王の花嫁 -7-




では、これから暫くの間宜しく、アリス姫


その一言がその日火村と交わした最後の会話だ。

聞いておきたいと思っていた東国王の意思は結局聞けずじまいで、こっそりと耳打ちでもして聞ければよかったのだが、使者をもてなす宴の席での立場があまりにも遠く、気軽に近づく事すらできない。

気になっているのに聞くことが出来ない。


釈然としないままの状態が続くのがとても嫌なのだがどうにもできずもやもやとアリスを苛むが、それでも否応なく夜は更ける。昼間起こした騒ぎを思うと、夜が更けてから部屋を出るなんて姫にあるまじき行為を出来る筈もなく、なんとなく消化不良のままで部屋へ戻ったアリスは、昼間に城を抜け出してまで手に入れた新作を手に夜が深々と更けるのも忘れて読み耽り、そのまま眠ってしまっていた。

そしてはたと気がついたときにはすでに明くる日の朝であった。


…否。

あろうことか朝ですら無く昼をも過ぎていた。



あ〜、久しぶりに寝過ごしたかも。

アリスは起き抜けの重い身体を引きずると仕度をするために鏡へと向かう。


通常、姫の立場であれば着替えは次女たちが手伝うのだが、アリスの場合は少々勝手が違うので髪を結ったりする以外のほとんどの事を自分自身で行う。勿論、アリスから呼ばない限り部屋には誰一人として入ってくる者は居ない。ゆえに朝も起こしに入ってこない、だからいつもアリス姫は姫らしからぬ時間に起きてくる。

それでも人の目はあるのだからアリスは自分で気を付けてなるべく午前中には起きていることにしていたのだが、もともとが宵っ張りの性分で夜更かしをした翌日などはついつい遅出になる。が、両親の計らいでアリスの寝室にはきちんとバス・トイレが完備されており全ての仕度は部屋の中で行えるようになっているので食事を除けば誰に迷惑を掛けることも無い。


そして公務の無い限り、アリスの好きな本に囲まれて一日を過ごすのだ。


…生まれてからずっとそうして比較的自由に生活してきた。


だからこそ、この生活が大切だし失いたくも無い。


姫として生きていく事には抵抗が無い…訳も無いが、仕方ない事であるなら受け入れ生きていける。


そうして波風を立てず生きていることがアリスにできうる唯一の親孝行かもしれない。それは男の子であるアリスが生まれた事を隠すという立場を危うくするかもしれない暴挙に出てまで我が子を守ってくれた両親への何よりの恩返しだと知っているから。


皆が良くしてくれる、そう思える。


話し相手が少なくとも自由で居られる。



でも、それでも。

姫として誰かに嫁ぐなど、本当に考えられないのだ。
世間的には姫として生きているが、紛れもなく男の身である自分。
どう言い訳をしてみてもそれは隠し様の無い事実で。



おまけにアリスを娶る相手は当然、男だろう。 ましてや相手が一国を治める王で在るなど言語道断。

姫と思って妻にした者が男と分かったら…いや、使者は全てを承知と言っていたけれどその意味を確認するまでには至っていない今アリスの脳裏には最悪の事態しか横切らない。


下手をしたら戦争へと発展しかねないことの重大さに恐ろしくもなろう。

なんとか巧く…無かったことにならないだろうか。


そんな事を思いながらも手は慣れたもので勝手に動き、大きなため息をつく頃鏡の中にはどこから見ても“姫”であるアリスが居た。



我ながらこの容姿でなければ姫としてなぞ生きては行けないと思う。いっそのこと、ごまかしようの無いくらい無骨な見てくれならよかったのに。そうすればまた違った人生を歩んでいたのかもしれない。そう思ったりもする。

が…この容姿で生まれてしまったのだ。
今更、代わりようも無い。




気持ちを切り替えるかのように独り頷くと鏡を離れて部屋を後にする。
火村を探して訳を聞かなくては。


まずはこの本を片付けてから、と アリスは読んでしまった新作を片手に図書室へと向かった。





ぎぎ、と軋む音を聞いて火村は扉の方を向いた。走ってきたのだろうか、頬に朱を刷いたような表情でアリスが扉の前で息を整えていた。その顔は見事なまでに整っており、化粧気の無い白い肌に紅い唇が本当に綺麗に映えている…どこからどう見ても立派な姫だ。



実際にこの腕に抱き締めるまでは完全に女性だと思っていた。確かに注意してみれば女性にしては声もハスキーで身長もやや高めではある…が、それを十分にカバーするだけの見目の良さなのだ。


これだけの器量であれば姫として迎えることに抵抗は少ない。
何かと煩い王の側近たちも何も言うまい。


火村が比較的高い位置にある窓枠に腰を掛けて書に目を通している為かアリスは火村にまったく気がついていないようだ。書を手に軽い足取りで書庫内を歩いている。大きな樹木の下で手にしていた書であろうか、嬉しそうに微笑んだままきちんと治められた背表紙を撫ぜながら仕舞う場所を探している。



少々幼さの残るその仕草がとても好ましい。

思う場所を見つけたのかある一箇所で立ち止まるとアリスはじっと動かなくなった。
どうやら仕舞う訳ではなく何かを見つけたようだ。


やがて一冊の書を手にするとその場にぺたん、と腰を下ろして読み始めた。
暫くは動きそうに無いアリスを見て、火村は再び手元の書へと目線を戻した。


Author by emi