epi -2番目の男-

epi


「久しぶりに・・・いらしてるんやって?!」
「そうらしいで!急がな、見損ねる〜」

最近通い始めた道場は世にも雅な『心古流有栖川道場』という、古武術を主とした割と大きな教室だ。軽い稽古の後、汗を流そうと立ち寄った洗い場を古参の生徒たちが足早に通り過ぎていく。

なにやら道場の方が騒がしいな、とは思っていたが、どうやら誰か有名な客人が来ているらしい。

嬉々とした表情で皆一様に道場へ向かい足早に急いでいるのをみて、私も覗いてみる事にした。

見損ねるって、乱どりとかしとるんやろか。久しぶり、いうからこの道場に通ってた有名な先輩とか?

はやる心を抑えつつ向かう先には、すでに人だかりが出来ていた。


『わぁっ・・・!!』

出遅れたらしい。道場の入口に差し掛かった時、『ダン!』と響いた畳の音に続き、ひと際大きな歓声があがり『凄い』だの『流石』だのという声が聞こえる。どうしたのだろうか、と見まわした先、同じ時間によく合う割と古株の道着姿を見つけ、なんとかにじり寄ると訳を尋ねる。

「ああ、坊っちゃんがいらして乱取りしてはるんや。ちょうど、今まで取られてたんが若坊ちゃんや。それで上がった歓声やな。君は新参やから知らんやろうけど、ココの道場、有栖川家の跡取りやった若さんが火村さん連れていらしてるんよ。ああ、火村さんいうんは若坊ちゃんのお友達や。学生の時分、若さんがお連れしたんがきっかけやゆうけど、メキメキ腕あげられてな。あっという間に師範越えや。筋がよかったんやろ、こん人も、まぁお強い!ああ、次取られるんが火村さんや。よう見とき」

通常、師範はじめ、通いで習う生徒達も皆道着は同じものを着用する事が多い。いわゆる普通のスタイルかどうかは分からないが、上着は白、袴は濃紺。

それが、どうだ。

「上下、黒・・・?」

心古流儀では合気道用の道着を着用する為、一般の生徒は初心者用のポリ混素材の道着を遣う事が多い。師範によっては染め抜きの袴をはいたりもするが、綿だと重く動きづらい等のデメリットが多く、有栖川道場においてはほとんどの人間が化学繊維主の袴をはいている。その中で。

上下、おそらく木綿の染め袴を纏った長身の立ち姿は・・・この上なく目立つ。

「ああ、火村さんはずっとあのお姿や。西陣仕立武州本黒染極上の逸品、黒やのうて物凄く濃い藍色。重ねて重ねて何度も染めて、抜きをほどんどせんとあんな黒に近い紺になる。さぁ、始まるで」

ひとつまえ、有栖川の若坊ちゃんという人の余韻冷めやらぬ、といった様にざわついていた場内中央。掃き清められた床に黒衣の背中が一礼をすると、一瞬で水を打った様に静まり返る。

ただ、ひと色の黒。

息を、呑む。まさに、圧巻というべき取り組みだった。名前こそ知らないけれど、相手を務める師範は道場の中でも古参、指折りの腕前と言える。普段なら威風堂々とした型で指導に取り組み、有段者相手の稽古においてもぶれの無い技を見せる、その師範相手に。

まったく引けを取らない、どころか。

芯強く、力強く、それでいて凛とした取り組み。流れる動きはゆったりとしながらも無駄が無く、眉ひとつ動かさず相手の仕掛ける技を交わして・・・逆手で返す。

それは、雑然とした中にある・・・強さ。

強い、この人は・・・強い!

何物にも染まらない、黒が・・・場内から動を奪い、相手から動きを奪う。

静まり返った場内で、力強く演武する黒衣に見惚れる者、繰り出される技の切れに頷く者。
雄々しく、猛々しい取り組みに、みな息を呑み、固唾を呑んで見守っている。


格好ええなぁ。素直にそう思った。

その強さは勿論、これぞ武芸とも言える取り組み姿は武術に興味が無い物でも魅了するであろう精悍さで、技の凄さに加えて、見目もいいのだ。少し切れ長の目元に通った鼻梁。少し短めの髪は無造作に見えつつもキチンと整えられており、きりりとした眉は知的な雰囲気を纏う。それでいて、全身から繰り出される動きは男らしく、力強い。伸ばされる腕は長く、肩もがっしりとしていて長身。

こんな姿、見せられたらイチコロやろ。さぞ、もてるやろなぁ・・・。

でも、そうもないかもしれん。武舞の最中は格好ええ人でも、普段からきしって事もあるし。道着は似合うてても普段着はセンス悪いかもしれん。

『バンッ・・・!!』

どう、と湧き上がる歓声にはっとした。あまりに凄い取り組みのさ中、私がくだらない事を考えている間に、相手役の師範が宙を舞っていた。師範はゆうに90kgを超える巨漢にも関わらず、いとも簡単に・・・腕先だけでその躰は回転した。

うわぁ・・・飛んだ!

見習いに毛が生えた程度の経験しかない私でさえ、その『凄さ』は身をもって知っている。だからこそ、背筋がぞくり、として仕方ない。

物凄く、タイミングがあっただけ、では絶対に、有り得ない。

「・・・強い、あの人は・・・凄い!」

思わず口を付いて出た私の言葉に、隣で見守っていた古参の生徒が興奮気味に頷いた。

「そうやろ!腕前だけやったら道場一かもしれん。あの人に敵う相手はそんじょそこらにはおらへん。若さんやって実力は同等や。まぁ、真剣な勝負にはならんけどなぁ。・・・ああ、若坊ちゃん見とったら分かるで、その意味。若さんは別格や。強いとか凄いとかとちゃうねん、なんちゅうか、あれやな。ほれ、百聞は一見にしかず、あの人が坊-ぼん-や」

先ほど見逃していた有栖川の若坊ちゃん、とやらはあの人よりさらに別格、らしい。あれだけの取り組みをしたにも関わらず、襟ひとつ乱さないほど凄い火村氏よりも、・・・強いのだろうか。

中央で師範に腕を貸し、言葉を交わしている火村は長身であるものの、巨躯とまではいかない。どちらかというとスレンダーで、あの体躯でどうしたら重い突きが出せるのか、と疑問に思える体型をしている。その人よりも強い、別格という若坊ちゃんは・・・さぞかし厳めしい屈強なツワモノなのだろう。そう思いながら場内を見渡すも、見知らぬ顔でそれらしい人物は見当たらない。

だから、立ち上がり歩み寄ったその人を見て・・・一瞬、何の間違いかと思った。

坊、と指示された先に立って居たのは、一身を晒道着で包んだ優男。

真っ白な道着、袴も晒で一見木綿にも見えるが、若坊ちゃんが足を運ぶ度軽やかに揺れる裾に絹なりなのだと分かる。晒袴というのは合気道着には珍しいので、おそらく剣道着を代用しているのだろう。先ほどの黒衣に相反する様に一身を白に染めた姿は、そこはかとなく頼りない感じがする。

加えて、細い。

身長こそ火村に引けを取らないものの、圧倒的に細い。まるで葦の様に頼りなくふわふわと笑う痩躯に少し長い髪は・・・明るい。肌の色、が白いせいだろうか。全体的に薄く見える。

とても穏やかな顔つきで、とても武芸を嗜んでいる様には見えない。嗜んでいるどころか、ちょっと突いたら全身が飛んで壊れてしまいそうだ。

あの人が・・・?

道場一、と唄われる火村氏よりも・・・、上?


「まさか」

私から発せられた当然の疑問に苦笑し、いいから見とけ、と指さした先では白と黒が対して礼をする所であった。



そう、実は火村氏も強かったんです。

Author by emi