王の花嫁 -5-



手をひかれ、部屋を出たアリスは黙ったまま考えを巡らせていた。

母上は暫くの間、この男がアリスの傍に仕えると言っていた。



傍に居てアリスがどんな人となりなのかを見極めるから、という真意はどこになるのだろう。

娶る姫がどんな生活をしているのか、どんな性格なのかを知っておきたいのは分からなくもない。ましてや初対面があの状況だ。箱入りとは言い難い素行を見て不安になったのだろうか。


それならそれで仕方ない。とんだじゃじゃ馬だと縁談そのものを諦めてくれればいい。

が、母上はこの縁談に賛成なのだ。

詳しい理由を話すつもりはないようだが、全てを了承しているから粗相の無い様にとまで言って男に気を使って居たように見えた。アリスが仕度をしている間に両親と男との間で密約が交わされていたのだろうけれど内容は皆目見当がつかない。


そもそも東国の王からの書簡の中にはなんと綴られていたのであろうか。いくら人の出来た御仁であろうともアリスを娶ればどうなるか位わかりきっているのに…。その返事次第ではアリスのこの先の人生が決まるといっても過言ではないのだ。
否、アリス自身はともかくも国同士の関係にも差し障るだろうに。



一体、どうしたらよいのだろう。
この男が私の疑問を全て解決してくれるとでもいうのか。



「……あの!」

黙って手を引く男に恐る恐る声を掛けてみる。疑問全てを解決してくれるとは露ほども思わないけれど、そもそも どこへ行こうというのか。男の意図が分からない。


「なんだ?」


アリスの呼びかけに、一旦は立ち止まるものの手は離さぬままで男が振り返る。


「あの、どこへ行くのですか?」
「そうだな…。ゆっくりと話が出来るところが良いな。アリス、どこがいい?」


東国の王からの使者とはいえ身分が違うにも拘らずあくまでフランクに話す男に、少々憤りを感じながらもぐっとこらえアリスは素直に答える。


「…図書室が有ります故、そこでよろしいでしょうか?」
「良い。どちらだ?」



答える代わりに指で示すと身を翻し男が足を進める。そして曲がり角の度に方向を示しながら、図書室へとたどり着くと大きめの扉を開き中へと入る。




静謐な室内に扉の閉まる重い音が響いた。


「ほう、これは圧巻だな…」



図書室といってもその天井は高く、壁には隙間無く書が仕舞われ奥行きがあるので室内というよりはそこが一つの館であるかのような広さがある。男子である兄王子とは違ってアリスには教養を嗜むより他、することも限られている。城に居る者達とも必要以上の接触を持たないようにしているからだ。乳母をしていたばあやが暇を貰ってからは親しく話をする友人も居ない。そんなアリスを慮って用意されたのがこの図書室であった。初めは唯の広間であった所をアリスの所望であらゆる分野の書が集められ、増築改築をして今のような荘厳な空間が出来上がったのだ。



アリスはここで本を読みふけり穏やかな時間を愛でながら滔滔と過ごしているのが好きだ。


唯一全てのしがらみを忘れ自分を取り戻せる場所であるから。


ここはアリスの城なのだ。




繋いでいた手を離すと男は物珍しそうに周囲を見回して満足気に頷いてみせる。


「なるほど。ここは居心地がよさそうであるな。お前のものなのか」
「え?」

他所の国の姫の事情を知っているわけではないが、城に居る者は大抵、アリス姫は変わっている、と嘯く。普通、の姫は食事を取るのをも忘れて一日中本を読み耽ったりなどしないのだそうだ。普通ここまで本をそろえ読書をするのは王子やそれを支える大臣達だ、というのだ。だから、どうしてこの図書室が姫であるアリスの物だ、と思うのか分からない。自分の問いかけに不思議そうに首を傾げるアリスを見て、男は繊細な彫刻を施された天井付近のレリーフを指して微笑んで見せた。

「あそこに、愛しき姫に贈る、と彫られている」
「あ…、ほんまや…」




物心ついたときからずっと変わらずにここにあるはずなのに、まったく気がつかなかったし、第一誰も何も言わなかった。この図書室が出来てからアリスや両親の他には主に司書の片桐が出入りするくらいで人の目には触れることが少なかったが、少なくとも作ってくれた両親は知っているはず。それなのにアリスには一言も言わないなんて。


「…なんでなん、言うてくれればええのに…」


ショックで話し方が平素の砕けた調子に戻っているのにも気がつかずそう呟くアリスをそのままに近くにあった棚を眼で追いながら男は見ていた。


大立ち回りをしたせいで着替えを余儀なくされたのだろう。先ほどとは少し違う首元まで覆われた型のドレスを着ている。薄い藍のタイトなデザインはアリスの華奢な痩躯によく馴染んでいるようだ。上等の生地をアリスのために誂えたのだろう。決して派手ではない、けれど明らかに上質なあつらえ。きっとクローゼットには何着も吊るされているのだろう。




愛されている、姫。

自分だけの空間すら当たり前に与えられるほどに。


なるほど、と男は一人頷く。


「その話し方のほうがしっくりくるな。……愛、故の“姫”か」
「…え?」


レリーフを見上げている間に手にしていたのか厚い羊皮紙の書を手に、男がこつこつと靴音を立ててアリスに近づいてくる。そのどこか剣呑な視線に、思わず後ずさってしまった。初めて会った時と同じ。それだけで相手を威圧する、視線。何かを暴いてしまう、鋭い視線。

普段向けられることの無い強い眼差しにアリスは本能的に逃げ腰になる。 それを見咎めるように瞳を細めて見やる男の視線に、また下がった。

なんだかとても嫌な予感がするのだ。


何が、というわけではない。
けれど、確かに感じる不安。



だがそれを悟られる訳にはいかないとばかり、アリスは必死で声を出した。


「…なんやて?」


下がりしな後ろ手に探ると硬く触れる感触があった。一歩一歩アリスへと近づく男を避け、さらに後ろへ動くも資料を紐解くために誂えた大きな一枚板の机があってそれ以上はどうしても下がれない。背に感じる堅い感触にますます追い詰められたような気がして必要以上に緊張してしまう。


顔を強張らせてもなお虚勢を張ろうとするアリスを見て 男は端正な顔立ちにやにやと薄い笑いを浮かべたまま、手にした書を閉じた。


そしてアリスの前に立つ。

男は背が高く、この状態だと少し顔を見上げる体勢になる。それでも、視線だけは逃げることなく、きっと見据えたまま、アリスは男を捉えていた。

「…アリス。姫というのは仮の姿だな?」
「なっ…、なにいうとるん…」

机に乗り上げそうなくらい背を反って身体が逃げ出そうとするが、脇に付かれた腕が邪魔をしてアリスの躰はまったく動かない。そうしている間にも男は手を腰へと回し耳元に顔を寄せてくる。


甘い香りがふっと鼻腔を擽り耳元に低く囁かれて思わず息を呑んだ。
心地よいヴァリトンに何故か心が震える。



それでも、男の放った言葉はアリスを途端に青ざめさせた。
それは―――。

王室に措けるタブー。




在ってはならない、決して破ってはいけない。



「アリス…。お前、男だな?」




呼吸が、出来ない。



Author by emi