そうして、恋物語は儚く散った、と思っていた。
いや。
続く所以も無い。
・・・「恋」物語ですらない、ただの、淡い好意なのだから。
そんな出来ごとがあった次の日は
幸いというべきか、店は定休日だった。
仕入れもなく、店も開けず、となればすることも限られる。
かといってどこかへ出掛る気にもならず、
花達の世話や本を読んだり、好きな事ばかりを並べ
無残にも砕け散った仄かな思いを忘れようとした。
・・・なんてこと無い。
だって、始まっても居ないし、始まる筈も無いからだ。
あんな風に颯爽と歩く彼がとても輝いて見えた。
羨ましい、とまではいかないけれど、それでも
ああ、ええな、くらいには思えた。
寄せたのは、本当に微かな好意であって
その大部分は単なる、憧れ。
そもそも、同性である彼に恋情を抱くなど、
ノーマルであるアリスにはあり得ないことだ。
憧れを抱いていた当人が、目の前に居て、
あまりにも深い眼差しでアリスを見つめるから。
心をじかに揺さぶるほど心地よい声で
アリスを捉えるから。
だから、少し勘違いをしてしまっただけなのだ。
そうだ。
憧れが、密かに寄せた想いが敗れたからといって
いつもの生活が変わるわけでもない。
彼は変わらずに朝、同じ時間に通るだろう。
そして、私はそれを変わらずに眺めるだけ。
なんにも変わらない、いつも通りの朝が来るだけだ。
そう思い気持ちの浮上を試みるも・・・
気が付くと溜息を吐いてしまっていたり。
「案外とうまくはいかないもんや」
頭で割り切ろうとしても、心が付いていかない。
そんな風にアリスは一日を無為に過ごしてしまった。
そして、あくる日の朝。
幾分マシになった気分で市場へ出掛けた。
売れてしまったカーネーションを選ぶのだ。
・・・同じ淡い桃色を。
いや、もう少し濃い目の色でもいいかもしれない。
目新しい花には巡り合えるだろうか。
「失恋には買い物が一番やなんてよく言うわな」
市場でいつもより多めの仕入れをして戻る車内で
アリスは独り語ちた。
もっとも、失恋というのは言い過ぎかもしれないけれど。
でも、色とりどりの花を選んでいるうちに
楽しくなってきたのもまた事実なのだ。
「本当に花が好きなんやな」
そうしてたくさんの花たちと店へ帰り、そして開店の準備をする。
花屋の朝は比較的早い。
通りに面した店ということもあり、
朝、掃除をしているときや品出しをしている時など
出来る限り通る人たちに挨拶をするように心がけている。
そうすることが何より、大切なのだと伯父はよく言っていた。
出来るだけ、挨拶をする。
出来るだけ、笑顔を見せる。
人と人とのつながりで店は成り立つ。
そして、つながりはいつ何時訪れるのか分からないからだ。
会社に行く途中で花を買ってくれる人もいる。
待ち合わせ前に花を選ぶ人もいる。
そんなときもあるからアリスは朝から店に立つのだ。
その日も、朝の仕入れ分をショーケースに並び終え
外を掃いていると、革靴の足音が聞こえたので、
いつものように振り向いて挨拶をした。
「おはようございます!」
「・・・・・ああ、おはよう」
驚いた。
だって、いつもの時間よりも早いから。
それに、通りの向こうを行くはずの彼が、
すぐ前に居て・・・笑っていたから。
「すまないが、昨日の花を少し包んで欲しいんだが・・・」
「え・・・?」
「いや、未だ開店していないのだろうな。
・・・・すまない、無理ならいいんだ」
忘れてくれ、と言い去ろうとする彼の腕を思わず掴んでいた。
「いえっ、あの、大丈夫です。同じ花で、いいですか?」
「ああ、そうしてくれるか?」
店の外にいるからだろうか。
彼の腕に触れたからだろうか。
甘く、せつないような煙草の香りがして眩暈がした。
この間は花の香りに包まれていて気がつかなかったのだろう。
彼の纏う、煙草の薫り。
それがとても嬉しくて、それなのにとても苦しくて。
笑ったつもりだったが変な顔になっていたのかもしれない。
だって、彼もおかしな顔をしていたから。
「この間と同じような感じに纏めましょうか・・・?」
「いや、もっと少なくていい。・・・・職場に飾るつもりだからな」
まだ新鮮で輝く花達の中から、今朝仕入れたばかりの桃色を手に取ると
少し迷って今度は白い包装をして蒼いリボンをかけた。
それをじっと彼が見つめている。
入口のあたりに佇む姿は逆光で表情までは伺い見ることが出来ない。
それが少し、もったいないなぁ、そんな風に思えた。
「はい、お待たせいたしました」
「ああ、有難う」
そういって男は花束を受け取ると満足そうに頷いて微笑んだ。
「また、来る」
その去っていく後姿が見えなくなるまでアリスは立ち尽くしていた。
それから、一週間。
男は毎日通ってくれた。
また、来る。
その言葉通りに。
土曜日も、日曜日も。
そうして、仕入れては包まれていく同じカーネーションをアリスは毎日仕入れた。
そんな風に愛される、彼の恋人が羨ましいと思った。
職場に飾るなんて言ってたけど、それにしては
やけに嬉しそうに、そして照れたように笑うのだ。
きっと、職場、というのは方便なのだろうと思った。
男性が職場に花を飾る、なんて話、聞いたことが無いからだ。
もしかしたら、同じ職場に恋人が居るのかもしれないな、
そんな風に考えもしたけれど、彼に会えることへの期待で
より綺麗な花を選んでは仕入れる日が続いた。
そして、
男が来るようになってちょうど一週間がたった水曜日。
この日は店の定休日。
その前日に、恐る恐るアリスが切り出すと、あっさりと男は頷いた。
ああ、知っている。明日は定休日だから会えないな・・・。
その、一言にアリスがどれ程舞い上がったか、きっと彼は知らない。
花を、買ってくれる。ただ、それだけだ。
そう思っても、会えない、という言葉の先を
勝手に期待して勝手に舞い上がっているのだ。
とっくに打ち砕かれたはずの恋心は、消える事無く育っている。
開くことのない蕾を持って、葉を茂らせては成長していく。
不毛、だよなぁ・・・。
わかってはいても、どうすることも出来ない。
始めから、分かりきった結末なのに・・・。
アリスは花屋を譲り受けた際、同時にこの家も譲り受けた。
朝早い開店ということもあり、一階が店舗、その上に住居という2階建ての家だ。
その二階を居住スペースとして使っている。
建ってから年数が経っているための痛みは少々あるものの、
元来の性格からこざっぱりと綺麗にしているつもりだし、
なにより、伯父との思い出が詰まった家だ。住み心地は悪くない。
店が休みの水曜日は朝から掃除をして洗濯をして、
それから買い物に出掛ける。
休みの日とはいえ、いつもの癖で朝は比較的早い。
用事を全て済ませても、まだ昼過ぎということが多くて
アリスは麗らかな午後の陽ざしを浴びながら図書館へと向かう事が多い。
図書館、といっても市立図書館というわけではない。
店から徒歩で10分くらいのところにアリスの母校である英都大があるのだ。
もともと、アリスは大阪に住んでいたのだが、
英都大に通うようになってからこの店で手伝いをするようになった。
店から通ったほうが近いし、バイトも出来るし花も好きで一石二鳥だったから。
そうして卒業してからも、図書館代わりにちょくちょく通っていた。
この前、借りた本が返却期限や・・・。
彼が来る前の週の休みに借りた本があった。
本当は先週の水曜に返そうと思っていたのに、
砕けた心がアリスを億劫にさせ
つい行く気をなくして返しそびれているのだ。
期限を過ぎるわけには行かない。
そうして、アリスは本を手に久しぶりの道のりを歩くことにした。
Author by emi