王の花嫁 -4-



城へ戻るとそこに待って居たのはおかんむりの母上だった。

アリス姫が居なくなったと大騒ぎになっていたようで、アリスが来るのを待ち切れず迎えに出た母上は、乱れたアリスの髪を見て、それこそ鬼のように目を吊り上げた。が、そこは国政を司るだけのことはある。城についてもなおアリスを抱えたままだった黒衣の男が、東国からの使者と知って、怒り任せに口を開く事無くアリスの仕度を促した。


(…とりあえず助かった…)


安堵するとアリスは素早く新刊を手に席を離れ自室へと急いだ。

一旦隠しておいて後で読めばいい。今見つかったらきっと没収されてしまうに違いない。

気がつかれない様にこそこそとするアリスをじっと見つめていた男は、アリスが行ってしまうのを確認すると向きを変え黒衣を脱ぎ恭しく跪くと手に書簡を携えて口上を述べはじめた。


「お預かりしてきました、我が王よりの意向にございます。お納めを」
「いろいろと手間をかけました。確かにお受けいたします」


書簡を手渡したというのに下がろうとしない使者の男を小夜子は訝しげに眺めた。

使者であるなら書簡を渡すことが任務の筈だ。任を果たした以上ここに留まる理由がない。では、なぜ膝を突いたままそこに留まるのだろうか。

小夜子の不躾な視線に気が付いたのだろう、男は顔を上げる。その顔には礼儀としての微笑みが張り付いていたものの、瞳には只ならぬ鋭さが滲んでいる。

小夜子はただならぬ視線に躊躇はしたものの、かといってないがしろにも出来ず発言を許す意味で頷いて見せる。すると再度会釈をして、男が口を開いた。

「…それと、妃殿下。一つお耳を拝借できますか?」
「何?」


色めき立つ衛兵を軽く嗜めると小夜子は続きを促す。

「何故であるか?この場で話せばよかろう?」
「…それでは都合がよろしくないかと。姫様についてのお話ゆえ」

「アリスの…?」
「左様」

アリスについてと聞いて小夜子は暫く逡巡した後、あくまで慇懃な男の態度を見て頷く。

「よかろう。伺おう」
「では…」

男が立ち上がり音もなく小夜子に近づく。傍らに立った男が耳元に何か囁くと、たちまち小夜子は顔色を変え、それを確認するかのように口の端をあげてにやりと笑うと男は悠然と身を翻し控える。

「…失礼を」
「いや…。その話、詳しく聞こう。私の夫を同席させるがよろしいだろうか?」

独りでは決めかねる故、と呟いた小夜子が席を立ち、控えの小部屋へと向かう。それに追随して男は黒衣をひるがえして次の間へと入っていった。






自室へ戻り書を隠したアリスは髪を結いなおしてもらうため衣裳部屋鏡の前に立っていた。


草叢を抜けたためか、ドレスに泥や葉が付いてしまいなんとも乱れた格好だ。母上が激怒したのも無理は無い井出達に我ながら呆れるばかりだ。そしてそんなアリスの姿を見た次女によって着替えが用意され、その華やかなドレスを見て、アリスはさらなるため息を吐いた。


東国縁りの使者ということは例の縁談の件なのであろうと予想できるが、その内容、王の意向とやらが気になるところではある。その内容如何に依ってはアリスの嫁ぎ先が決まるやもしれないからだ。見つめる鏡の中では着々と髪が結われドレスが変わっていくが、華やかな装ういとは反対にその表情は憂いを隠せない。

胸中穏やかではなかったものの、すっかりと仕度の整ったアリス姫は女官に伴われ小夜子の元へと急いだ。


東国の王とやらの意向が、母上の意向にそぐわないことを祈りつつ。







「は?母上、今なんと?」


人払いをしてある部屋には母上のほか、先ほどの使者と父上が顔を揃えていた。

じっと漆黒の瞳に見据えられて居心地の悪さを感じつつも母上の脇に控えると、重苦しい雰囲気の中で小夜子がアリスに告げた言葉がにわかには信じられなくて思わず聞き返してしまった。


「ですから、アリス。貴女の嫁ぎ先は予てよりの東国の王となりました、と申し上げたのです」
「しかし、母上。私は…」


一国を治める夫婦の間に生まれた者として国の為に嫁ぐことに異議は無い。

無いのだが…。

尚も心配そうに表情を曇らせたアリスに父が優しく声をかける。


「心配などない、アリス。東国の王は若くして即位されたが人の出来た御仁と聞く。全てを承知した上で受け入れて下さるのだよ。だから、心配などしなくてもよい」
「…え?」

頷くように小夜子も続ける。


「ですからアリス、貴女は安心して先方へ嫁ぐのですよ」
「……母上」

一体どの様な確約があっての承知であるのか、アリスにはまったく分からない。東国の王とやらは何をもって全て承知と言わしめるのであろう。
まさか…母上はあのことを伝えたのであろうか?


湧き上がる当然の疑問には答えるつもりは無いらしく、縋る様に見つめてくる視線にを感じているにもかかわらず、小夜子は目を合わせようとしなかった。

その突き放された感じに居た堪れない程の距離と疎外を感じるも、これ以上は話はないとばかりに瞳を伏せた母親に言うべき言葉が見つからない。

なんて、心細い…。



「……では、宜しいだろうか?」

哀しみに打ちひしがれたアリスを見つめ、それまで黙っていた使者の男が立ち上がる。そして小夜子に向かって確認をするように促す。先ほどの密談に拠ってこの先の行動は約束されているのだ。

…勿論、帰国までの期限もある。



まだ事情の呑み込めていない様子のアリスは両親からきちんとした説明をして貰った方がいいだろうか。そうでなければこの部屋からすら連れ出すことが出来ないようにも見えるし自分の事、それも結婚という重大な決断に関してなのだから自らが納得の上で嫁ぐ方がいいだろうと思ったのだ。いくら政略結婚とはいえ花嫁が悲観にくれたままというのはあまり喜ばしい事態では無い。

けれど。


「アリス、あなたは心配しなくてもいいのですよ。あなたがどんな者であるのかを見極める為に今日から暫くの間彼が傍に仕えることになりました。私の客人として、また東国の王の意思を汲む者として、…全てを了承しております故、失礼や粗相の無いように…」
「でもっ…」


「アリス。あなたが今日しでかした事の重大さを知りなさい。嫁いだ先で同じ様な事があっては、と私をはじめ周囲の人間全てを不安にさせたいのですか」


「…いいえ、母上」
「では、下がりなさい」
話は終わりだというように小夜子はぴしゃりと言い切った。


説明にすらならない言葉にアリスは戸惑ったまま。それなのにそれ以上の説明をしようとしない小夜子に使者の男は仕方なくアリスを連れだす事にした。アリスには時期をみておいおい説明するだろう。そう判断し、未だ状況が呑み込めていないアリスに向かって恭しく一礼をすると、男は手を取りいざなった。


「では、参ろうか。アリス?」



呆然と請われるがままに腕をとられ部屋の外へと向かうアリスを目線で見送りながら、小夜子は夫と目を合わせ深いため息をついた。

犀は投げられた。

自分たちが出来うることはここまで。
きっとこれでいいのだ、と。

今はそう思うより他には出来なかった。
誰よりも、何よりもアリスの幸せを願うのだから。


Author by emi