王の花嫁 -12-

「では一カ月後にお待ち致しております、小夜子殿」

王の間にはどこか消沈した面持ちの小夜子と、どこか憂いを滲ませた面持ちの火村が相対していた。

「ええ、それでは、一カ月後に…火村殿」

お互いに頷きそして視線を逸らす。






発つと決めた、その翌日の朝。

火村はアリスに会う前に小夜子に目通りをした。

形式的な挨拶の後で明朝発つ旨を告げると、挙式の日取りを決めて先に書簡で国へ届けようという話になった。アリスの人となりを見極めたという火村の答えを聞くなり、矢継ぎ早に話を進めたのは小夜子としてもこの話は是が非でも成功させたいからだろう。


国政を預かる者として、というよりは一母としてアリスを慮る姿勢が見えて火村も悪い気はしない。


その愛を一身に受け育ったからこそ、アリスはアリスでいるのだ。


子を思う母の愛、それを痛いほど知るアリスの思い、そして――ソレを知る自分の思い。


小夜子が消沈して見えるのは、子を見知らぬ土地へ送りださなければならない事への不安。



では、俺が憂うのは何故だ。

何故なのか。


至極簡単な気もするのに、とてつもなく難解な気もする。火村はここ数日、訳のわからない感情を持て余していた。

アリスといるのはとても楽しいのに、アリスを思うとどうしてこんなに…心苦しいのだろう。

それは、きっといろいろな人間の思惑がそこに渦巻いているからに違いない。だからこそ、 交錯する思いに囲まれ身動きが取れなくなる前に…ここを発たなければと思った。
それなのに。


潮時だとわかってはいるのに 憂いを隠せないほどには…絡め取られてしまったのかもしれない。



アリスという…存在に。







式は一ヶ月後ということになった。

アリスはこの国で仕度をして両親と家臣、そして国民に見送られて東国へと送り届けられる。そこで改めて挙式を執り行い、晴れてアリスは王妃となるのだ。


この城でアリスの傍に居て、人となりを知り、少なからず惹かれている自分に気がついていた。
話が合うのは勿論だが、いっしょに居て堅苦しくなくそれでいて不思議と安心するのだ。


…アリスの全てを包み込むような笑顔をずっと見ていたい、とすら思えた。

時折見せる幼い仕草も、外見に見合わない博学ぶりも何より好奇心を湛えた瞳で、火村の話を嬉しそうに聞いている表情が好ましいのだ。



ここに居た一週間。

約束したわけでもないのに、まるで待ち合わせをしているかのように、決められた時間、決められた場所でアリスが来るのを待っていた。
アリスの為に作られたアリスの空間で、本を読みながらその軽やかな足音が近づいてくるのを心待ちにしていたのだ。


明日の朝、自分はこの城を発ち国へと戻る。そうなればここへは二度と来ないだろう。そう思い感慨深く広い図書室を見回していると、すでに耳馴染みとなった足音が近づいてきた。

そして…重い音を響かせて、扉が開く。

それは、最後を告げる音。








「おはよう、アリス」
「…おはよう、火村」

華のように可憐に微笑むアリスはいつだって真っ直ぐに視線を絡ませる。それが堪らなく心地よいのは、火村をただの人として見上げるでもなく見下すでもなく対等に接するアリスの姿勢が新鮮だからなのだろう。

アリスには裏がない。


無いからこそ、真っ直ぐなのだし、飾らないからこそそこに居るアリスは素なのだ。
だから、火村も飾らず素の自分でいられる。



王族という身分からか、火村もまた飾らずに自分を出せる場所がなかった。
どこかで自分を隠し、偽り、そして虚勢をはって生きて来たのだ。


そんな折、アリスに出会い…飾らないでいられる居心地の良さを知った。


去りたくは無い―…。



これは火村の本心だ。


本心が故、告げるわけにはいかない。だが、去ることを告げなければならない。

そのジレンマが表面に出ていたかもしれない。



いつもと違う火村の様子を見て取ったアリスが訝しげに首を傾げた。



物事の機微に疎いように見えて、敏いのだな、アリスは。


ふっとそんな事を思い黙ったままの火村に焦れたのか
不安を滲ませながらもアリスが尋ねて来た。


「…今日は本、読まへんの?天気もええし、外でも行く?」
「いや…。アリス。明日朝一番で城を発つことにしたよ」


「え…?発つ、て国へ帰るん?」
「ああ。本来ならとっくに帰っている頃だ。ここでの用事も済んだしな」




「…アリス?」

聞いているのか?という声は喉元で止まってしまった。

呆然と立ち尽くすアリスは火村を見つめたままにその大きな瞳に一杯の涙を浮かべていたからだ。


声も無く、ただ溢れていく涙が頬を濡らしていく。

なんて、美しいのだろう。
ただ、そう思った。

溢れる涙が零れてしまうのが何故だが勿体無くて、腕を伸ばして拭おうとして初めてアリスが反応を見せる。

「…やっ…」

伸ばした指先は振り上げられたアリスの手によって払われてしまった。

これまで受け入れられてきた筈の行為をはねつけるアリスの拒絶。


それは一瞬の躊躇と驚きを火村に与えた。その隙に唇を戦慄かせてアリスが踵を返し出て行ってしまう。

「アリス…!」


追いかけることも出来なかった。



アリスの瞳に揺れた想い。


その真っ直ぐな瞳が語る想いが、あまりにも綺麗で。
ただ、見蕩れてしまったのだ。










その後、アリスは逃げ続けた。

勝手に溢れ出した涙を止めることが出来なくて、伸ばされた火村の腕を払って飛び出してきてしまった。気がついてしまったから。

これ以上火村の漆黒の瞳を見つめていたら自分が何を口走ってしまうかわからなかったから、…逃げ出した。


痛いくらいに胸が高鳴っていたのは。
苦しいくらいに息が出来なくなったのは。



一緒に居て嬉しくて楽しくて心地よかったのは
火村に惹かれていたからなんだ。



それに気がついてしまったから。


止まらない涙を隠しながら部屋へと舞い戻ると、食事の呼び出しにも応じず、無理を言って部屋へと運ばせた。

母上も父上も婚礼が決まったことでナーバスになっているのだろう、とそっとしておくように皆に言ってくれたらしい。

だからアリスはひとりで居られた。


…いつだってそうしてきたように、変わらずに部屋に籠って誰にも逢わずに逼塞して居られた。


それなのに、こんなにも独りが苦しいなんて。





明日の朝になれば火村は自国へと戻ってしまう。残された大切な時間だというのに逃げてしまったのだ。



会いたくないわけではない。
傍に居たくない訳ではない。


ただ、隣に居て自覚してしまった想いを口にしてしまうのが怖いのだ。



アリスは王の花嫁となる。



王の従兄弟とは言え火村はあくまで使者。


その彼にこんな想いを告げてどうしようというのか。
我ながらおかしな話だと思う。



ましてや、アリスは男であるのに。

幾ら姫然と装ってはいてもそれは偽りようもない。

容姿端麗で腕も立つ、王の血縁という確固たる地位もある火村にしてみれば、自ら相手を探さなくとも、引く手あまたであろう事は想像し容易い。そんな立場の火村にこの想いを告げたところで迷惑以外何者でもないだろう。

剣呑な外見にそぐわずにアリスに対して優しかったのは、きっとそんな女性たちへの対応になれていればこそなのだと思う。突然、涙を流して逃げ出したアリスにさぞかし呆れていることだろう。


…もしかしたら、もう話をしてくれないかもしれない。

もっとも、ここでの様には話なんてできへんな…。



自嘲気味に思うとまた泣けてくる。


火村から逃げ出してから幾度と無く溢れ出した涙は、枯れ果てる事無く流れ出して頬を濡らしていく。

掌で頬を濡らした涙を拭うと、撫ぜる様に触れた火村の手を思い出して、嫌になる位勝手に胸が高鳴るが、反面浮かんだ思考にはたき落とされる。

…王の下へ嫁ぐのであれば、夜の伽の相手もするのだろう。同性同士でも躰を開くことはできるという位の知識は持っている。

そんな事くらい、なんでも無い事だと思っていた。
なんでも無い、それなのに。



触れてくる火村の指先が、髪を撫ぜる掌が心地よくて。
意識してしまった。



躰に宿る確かな熱を。
瞳に映る確かな想いを。




悶々と///

Author by emi