苦悩への道のり -小悪魔アリスの葛藤-


火村、という俊才が居るらしい。


その噂は学部を超えたアリスの耳にも入っていた。

英都始まって以来の英知で、おまけに路行く人が振り返るくらいの男前、なんだそうだ。




そんなん、俺には関係ないやん。



そう、思っていた。



あの小雨の降る、中庭で。
彼を見かけるまでは。



木曜の1限というのは、週も半ばで必須の授業も少ないとあり校舎間に散る生徒は疎らだ。


これも金曜辺りになるともう少し多いのだろうが この日は生憎の空模様で朝から小雨がぱらついていて、余計に閑散としている。



珍しく早く学校についていたアリスは1限の授業へ向かうべく板張りで吹き抜けている渡り廊下を歩いていた。

早く来たのには理由が在る。


昨日は夜通し、筆が乗っていたので横になる事無く学校へと向かったのだ。

大学生活が始まって2週間、まさかこんなにも早く必須を休むわけにはいかない。 明け方の白々とした空を見て、このまま横になったら負ける、そう思って早めに来たのだ。



ぼんやりとしながら渡り廊下を歩いていると、さあさあと降り注ぐ雨の中、透明の傘をさした黒尽くめの長身の男が見えた。


男は、小脇に黒いファイルを抱えしゅっと伸ばされた背筋と同じくらい直立に傘を差して歩いている。 はっきりとは見えないが、すっきりとした整った顔立ちをしているようだ。


体躯も、いい。


先輩、なんかな?



大学生になると学年が上がるごとに学校へは来なくなる、という偏った印象を持っていたので、 この時間から学内に3年だか4年だか、歩いているというのはおかしな気がした。


ゆっくりと歩む男はどう見ても、自分よりも上だ。
落ち着いた雰囲気然り、同学年とは思えなかった。


ふと、辺りを窺うように男が立ち止まった。
なんとなく、それを見ていた。


男は暫く立ち止まってそうしていたかと思うと、小さく、ほんの小さく被りを振るとうっすらと、笑ったのだ。




それは、ほんの少し、口の端で作ったような笑み、であったのに。




アリスが見惚れてしまうくらい、いい笑顔だった。


思わず立ち尽くして見惚れる、不躾な視線に気がついたのだろうか
男はつい、と顔を上げるとまた元の無表情へ戻って行ってしまった。



そうしてあの日、階段教室で。

彼が、火村、なのだと、アリスは知った。







驚いたことにどうやらこの男は、俺のことが気に入っているらしい。


隣で機嫌よさそうに煙草をふかす横顔は呆れるくらいの男前。
仲良くなってわかったが、これで以外に情に厚い。


もっとも、厚いのは面の皮も、同様だが。


まあ、それも当然かと思わせるような自信家ぶりなのだから仕方ないのかもしれない。話せばおもしろいし、気を使う事無く、逆にこっちに気を使ってくれる。

成績もさることながら、頭の回転もよい。 手癖は良くないようだが、女性には厳しい・・・、というかあまり得意で無いのだろう。 少なくともアリス以外には感情を表に出さないようだ。



だから、わかりやすいっちゅうの。

バレバレやのに、アレで隠してるつもりなんだから、笑える。



どう贔屓目に見ても、火村が自分に友情以上の思いを抱いていることくらい、わかる。


誰だって、わかる。ほんと、誰だって!


おかげで、アリスは何処へ行っても火村越しのフィルターにかけられて見られるのだから。


・・・まあ、悪い気はしないが。



なにせ、あの火村だ。



自分のどの部分、何がそんなに惹き付けているのか分からないが、それでも英都中の憧れを一身に背負ったような男に慕われて嬉しくないはずが無いのだ。



いつだったか、思わずといった様に火村が洩らした事があった。
いや、もしかしたら、意を決しての告白だったのかもしれない。



『アリス・・・・、好き、だ』



あまりに今更、過ぎて反応することが出来ずにきょとんとしてしまった。


そうして、思わず。



『知っとるよ?俺も好き、やで?』


答えてから、何を勘違いしたのか、火村は妙な角度に体を折り曲げて苦悩の面持ちだ。
あまりに似つかわしくないその様子に笑ってしまった。




・・・それから、事在るごとに“好きだ”を繰り返す始末。



『・・アリス、好きだよ』
『ふふ、ありがとな!オレも好きやで、火村』



その度になんとも言えないような心痛の面持ちをするけれど、火村。どうして俊英といわれるほどのキミにはわからないのだろうか。

俺はちゃんと答えているのに、な。



恋に臆病になっている火村には意味を履き違えて答えていると思われているらしいけれど、 教えてやるのも癪だからそんな親切はしてやらないんだ。


もうちょっとだけは、ね。


その代わり、とびっきりの笑顔をもって囁いてやることにしている。

「なぁ・・・、ひむらぁ・・・」
「ん?なんだ、アリス」


今日だって、潤んだ瞳にちょっと舌足らずな話し方をしているのに。

ああ、おまけにわざわざ酒まで飲んでいるのに、だ。
特別サービスに、腕の中に収まって、だぞ?



なんだ、ソレ。



己の忍耐力を試して楽しいのか?


侍、か?火村。



ふん、今に見てろ。
どこまで、耐えられるかな?


わなわな、と腕が震えているのに、気がついていないのだろうか?

いつもポーカーフェイスを気取っている顔なんて、おかしくらいに歪んでいるのに?



「・・・すき、やでぇ?」



ほら、泣きそうにすら、見えるよ?

そっと頬を抱きしめてくれている胸にすりつけて微笑んだ。



いつまで。
いつまで、耐えられるかな?



キミも。


そして、俺も。





Author by emi