テーマの小部屋 >> 「女の一生」
私(スウ)は昔から、どうも女の一生を描いたものがスキみたいです。燃えるのです、なぜか。
とくに最近は激しい女のノンフィクションというのが好きです。(以下はフィクション含む)みなさんのオススメも教えてください。
  1. 『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ (下層カースト→ 盗賊 →国会議員へ)
  2. 『シベリアン・ドリーム』イリーナ・パンタエヴァ (極寒のシベリアから世界のスーパーモデルへ)
  3. 『非色』 有吉佐和子 (終戦後、アメリカの駐留していた黒人と結婚した女性は・・・)
  4. 『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』米原万里
  5. 『嫌われ松子の一生』山田宗樹

『女盗賊プーラン』 プーラン・デヴィ/武者圭子訳/草思社

スウ (2002/3/25)
●凄すぎる「女のドキュメント」
2001年7月25日、インドの下院議員でもと「盗賊」のプーラン・デヴィが殺された。
「女盗賊プーラン」は、文盲である彼女の口述筆記による半生の実話。3年くらい前、すごすぎて一気に読んだ。下手な小説を読むよりよほど面白い。ただ「面白い」等と軽々しく言えない様な場面も多々あるのだけれど。

インドの下層カーストに生まれたプーランは、生来の気の強さから叔父にうとまれ、11歳で嫁がされひどい虐待を受け、出戻れば一家村八分、白昼・自宅での強姦・無実の罪を着せられ収監先でさえ暴行の嵐・・・さらには叔父の差し金で盗賊団にさらわれてしまう。
しかしその後盗賊団の団長となり、上層カーストや虐待を当然とする男たちへの復讐が始まる。さらわれた先で団長になるなんてどうしてそんなことが、と思うのだがまさにそこがみどころ。彼女は美貌で部下たちを操ったのでもなければ、豪腕を振るったのでも、特別の才知に長けていたわけでもない。まさに運命、としか言いようがないころがり方に目を離す事ができなくなる。

数年後に司法取引をして投降、11年後開放。その後国会議員となる。
彼女の半生を思うと、彼女が盗賊のときしていた事が当然のことのように思えてしまう。
唖然とするような差別社会の中で、だまって耐えるだけでは収まらなかった精神、愛するものを思う普通の女性としての気持ちに共感する。

ニュースを見たときは、「本当に存在していたひとで、本当に命を狙われるようなことがあったのだ」と強い実感が湧いてきてまたショックだった。
この本を読んでいなければ、見過ごしてすぐに忘れてしまうようなニュースだったろう。


シベリアン・ドリーム」イリーナ・パンタエヴァ/河野万里子訳/講談社

スウ (2002/4/24)
●小気味いいとはこの事だ
旧ソ連崩壊直前、極寒のシベリアで生まれ育ったイリーナが、アジア人初のスーパーモデルとして成功するまでの自伝で、とにかく胸のすくような物語(ノンフィクション)。

前半は、共産主義国家の厳しい状況下でも自分の好きな道をひたむきに突き進み、「やってきたチャンスを美貌と才能によって獲得」「どんな困難なことがあっても知恵と強運で乗り切る」という印象。良い子過ぎて、少しは汚れろ、という感じさえしたほどだ。

しかし下巻に入り、パリでファッションモデル目指してモデル事務所やデザイナーに体当たりしても総崩れ、というあたりから、イリーナが文字通り「ガッツ」で運命をもぎ取っていく様にエールを送らずにはいられなくなる。

特に私が好きなのは、シャネルのオフィスにアポイントも無いのにはったりだけでオーディションにすべり込む下り。
--ロシアでの厳しい生活から、求めるものがあるなら、たとえドアは閉ざされ、鍵がかかっているとしても、ノックし続けなくてはならない事も知っていた。--

そしてその言葉通り、イリーナの行動は常に自分が望むものを絶対にあきらめない、という姿勢に貫かれている。
ニューヨーク行きの為にパリの大使館で係と押し問答するところも印象的。
3時間以上も並んであっけなく拒否されても、くじけず係をかき口説き、挙句の果ては怒鳴って
 「アメリカに行きたい!行きたい!行きたい!」
 「この人が公正に対処してくれるまで、ここを動かないと言っているだけです!」

なんというしたたかさ。執着心!
小気味いいとはこの事だ。私だったらすぐに諦めてしまうだろう。
でも、ロシアでは諦めたら全てが閉ざされたまま、生きていくのもままならなくなってしまう。
モノがあふれかえっている中で、自分が何をすべきかも分からない多くの日本人(私も含め)には、到底真似できない粘り強さだと思う。

大国ソ連がこんなにも窮乏にあえいでいたということや、共産主義の矛盾、ソ連崩壊後の混乱など、外側からは窺い知れない一般生活者の状況が「女の子」の視点で、意外なほどあからさまに分かる、という点でも興味深い本だった。

*時代背景を知る参考図書「そうだったのか!現代史」

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 米原万里/角川書店

きな (2003/8/27)
●女友達っていいですよね
これ、とても面白かったです。内容は重いけれど・・・。
米原さんが小学校(チェコの学校)の同級生に会いにいく話ですよね。
感性は鋭いけれど、まだ無邪気だった子どもの頃。
そして30年以上を経て再会した彼女たちから見えてきたもの。
社会主義ってなんなんだろう、と考えさせられました。
青のリッツァ・赤のアーニャ・そして白のヤスミンカ。
ヤスミンカと再会するまでのあれこれにもハラハラどきどき。
ちょっとミステリーみたいでした。
でも・・・お二人が再会した後、ヤスミンカの住む国は再び爆撃を受けているのですよね。。。
本にはヤスミンカのその後は書いてなかったと思うのですが・・・。

外国の昔の友達に会いにいくというのでは、ずい分昔の本になりますが、小西章子の『遥かなるボストン』も印象に残っています。
これはボストン大学に学んだ著者が、15年後に当時のクラスメートに会いにいく話です。
会いに行ったのが78年なのですが。
ちょうどその頃、アメリカではフェミニズムの波など価値観が激変していく時で。
その中で生きる彼女たちそれぞれの考え方。多様なように見えて、やはり社会の考え方に翻弄されている感じがしたのを覚えています。

どちらも読んでいるうちに、自分にとってもお友達みたいに思えてきて^^;
「今ごろ元気でいるんだろうか。どうしてるだろう」と・・・。


内容:著者の米原さんは、お父さんが国際共産主義運動の理論誌の編集局員としてプラハに勤務していた関係で、1960年〜64年まで在プラハ・ソビエト学校に通っていました。 この本はその当時の友人 ギリシャ人のリッツァ、ルーマニアのアーニャ、旧ユーゴスラビアのヤスミンカとの思い出と、30年後再会を果たすまでの実話です。

〜私も読みました〜

●スウ(2003/9/1)
私としては、いろいろ考えさせられる事が多すぎて感想がまとまりませんでした。それだけ、わざと作った話とは違うシビア感があったということでしょうか。

>多様なように見えて、やはり社会の考え方に翻弄されている感じがした
これ、本当にその通りだと思います。この本にも当てはまりますね。
特にアーニャからは共産主義の理想と現実そのままの縮図が見えてきて、最後の米原さんとのかみ合わない会話が、なんとも言えず複雑な気持ちにさせられます。

また『そうだったのか!現代史』をひっぱりだしてきて、近代史を読みなおしてみました。地図も合わせて見ると、改めてその複雑さが良くわかります。ルーマニアの特権階級がイデオロギーで共産党に入っていたわけじゃないことも書いてありました。

ヤスミンカを探すくだりで印象的だったのは、路傍のおじいさんが語った
 「仲のいい兄弟がいて、ある日よそ者が兄と弟に耳元で何かをささやいた。
  その時から兄弟の仲はこじれていった」
という意味の話でした。

しかし実際には「仲の良い兄弟」というほど事は単純ではないようでした。
旧ユーゴを表現する有名な言葉に、
「一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、七つの国境線」という表現があったそうです。(でも実際には実際には20以上の民族が混在していたとのこと) 紙幣はセルビア・クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語がそれぞれラテン文字とキリル文字で表示されるという複雑さです。
日本人には到底理解できないような事が起こるわけです。

『そうだったのか!現代史』にはセルビア系勢力による悪名高き「民族浄化」の蛮行の記述もありましたが、『嘘つきアーニャ・・』には実は両方の勢力が残虐非道な行いをしていたとあります。一方的な情報操作であったことを初めて知りました。

こんな風に、普段あまり耳に入ることの少ない東欧諸国・共産主義圏の「諸事情」を、「決して他人事ではない日本人」が語った、という所が非常に面白みであるし、貴重な本だなと思いました。

 

最初の文章は掲示板から、きなさんの了解を得て掲載しています。

『嫌われ松子の一生』山田宗樹/幻冬舎

スウ(2005/05/10)

●わかったような気になれるか
読んでいる時は大変面白かったけれど、読み終わると倦怠感に包まれてしまった。ひとにお薦めしたいような素敵な本ではないし、『グロテスク』(桐野夏生)みたいに凄みのある暗さがあるという程でも無い。ただ、一人の女性の悲しい一生の物語として、しんみり寂しさが残る。
第一、川尻松子って名前からして薄幸そうだ。妹は「久美」で姉は「松子」って。

松子は、その気になれば何でもものに出来る能力と集中力を持っているのに(私には無いので羨ましい)、それを自身の為に使うことはなく、身の振り方を決める基準がすべて男性という所が典型的な不幸を招いて坂を転げ落ちるように悪いほうへ悪いほうへ行ってしまう。

松子が自身で自らの人生を語っていく所と、松子の甥が、殺された伯母である松子の生涯を探っていく所と交互で話を進めている。この、甥の視点で語る文章が私にはあまり好きになれなかった。この手法が効果的じゃないとか不要だというワケじゃないのだけど、どうも甥の所になると妙に青臭いというか陳腐な感じがして居心地が悪かった。だから、終わり方もなんだかつまらんなあという印象になってしまった。松子の最期はつまらないなんて事はなかったのだけど。

どうしてだろうと考えた時、この甥の視点というのは「松子の不幸な人生を、理解し同情し思い入れを持った唯一の第三者」である事がひっかかりなのかもしれないと思った。
松子の人生は、自業自得もあるけれど愛を求めるが故の悲しい結果でもある。誰の身にもありえないという程のものではない。それを、大学生の男の子が解った気になって行く所を見たくなかったのかもしれない。実際にはちゃんと、「俺にはまだ本当にはわかっていない」と謙虚に考えている所があるので批判はオカド違いだけど、ここまで不幸ならどこまでも誰にもほっといていただき、読者と松子にだけ分かる悲哀であって欲しかったのかもしれない。そうすると話がまったく救いようが無くなってしまうけれど、そのほうが私には、収まりがよかったような気がする。きっと、この著者はやさしい人なのだろう。

 


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