王の花嫁 -8-



「…?」

ふと手元に差し込む西日にアリスは我に返った。


本を仕舞うだけのつもりで書庫へ来たはずなのに、すっかり日も傾き書庫内には西日の憂いが満ち始めていた。仕舞ったら直に火村に詳しい話を聞こうと思っていたのに、今から探していては夕食会の刻になってしまう。

そうなればまた昨日と同じ状況で、十中八九込み入った話どころではない。


それはまずいと慌てて立ち上がろうとした、その時。

視界の中に、西日の光に縁取られた黒いシルエットが動いた。


「火村…?」


いったいいつから居たのだろう。まったく気がつかなかった。高い位置にある窓枠に腰を掛けて火村が書を読んでいるのだ。アリスが本の世界に浸る中、物音一つしない書庫内でずっと書に目を通していたというのだろうか? 不躾な視線に気が付いたのか火村は伏せた顔を上げ首を回しながら間の抜けた声を掛けて来た。

「ああ…やっと気が付いたか?お前が来る前からここにいたんだ、先客は俺だぞ。ん〜、流石に疲れたな」

首を横に動かしながら鮮やかな身のこなしで窓枠から飛び降りると、手にしている書を元あった場所へと戻す。

「なんだ、アリス。ぼうっと見つめて…。俺に見惚れているのか?」
「違う!なんやねん、君。よくもそんなことが言えるな…昨日から思っとったけど相当の気障やろ、自分…やりすぎは嫌われんで?」

初め見たときはなんて愛想の無い取っ付きにくそうな男だ、と思ったけれど見た目よりもとっつきやすい。気がつかなかったとかじっと見つめていたとかそんなもろもろからくる焦りもあってつい軽口を叩いてしまった。

あ、と思ったけれどすでに後の祭りだ。

「…ご挨拶だな、アリス。仮にも“姫”だろ?慎めよ」

慎めよと言うモノの怒るでもなく軽口で返して来られてアリスは思わず笑ってしまった。


なんや、思ったよりも話が通じるヤツみたいや。


ほっと胸をなでおろし、そしてドキリとした。

アリスの笑顔に釣られてか火村もうっすらと微笑んでいたから。


火村はアリスが男だと知っている。

だからこそ装いをせず無理なく親しげに話せることがなんだか新鮮で嬉しいのかもしれない。昨日とは違って見慣れぬ旅装束ではなく黒の履物に白い生成りのシャツを着て刺刺しい雰囲気も和らいでいるせいであろうか。…ずいぶんと身近に感じられるのは。


ふと見れば火村が手にしていた本のほかにも窓枠の下に何冊か書が積まれている。それを火村は丁寧に元あった場所へと戻しているのだ。

「…なぁ火村、もしかして…キミも本が好きなん?」


アリスは本の世界に入り込むと軽く半日はそこから出てこない。他の一切の事を忘れてのめりこんでいく。もろもろの事情や立場といった柵を忘れて文字が織りなす独特の世界へと閉じこもるのだ。

昼すぎに図書室に来て直に本を開いて…もうすぐに夕暮れ。アリスが来る前から居たのであれば、火村はずいぶんと長い間ここに居て本を読み耽っていたことになる。 その間言葉を発する事もなく、ただひたすらに読みふけっていたのだろう。そして読み終わった本を実に丁寧に取り扱って元あった場所へと戻す仕草。 もしかしたら火村は、アリスに輪を掛けた書物好きなのかもしれない。そう思うとなんだかさらに嬉しくなった。


嬉しくて、嬉しさがそのまま言葉に滲みでたアリスの問いに目を細めて火村が答える。


「ああ、まあ嫌いではないな。もっと時間が取れればいいと常々思っている」
「そうなんや…」


ふふ、と嬉しそうに楽しそうに笑うアリス。


そんなアリスを見ているとなんだか見ている火村まで気持ちが伝染してしまうようで極自然に微笑んでしまった。



不思議な笑顔だと思う。

姫の装いをしている為であるのか男とか女とかそういったモノを感じさせない。
柔らかくて温かい。


…何故そんな風に笑うのだろう。不満や不安といった諸々、思うところは多々あるだろうにそういったことを微塵も感じさせない笑顔なのだ。

「…嬉しそうだな、アリス?何がそんなに嬉しい?」
「え…?嬉しそうに見えるん?んー、そうやな…」


近くにあった腰掛に座ると軽く考えながらアリスが口を動かす。

その口元を見てふっくらとして柔らかそうだとも思った。くるくるとよく動く瞳に白い肌、言葉を紡ぐたび誘うかのように動く唇。なるほど、妃殿下が言っていた“アリスが夜会に見える度に、舞い込む縁談が多くて些かかわしきれない”という原因はこれかかもしれんなと思った。


不思議と人を惹き付ける、天性の魅力が備わっているのだろう。


「火村はオレが男やって知っとるわけやろ?慎ましやかにしとらんくてもこれ以上ばれへんわけや。気取らんでええやろ?」
「…まあ、そこは百歩譲ってやろう。確かに気取っては居ないな」


自分の性別がばれたことで装うことをやめたのか、アリスは素直に真っ直ぐ自分を出している。少しだけ首を傾げて下から見上げる仕草はなんとも可憐だが、おそらく無意識なのだろう。当の本人は困ったように言葉を捜している。

「うまく伝わらんやろか?…今までそんな風に話を出来る人が他におらんかったから、なんか新鮮で、それが嬉しいんやな。きっと」
「それはわかるかもしれないな。…なんとなくだが」


するとアリスはぱあっと顔を上げて大きな瞳を一際大きく輝かせて言う。

「…ほんまに?」
「アブソルートリー」


鮮やかな笑顔に嬉しそうな表情がよく似合う。

「ふふ、嬉しいな…。友達、みたいや…」
「…友達って。まるで居ないみたいないい方だな」

「あはは、おらへんよ?近くにおって男やってばれたら大変やんか」


あっけらかんと笑ってはいるが、どこか寂しそうに見える。

独りで居るのが好きな火村とは違って本質的に独りが好きなわけではないのだろう。話をするのも生き生きとしていて楽しそうに見えるアリスは、独りで居たかった訳ではなく、独りで居る事しか出来なかったのかもしれない。


…不用意に親しくなど出来ないし地をさらすわけにもいかないだろうから。

「火村には居るの?その、親しい友人とか…」
「ああ、友人ではないがそれに近いのは居るな。従兄弟だが」


積んであった本を全て片付けてしまうと、アリスの横へと腰を下ろした。

「へえー。従兄弟なんや…。火村に似とるん?」


問いに暫し考えを巡らせる様子で火村は腕を組みかえた。その指が動いている。 手持ち無沙汰なのだろうか。それは昨日から何度か見た動作で、もしかしたら火村の癖なのかもしれないとも思う。


「ん?ああ、似てない。見た目も派手だし、性格もだいぶ違うな。やたらと軽くて困るんだ。きっと楽という名がいけないんだろう」
「楽?」

アリスの国と火村の国とでは名前の持つ雰囲気が違うのか聞きなれない名だ。

「そうだ。楽しい、という意味を持つ。…仮にも一国の王なのだからもっとしっかりしてもらわねば困るが…。どうにも落ち着かないんだ」
「…えっ?!」



久しぶりの更新となりました<(_ _)>

Author by emi