手を繋いでいられることが何よりの幸せで、喜びだと思うよ。

濁声のそれでいてどこと無く切ない歌声と繋いだ手の温もりにアリスは再び瞼を閉じた。
到着までは後3時間。

イギリスの空が晴れていればいいのに、そんなことを思いながら・・・。


かいたのがあまりに昔過ぎて直す気にもなれない///

Author by emi