王の花嫁 -16-




前日の晩さん会からこちら、使者の見送りにも顔を出さなかったアリスに小夜子は何も言わなかった。


何も言えなかったというのが正しいかもしれない。

前の日からろくに食事も取らず、泣き濡れていた為か、夜に身体を拓いた為か。

そのまま熱を出して3日間ほど寝込んでしまったからだ。



熱に浮かされている間、不安に押しつぶされなかったのは、痛む躰があの夜の出来事が夢ではないとアリス自身に知らせていたからで。それだからこそ、身体の熱が引いてくと同時に火村が取り去ってくれた筈の不安が押し寄せてくる。



まるで夢のような一夜だった。


痛みがあるからこそ、信じていられる、夢ではないのだと思えるのに 痛みが無くなった今となっては信じがたい、一夜でもある。


望むあまり、自身が見せた幻なのではないか。


ともすれば、揺らいでしまいそうな記憶。
それでも、アリスは信じ続けた。



大丈夫。


火村はこの気持ちに応えてくれたんや。
信じて待っていればいい、そう思いながらただひたすらに待っていた。



あの時、与えられた熱の中で確かに声を聴いたのだ。


-決して諦めてはいけない-
-必ず、お前を傍に迎えるから-
-心配せずにただ流されるままに待っていろ-
-アリス-


確かな想いを込めた火村の声が、今でも耳に残るのに…それなのに、徐々に熱がひき冷静な日常が戻ってくると残されたアリスの胸のうちには不安が頭を擡げてくる。



痛みも無い、熱も無い躰で…信じていられるのは耳に残る火村の声だけ。

それすら時が経つにつれ…どうしようもなく薄れていってしまう。




アリスの期待を裏切るように婚礼の準備は着々と進んで、衣装を合わせ、贈られるお祝いの言葉に応え、沸き立つ周囲の華やぎとは裏腹にアリスは沈んでゆく。



それでも、心配を掛けないように、悟られないように上辺だけはこれまで通りに装って耐えていた。食事をしているときも誰かと話をしているときもまるでふわふわと浮いているような感じがして現実味を感じない。


…何も無いときは自室に篭りがちになった。
あんなに毎日通っていた図書室にも足を運んでいない。


火村が居たあの窓枠を見ると、泣いてしまいそうで。
一度泣いてしまえば、もう装ってなどいられないような気がして。


部屋に残されていた火村の香りも…今はしない。


アリスに残されたのは、ただ声だけ。
耳に付いて離れない甘い囁きだけ。


婚礼の日取りは刻一刻と近づいてくる。

それをただ、待つことしか出来なかった。

信じていて、いい?
仮初の恋ではないと?

指の間をすり抜けていってしまうような頼りない記憶を懸命に繋ぎとめて仕舞っておく。


優しい指の感触を、端整に通った鼻梁を、少し乾いた唇を。


そして、心を震わせた甘く響く低い声を。


真っ直ぐに、真摯に見つめる漆黒の瞳を忘れないように。



それでも、時間は淡々と過ぎ去っていき出立の日は明日へと迫っていた。



残酷なまでに確実に。



火村は、…戻ってこない。



淡い期待を胸に眠れない夜を過ごしてアリスは窓の前に居た。


もしかしたら、あの夜のように風が火村を連れてきてくれるかもしれない。月に縁取られた影が優しく名を呼ぶかもしれない。


…震える身体を己の腕に抱きしめて、ただ待った。




ただ待ち続けて。



残酷に時は過ぎる。


やがて朝日は燦々と降り注ぎ、軽やかな小鳥のさえずりが夜の終わりを告げる。

アリスは白んだ空を見つめ、力なくその場に座っていた。


今日という日が来てしまった。アリスが東国へと発つ、運命の日。
そして、王の花嫁となる婚礼の日。



ねえ、火村。
朝になってしまった。
ここからオレは何処へ行けばいいの?

信じて君を待って居ればいいの?


おねがいだから、ひむら。
答えを聴かせて。




声にならない叫びをあげてアリスは顔をあげる。
仰ぎ見た暁光の空は、陰を作る月さえも隠して…哀しいまでに綺麗に白々と晴れ渡っていた。








「あ、こんなとこにおったんや。火村、そろそろ…」


王の婚礼、おまけにお相手が西国の姫君ということで朝から城内は祝いの式典に浮かれてどことなく落ち着かない。西の塔の端、突き出したバルコニーに肘を掛けて遠くを見つめる火村は近づく人影に顔だけで振り向くとわざとらしく眉を潜めて苦笑してやった。

「なんだ。天農…、似合わないな、その服」
「おい…、ご挨拶じゃないか。それよりも…いいのか?婚礼の儀が始まるぞ?」


おもしろくもなさそうに目線を戻す火村の隣に同じようにして寄りかかると、天農は火村の視線の行き先を知った。

遠く西国へと続く果てしないような路が黒い淵を伴って姿を顕わにしている。沿道には花嫁を一目見ようと沢山の人だかりが出来ており馬車の到着を、今か今かと待ち侘びているようだ。


と、一際大きな歓声が上がり、辛うじて見えるくらい遠く、確かにソレが見えた。
黒い護衛兵に守られた白い馬車。
華に彩られたその車はゆっくりと路を進んでいる。

「…来たか」

深い息をついた火村に憂いの眼差しを向けて事の顛末を知っている天農が問うた。


「それで?…どうするつもりだ?」

飄々とした態度を崩す事無く、事も無げに返す火村の瞳が燃えるように、確かな意思を宿らせているのを確かに見たと思う。

…口ぶりは何にも囚われない意思を持たない様に淡々としてはいたけれど。

「ふん、別に。…為るようになるさ」


踵を返すと靴音を立てて火村は塔の内部へと消える。
その背に、大いなる決意を滲ませて。



Author by emi