ここでは、秦野と近隣地域の食文化としての「カリントウ」について、
市史、町史など民俗資料の中の「食」記述を見てみます。
「盆地の村」 昭和61年(1986)3月 秦野市発行 [秦野市史民族調査資料報告書5]
横野村 衣・食・住 お菓子
カリントウ 夏場、特に盆時につくった。小麦粉を材料として作る。 作り方は作り方は小麦粉に黒砂糖を入れ、こねてねってねじり、適当に切って油であげる。 五−六升作って、ドーコに入れておき、オチョーハンの時などによく食べた。
平沢村 衣・食・住 お菓子
カリントウ 盆時などに、小麦粉を材料として作る。 作り方は小麦粉に黒砂糖を入れ、こねてねってねじり、五−六升作って、ドーコに入れて保存した。
「秦野市史 別巻 民俗編」 昭和62年(1987)9月 秦野市発行
下大槻 衣・食・住 お菓子
カリントウ 盆時などに、小麦粉を材料として作る。 作り方は小麦粉に黒砂糖を入れ、こねて、ねじり、適当の大きさに切って油であげた。 どこの家でも三升ほど作って、ドーコなどに入れ保存し、お茶うけなどに出していた。
「山ふところの民俗誌」 H4.3.27発行 秦野市管理部文書課
第二章 衣・食・住 食生活
カリントウ 下大槻、横野、小原でカリントウの記載がある。内容は「丹沢山麓の村」「盆地の村」の記載と同じ。
第六章 年中行事
盆の行事 嫁さんは実家からの帰りの土産は「カリントウ」とサツマ芋を油で揚げたものだった。
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上秦野村 ひとびとのくらし
よなべ 葉タバコ生産の「よなべ」について書かれたところがあり
「娘のいる家には、若い衆が手伝いに来た。夜食にカリントウやノダヤキを作りお茶をごちそうした。
現在70歳代のおおかたは経験している。」とある。
これは昭和時代初期の話になるが、葉タバコ耕作と関係がありそうである。
第3章 中井町の生活(民俗) 二 食生活 (二) 間食
「花林糖」 小麦粉に砂糖を入れて固くこね、細い紐状にしてねじって適当に切り、油で揚げて「ドーコ」(蓋のあるブリキの入れ物)に入れて蓄えておいた。
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第三章 衣食住 二 食生活の伝承
(一)一色地区 オヤツまたはオチュウハンはナベヤキ、芋団子、カリントウ、乾燥芋、里芋など(明治33) 小麦粉の菓子としてカリントを作る。小麦粉を練り、蕎麦機械で伸ばし2cmくらいの長さに切って、中央に包丁で切れ目を入れそこへ指をトウしてひっくり返すとネジリンボウのようになる。それをアラヌキトオシなどに並べ陰干しにして油であげるという。(p91) (二)中里地区 間食 カリントウは記載無し (三)二宮地区 粉食(p97) 自家製の菓子は、カリントウ、アンピン、芋団子などで、カリントウはウドン粉に砂糖を入れて練り、短冊型に切り油で揚げる(大正二) (四)山西地区 粉食 カリントウは天王サマと盆に作った。たくさん作って一斗缶に保存した。(明治四十二 男) (五)川匂地区 粉食 特に無し
「大磯町史8 民俗調査報告書(一)」 (平成5.3.25) 発行 大磯町
第四章 衣食住 第二節 食生活 間食
カリントウは小麦粉に砂糖を少し入れ、重曹を混ぜ水でこねたものを、薄く延ばし切って油であげる。 あるいは戦後の食料難で作ったともいう。 小麦粉を練り蕎麦の機械で薄く延ばし、二センチメートルくらいの長さに切り、中央に包丁で切れ目を入れ、 そこへ指を入れ、ひっくり返してネジリンボウのようにし、アラヌキトーシに並べ陰干しにし、油であげたものという。
国府の民俗(一) 虫窪、黒岩、西久保地区topへ戻る
第5章 衣食住二 食生活の伝承
カリントウなし
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第三章 衣食住 三、間食
オシンイコ(オシンコ)、カボチャ、ネジリ、ヤキモチ、アンビモチ、カリントウなどを食べた。 カリントウ 盆時によく小麦粉を材料にして作る。 作り方は小麦粉、黒砂糖を入れ、捏ねて練ってねじり、適当に切って油で揚げた。五、六升作って、ドーコに入れておいた。
「伊勢原市史民俗調査報告書2 伊勢原の民俗 伊勢原岡崎地区」
第5章 衣・食・住生活第二節 食生活
1.平常の食物と調理 カリントウおよび類似の菓子/保存食の記載は無い。
「伊勢原市史民俗調査報告書6 伊勢原の民俗 大田地区」
第5章 衣・食・住 2 食生活 (1)平常の食物と調理
「主食/間食/保存食/調味料」 保存食の項に「うどん粉を練って薄く伸ばして、2寸8分くらいに切って油で揚げ、黒砂糖を溶いてくるむと手伝いを頼んだときの上等のお茶菓子になった。」の記載があるがカリントウの名前は無い。 カリントウの名前は巻末の方言語彙集にも無い。
█伊勢原まとめ
第5章 衣・食・住 (2)食制と食具
表5 オチュウハンとしてカリントの名前がある。
「カリントウ」について記述のある最初の秦野市民俗資料は昭和60年(1985年)に報告されたもので、 30年以上前になります。 ところが、更に10年前に報告されている1975年発行の神奈川県民俗調査報告8 県央部の民俗(V) 秦野地区には、第3章 衣・食・住 第一節 食物と服飾粉食や間食、調味料、ハレの日の食物としてまとめられているものの、「カリントウ」の言葉は一切無く、菜種油についての記載も有りません。この調査は、明治32-38〜大正元年生まれの菩提、三廻部、今泉、渋沢などに在住の人たちに対する聞き取り結果で、「カリントウ」が作られていた地域に対するものです。 1985,86の秦野市の民俗調査とは一部の委員は重複していますが、「カリントウ」に関する調査結果は異なっています。 このため、これらの資料で調査方法に違いがあるのかも知れないと考え、2004年より自分でも聞き取り調査を試みてみました。 |