王の花嫁 -14-



「アリス」


影が優しく名前を呼ぶ。

そんなはずは無い、期待してはいけない、と高鳴る胸を必死に抑え、ベッドに半身を起こして窓の外を窺い恐る恐る口を開いた。


「ひむら…?」


影が動き窓を閉めると風の音が止んだ。


そして…。



「アリス、答えを聴かせてくれないか」

アリスはそっと身を滑らせ、素足が床に触れるのも厭わずに影の方へと近づいていく。

逆光に縁取られた長身の影からは、慣れた甘く切ない香りがしていた。

信じられない、という気持ちと、信じたいという想いが交差する。


視線を逸らす事すら出来ず、震える指先からは感覚が抜け落ちていくけれど、 目の前にいる火村はぼやけて消えてなど行かない。

夢なのだろうか。

会いたいと思うがゆえ、自身が見せた幻なのだろうか。

ふらふらと覚束ない足取りで距離を詰める。

そしてなんとか手を上げ、逞しく隆起した胸板へ添わせると…そこに温もりを感じて。思わず見上げたアリスの視線は漆黒の瞳へと吸い込まれた。



深い、深い、漆黒の黒い瞳。


「…火村!」

次の瞬間、アリスは一切の柵を手放し火村の胸に縋り付いて、湧き上がる衝動に駆られてただ無心に火村を求めた。


あの日、抱き上げられたままの感覚がアリスを苛み、そっと肩に添えられた火村の掌が触れたところから熱が広がる。




ああ、火村だ。


身に纏う香り、アリスよりも上背のある逞しい身体。

胸に伝わる、鼓動。


縋りつき、うっとりと瞳を閉じたアリスに火村はそっと呼びかける。

「アリス」





少し困ったような戸惑いを滲ませた火村の声にはっと我に返り慌ててその身を剥がした。

嬉しくて、衝動的に抱きついてしまったけれど、
抱きつかれた火村には迷惑だっただろう。

それなのに、目を閉じて縋りついてしまうなんて。


「あっ……、ごめ、…オレ…」


仰ぎ見る火村の表情は硬く、何かを耐えているようにさえ見える。


やっぱり迷惑やったんや。



そう思えど、湧き上がる気持ちに翻弄されてアリスはどうしたらよいのかわからなかった。嬉しいのに、もう会えないと思っていた火村に逢えて嬉しいのに、ただ一緒に居たいそれ以上の思いが溢れてしまいそうで。

想いが溢れてうねりとなってアリスを苛み、それでも逸らせない瞳を捉えたままアリスは一歩一歩、後ずさる事しか出来ない。


どうか…。



そんな瞳で見んといて欲しい―…。


焦がれていたのだ、火村に逢いたいと。
焦がれて焦がれて焦げ付いてしまった気持ち。


それが、突然叶ってどうにかなってしまいそうだった。



とっくに枯れ果てた筈の涙も零れてしまいそうで、悟られぬよう火村から離れるとアリスはベッドへと顔を埋めた。



火村が居る。



それでも、怖くて顔を見られない。
こんなにも狂おしい想いを自分では抑えられない。



どうしたらいい?


お願いだから、火村。

そっとしておいて。

これ以上、構わないで欲しい。

君は、私を見ないのだろう?




君を見つめていられないのならば…。
どうかこれ以上、私を熱くさせないで欲しい!




顔を埋めたリネンに溢れた涙が吸い込まれていく…まるでそれでいいのだと慰める様に吸い込まれていく涙と共にこの気持ちが吸い込まれてしまえばいいのに。



こうしている間にそっと離れていって欲しい。
最後に君の声を聴けたから。


優しく甘く私を呼んでくれたから。
だから、大丈夫。



今なら、まだ。






それでも火村は許してはくれない。

伏せたその身のすぐ傍に沈む体温を感じ、アリスはああ、と深いため息をついた。

…傍らに火村が居る。

腰を下ろすと大きな掌がそっとアリスの背を撫ぜて行く。



そっと、そっと。

どこまでも優しいその動きに益々居た堪れない。


ひどく優しい掌なのに、それはまるで戒めのようにアリスを苛み、労わる動きに、触れられた箇所から熱が篭っていく。


徐々に思考が削がれていくのをただ耐えることしか出来ないのがこんなにも苦しいなんて―…。



頼むから、火村。


このままでは、壊れてしまう。
諦めようとした自分の想いに負けてしまう。

だから…!




それでも止まない掌の動きに唇をかみ締めて耐えていると何かがふわりと髪に触れる。


火村の…優しい吐息。


「…アリス。何故逃げる?」


身をかがめるようにしてアリスの髪に口付けを落として、その身の重さを背中で感じる心地よい体温が、…アリスの箍を外した。








ふらふらと誘われるように縋り付いてきたアリスは肩を震わせて、その身を寄せて自分の腕の中に居る。

そっと掌を置いた肩が頼りなくて思わず抱きしめてしまいたい衝動に駆られた。


なんて、細い肩。


すんでのところで踏みとどまると、ぐっと表情を抑えて気持ちを抑えるが、どこか危うい感じのするアリスは堪らなく扇情的で…。


「アリス」

感情的にならないように発した声は掠れ、戸惑いを滲ませたものとなった。


「あっ……、ごめ、…オレ…」

胸に縋り付いていたアリスは戦慄くように後ずさりしてベッドへと沈んで…触れていた肩の体温だけを残して離れてしまった。

まるで…逃げる様にして。

また、逃げられる…?

それは本能的な焦燥。

追いかけても追いかけても追いつかないのだと身を持って知った。


また、逃げられてしまう―…!

そう思うと居てもたっても居られなくて、顔を伏せたままのアリスにそっと近づき、傍らに腰を下ろす。


逃げられない様にと気負っていたからかもしれない、びくっとその背に緊張が走る。

その仕草が…愛おしくてゆっくりと掌で背を撫ぜ柔らかい髪に口付けを落とした。


慰めるかのように、優しく穏やかに。



「…アリス。何故逃げる?」


その背に半身を預け、細かく震える耳元で囁く。


今度は、逃げ出さないように。
アリスの答えが知りたい。その、一心で。


「…き」


顔を埋めたままアリスが肩を震わせて呟くから声が籠ってしまう。それが泣いているようで、焦った火村はアリスの肩を抱き仰向けにすると顔を覗き込み問うた。



「…アリス?」

必死に顔を隠そうと掌で覆うアリスの両手首を掴むと、その表情が見えるように、逃がさないように開いて脇に寄せた。徐々に暗がりに目が慣れてきたのだろう、大きな瞳に涙を溜めて唇は噛み締めたのか…紅く色づいているのがわかる。


その、潤んだ瞳を見て泣かせているのが自分であるのに、こんな表情をさせたことに腹が立ち、それなのにそれをしているのが自分であるということが嬉しい。

…矛盾した感情に戸惑いつつも、アリスの表情に魅せられていたのだけは確かだった。


まるで誘うようにアリスの唇が動くのから…視線を逸らせない。

「…すき」


「アリス……?」

「好き、火村が……、すき」


泣きはらした瞳は迷う事無く火村を見つめ、動く唇は愛を呟く。



ああ、なんと…愛おしいのだろうか。




気がついたらその唇を貪っていた。
触れてはいけない。
わかってはいても、止まらない。

もう、止まれない。


続きはR18です。苦手な方は飛ばして下さい。お読みいただかなくても話の内容に支障はありません。

Author by emi