王の花嫁 -10-



「さて、アリス。外へ行かないか」



ひとしきり笑いあった後。

火村は首を回しながらアリスを誘った。

「別にええけど…?」

急く様な言い方に疑問を覚えたアリスが怪訝そうに聞くのに 短く「限界」とだけ答えた火村は曲がりなりにも「姫」であるアリスの手をとっていざなう。


重い扉を片腕で押し開いてエスコートする様は実に颯爽としていて慣れたモノだ。

板に付いた仕草にやや鼻白むも、どこに人の目があるかわからない。アリスは抗いもせず腕を取られ、楚々として路を指し後に続いた。

長い廊下を抜けると中庭へと出る。


すでに外は薄暗くなっており、夕と闇の間、曖昧な空が二人を出迎えた。

夜目の効かないアリスはこの時間帯が一番見えにくい。段差などあろうものなら確実に躓く。

だから転ぶのが怖くて火村の腕にすがってしまうけれど、無意識だから腕を絡め取られた火村がどんな顔をしているかなんて気がつく筈もない。


危なげな足取りに危機感を覚えた火村はほど近く、木陰に設えられていた白い大理石のベンチに並んで腰を下ろした。
「…ふう」


アリスが胸をなで下ろしていると隣では火村がごそごそと懐から何かを取り出している。

「?」


何をするのかと思い、アリスが不思議そうに見ていると、火村は細い棒のようなものを取り出して火を点した。


じじ、と。


紙が焼ける音とともに甘い香りがあたりに漂い始める。



その香りをアリスは知っている。


初めて会ったとき抱き上げられた火村から仄かに香っていた匂いだ。


「…それって煙草なん?」

ふう、と紫煙を吐き出す火村の横顔が先に点った紅い光に照らされて。


深く整った輪郭が露わになり…またしてもドキリとしてしまった。

「…ああ、そうだ。この国は嗅ぎ煙草が多いようだな。オレの国ではこうやって紙に葉を巻いて直接吸い込むんだ」


吸ってみるか?と差し出されてアリスは少し戸惑ったものの、漂う甘い香りに誘われつつそっと唇を吸い口に近づけて…吸い込んでみる。


火村の指が煙草を挟んだままでそれが少し唇に触れる。

「っ…、ごほっ…、っはぁ…ふっ」
「大丈夫か、アリス?」


香りは甘くとも吸い込んだ煙は重く肺を締め付けられるような感じに、アリスは盛大に咳き込んでしまった。

「なんっや、コレっ…きつ…い、な」

涙目になりながら呼吸を整えるアリスは、原因となったそれを平然と吸い込む火村に半ば呆れた。

「そうか?…さすがに図書室では吸えないからな。やっと人心地がついた」


アリスは普段吸わないのでその気持ちが分からない。


普段吸わないどころかたぶん金輪際吸わないと思うけれど、鼻腔を擽る香りと実に美味そうに吸う火村の姿に慣れるものなら吸ってみたいと思ってしまうあたり…だいぶ毒されているのかもしれない。


あかん、ペースが崩されてまう…。


踏みこんではいけない、踏み込ませてはいけない。



わかっているのだ。

わかっているのに…。



そっと火村を盗み見るとすでに2本目に火を灯している。

立てた2本の指に銜えた煙草が綺麗なシルエットを写していて、思わず見惚れてしまった。

伏せた目許から続く鼻梁に、少し乾いた感じの唇。


息を吐き出すときに離す煙草が吸い付いているように離れていく。



アリスは無意識に自分の唇を撫ぜているのにも気がつかず、見慣れない仕草と慣れない香りに戸惑っていた。


「…なんだ、アリス。口寂しいのか?」
「え?」


言われて顔を上げたアリスは唇に触れる火村の指に驚いて動けなくなってしまった。

「口…、触ってたろ?…思った通りで柔らかいな」


そっとなぞるように火村の親指が下唇を撫ぜていく。


手を占領していた筈の煙草はいつの間にか消えていて、指先が…少し冷たい火村の指先が、そっと、…そっとアリスに触れる。


帳の下りた暗がりの中では火村がどんな表情をしているのか見えない。

…そして自分がどんな表情をしているのかも。


惚けていたのか、気がつくと火村に腰を抱かれるような体勢で立っていた。
手を取られて優しく聴かれて、その声に身を竦めた。

「…そろそろ行くか?夕餉の刻だろう、…アリス?」

こくこく、と頷くことしか出来なかった。

それからはあまり覚えていない。


頭の中がぼおっとしたままで食事をしていたようだ。皆に挨拶をして自室に下がると、やっとはっきりとした感覚が戻って同時に一気に疲れが襲ってきてそのままベッドへと倒れこんだ。


「…なんや、あれ……」

唇に触れた火村の指の感触がはっきりと残っている。
熱く痺れる様なその感じに胸の高鳴りが治まらない。





それからの数日。

何がおかしいのか、何故こんな気持ちになるのか…わからないまま。

それでもアリスはいつもとは少しだけ違う生活を送っていた。



火村は相変わらず城に留まっており、何をするわけでもなくただアリスの傍に居て、時折必要以上に触れてきたりする。
髪に指を絡ませたり手を取って歩いたり、撫ぜるように頬に触れたりと。


初めのうちは驚いたりしていたが、そのうちに慣れた。


いままで誰も傍に居なかったから他人との接触の度合いが分からなかったのもある。アリスも変わらずに書を愛でたり時には火村と笑い合ったりと気儘に過ごした。



ただ、時々ふと堪らなく胸が高鳴って動けなくなるだけで。

それが、何故であるのか。


それだけが…どうしてもわからないまま――。


Author by emi