目の前で繰り広げられる武舞に私は全てを奪われた。
奪われていたのは、私だけでは無く・・・場内に集った全てのオーディエンス。
思考が戻ったのは、パシン、という乾いた音の後・・・遅ればせながら響いた拍手によってだ。気が付いた私はそこで、白い道着の若坊ちゃんが黒衣の火村氏に手を貸している光景を見た。
鮮やかな、舞い。
しんと静まり返った場内で、それは楚々として行われたように思う。音も無く、先ほど見たばかりの雄々しさも猛々しさも力強さも無い。あったのは、ただ悠然とした美しさだけ。
武舞、というよりは、演舞。
白くしなやかな手足が音も無く空を舞い、突き出される雄勁な技をひらりと流し、返す動きはおよそ武芸とは程遠い。繰り出される腕はゆったりと、捌く足は驚くほど速い。力強さは欠片も無い。それなのに、当たる腕は確実に技となり、相手を制する。
強さとか、そういったモノを超越した、凄さが其処にはあった。
何より。
美しい・・・。
よくできた演目を見ていると思った。それくらい、美しい物だった。
痩躯はしなやかに舞い踊り、微笑みさえ浮かべた面は艶美に優雅に人々を魅了する。白磁の肌にほんのりと朱を刷いた頬、大きく濡れた瞳は流れる動きに溶けだし、微笑みを浮かべた口元は歌でも歌いだしそうに艶やかで。
息を呑む、どころではない。
意識を丸ごと持っていかれる・・・。
幽玄の美、逸らせない美しさ。
おそらく、取り組みをしている火村氏とて同じなのだろう。先ほどとは打って変わり、一瞬、一瞬に切れが感じられない。こうして離れた場所から見ている私とて惹きこまれるほどの美しさだ。目の前で取り組む相手であればこそ、いかに集中していようが・・・見惚れてしまうのかもしれない。
『なんちゅうか、強いとか凄いとかいうのとは違う。別格や』
そう、別格なのだ。
強いのは強い。それは確かに分かる強さだ。まともに入ったら一瞬で決まるであろう火村氏の技も、軽やかな足さばき、鮮やかな手さばきで返し、繰り出される技は早く正確で。
でも、それだけじゃない。
綺麗過ぎるたち振る舞い、姿に『相手すら見惚れてしまう』というのは、もはやそれ以前の問題に思える。まさに、別格。
だから、なのだそうだ。
『有栖川流の跡取りは若坊ちゃんや無いねん。あの人、自ら辞したんや。こんなん反則に近い、武芸とは違うやろ、と笑って言ってな。他にやりたい事があるから、言うてあっさりその座から退いたんやて。火村さんが腕だけなら一番や。それでも、ボンには敵わない。腕が、やないねん。心が、あの人に奪われてしまってるからや。そんな火村さんも残らんと。もともとがボンに誘われて始めた事やし、いくら強いから継いでくれ言われても道場に残るのは筋違いいうもんや、て。ずいぶん前の話やけど・・・それ以来、師範総代の座は空席のままや。』
「お見事、アリス」
少しなまったから、と久しぶりに訪れた道場で思いもよらぬ歓迎を受け、観衆の中で取り組みをやる嵌めになった。甘えるのは良くない、といくらアリスが言いつつも道場には二人の道着が用意されている。いつ行っても同じように。
『君、ボクシングやってたんやて?試しに古武道、やってみいひん?』 とアリスに誘われてからずっと使っている黒の道着。初めてアリスの武舞を目にした時から変わらない晒の道着。上下色の違う道着が溢れる中で白黒、一身染め上げの姿は酷く目立ってしまう。それが嫌で嫌で、普通の道着でいい、とアリスに告げるとさも当然という様に言いきられた。『君は黒が似合うからそのままでええやろ』その笑顔に何も言えず・・・以来、火村は黒を身に纏っている。
古武道をやらないか。今思えば突飛な誘い文句だが、その当時は請われるままに通っていた。一心に武芸に励み、習う姿勢は嫌ではなく、むしろ心地よい習慣で。なにより、初めて目にしたアリスの武舞に一瞬で心を奪われていた俺にとって、アリスと過ごせる道場での時間は貴重なものでしかなかった。合間によぎる邪な考えを振り切る様に稽古に励むうち、思いのほか腕があがったのは、言ってしまえば副産物でしかない。
跡取りとしての立場を辞し、夢を追い始めたアリスに続き道場を辞した後もこうして偶に訪れる俺たちを、顔なじみの師範たちは快く迎え入れてくれる。
『せめて火村君だけでも残ったらええ。学校にそのまま持ちあがるんやろ?通えん距離やないし、なにより腕は道場でもピカ一や。皆もそれを望んでる。どうや』
有りがたい申し出も頂いたりしたが、武芸の道を極めんとする事が俺の往く道では無い以上、それは筋違いというものだ。
それに、俺が残れば・・・もしかしたらアリスも考え直すのではないか、という「あわよくば」が背後に見え隠れしていて。申し訳ない、とすら思ったからだ。
跡は継がない、作家になる。
アリスがそう決めた以上、その意を覆す事は・・・絶対に無い。
「相変わらず筋がええ。どうや、戻って来んか?」
顔を見せる度、声を掛けて来るのも今となっては挨拶の様なものだ。
「戻らんちゅうねん。毎度しつこいなぁ。火村先生は大忙しなんや、堪忍しいや」
かなわんなぁ、大きな声で笑う師範に会釈をし、道場を後にした。
隣にならぶ白衣のアリスは先ほど取り組みをしたとはとても見えない。あっという間に床に伏せられた俺に手を差し出すアリスは汗を掻くどころか息ひとつ乱してはいなかった。
「あ〜、久しぶりに動いてすっとしたぁ」
それでもそう言って笑う。嬉しそうに腕を回して廊下を歩く姿に疲れは無い。それは学生の頃から変わらない。
ふと、振り向き投げかけた言葉に、変わらず俺は心を奪われる。
「やっぱり、君は黒が似合うなぁ。何物にも染まらない黒や。強い、強い、黒やね」
そう言って艶やかにアリスは笑った。
というわけで、2番目の男でした。実は強い火村氏。でも、2番目、なのは「アリスに見惚れて実力発揮できないから」なのでした。なんだそりゃ。いいの、とことんアリスが素敵なのが好きなの。そんな気分だったの。お付き合い頂き有難うございました。ちょいちょい続けばいいと思う(本人談)
Author by emi