言葉を紡ぎ、愛を育てる -4-



その花の名は。
その花の色は。


何よりも雄弁に君の気持ちを物語っていたのに。
何よりも明確に私の想いを表していたのに。


花は、何も言わない。

何も。
―言えない。





「アリス!」


ふと鼻腔を擽った煙草のにおいにアリスが振り向くのと、
大きな掌がアリスの腕を強く掴んだのが同時だった。



「えっ・・・?」
「待て、アリス・・・・!」

驚いて腕を掴んだ影を見ると、息を切らせた彼が居た。

学生に紛れて隠れようとアリスが思うくらいには
人で溢れた校舎間の隙間を、走ってきたのだろうか。

良く通る彼の声で呼び止められたせいもあってか、
何事かと見つめてくる学生の視線が痛い。

「・・あの、腕・・・・」
「あっ、ああ。すまない、つい掴んじまった。・・・痛かったか?」

本当は少しだけ痛かったけど、痛いよりも
掴まれたところから痺れが広がって・・・
まるで 焼けるように熱かった。


嫌な熱さじゃない。

それなのに、どこか辛い熱さ。


それはじんじんとした甘い痺れをもたらしアリスを蝕んでいく。



熱さと、なんで、と どうして、がせめぎ合いながら
アリスに押し寄せてきてどうにかなってしまいそうだ。


彼が、どうしてアリスを追ってきたのだろう。
彼は、どうしてアリスを呼んだのだろう。


彼は、どうして
どうして。


それは一瞬だったのかもしれないけれど
アリスにとっては永遠にも近い感覚だった。


彼が、ひとめだけでも会いたいと思っていた彼が。

目の前にいる。



それだけじゃない。


アリス、と名前を呼んで、腕を・・・攫んで。


隣に立っている。



信じられへん・・・。



さぞ、おかしな顔をしていただろうと思う。

あまりの出来ごとに内心パニックを起こしかけ
何をどうしたらいいのかわからないのだ。


そんなアリスを訝しむでもなく、遠巻きに
向けられた好奇心の視線を避けるようにして
彼はアリスを促して歩き出した。


なんとなく促されるままに足をむける。
どうやら社学の研究塔に向かっているらしい。



「えっと、なんで・・・・、名前・・・」
「ん?ああ、名前?知らなかったからつい店の名前を叫んだが・・・、あ?
もしかして間違えてたか?・・・たしかフラワーショップアリス、だろ?」


あ。

そうか。



当たり前すぎて忘れていたが、確かに店の名前はアリス、だ。

私が生まれたときにはじめた花屋で、伯父がせっかくだから、
といって私の名前をつけたんだ。

すっかり舞い上がってそんなことも忘れていたなんて・・・。
それに、普通は“アリス”が私の名前とは思うはずも無い。


とんだ勘違いだ。



「いえ、あの・・・。店の名前、あってます」
「そうか。良かった。・・・君の名前を知らなかったから、すまない」


「・・・アリス」
「え?」


「アリスっていいます。オレの名前・・・」
「・・・・・・・アリス?」



そっと彼の顔を横目で見ると、呆れたようなぽかんとした顔をしている。

・・・いいんだ。誰に言ってもその反応だから。


それから、みんな決まって笑うんだ。そんな馬鹿な、とか言って。
ついでに言うと、フルネームなんて言った日には大爆笑だ。


お前、それ、洒落?


洒落でも何でも無い。唯の名前なのに、な。

有栖川アリス。

れっきとした本名。


そうしてちょっとの間、固まったままの彼を見てなんだか悲しくなった。
きっと彼もまた、この後盛大に笑うに違いないから・・・。


小さくため息をつくと諦めて彼の方に向き直った。

「有栖川アリスです、間違いなく本名」
「ありすがわ、ありす・・・?」


こくん、と頷くとその後に来るであろう、苦笑だか爆笑だかを待った。

徐々に理解していっているのだろう、瞳の色が少し変わった。
ほら、彼はゆっくりと口の端を持ち上げて・・・。

そして、綺麗に微笑んだ。

「ああ、いい名前だ。アリス、君にとてもよく似合ってる」
「・・・・え?」

「ああ、申し遅れたな。俺は火村。火村英生だ。よろしく、アリス」
「あ、ええ、あの・・・・。よろしく」

驚いた。
でも、嬉しかった。似合っているなんて、言われて。嬉しかった。
なにより。目の前で彼が微笑む、その笑顔に心を奪われた。

目の前の笑顔に、心を奪われたまま。
もしこのまま、時が止まるなら。


それで世界が終わるなら、どんなによかっただろう。


どんなに。





「ヒデ!」


それは、遠くから投げかけられた名前。
声のした辺りから走ってくる、ひとりの女性。

ふわふわとした、色の白い綺麗な黒髪の・・・。


「なんだ、お前・・・。こんな時間に、仕事は?」

答えたのは、彼で。
息を切らせて駆け寄った彼女が縋り付くようにしたのは彼で。

「ふふ、今日は直帰!ヒデ、今日は終わりでしょ?一緒に帰ろうと思って・・・」

「・・・そうか。あ。ああ、アリスだ。こっちはユウリ」
「あら、ごめんなさい!ヒデのお友達?」


綺麗な、髪の長い彼女は艶やかに微笑む。


まるでそれは、大輪の華の様で。
とても、いい香りがした。


Author by emi