□「平成30(2018)年ブログ」NO.2 平成30年4月1日〜6月30日
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■還暦13歳・「おのこ・をみなご」の武周が池散策記
平成30年4月17日
1年半前に郷里の小学校の友人 K君に誘われ、彼が使用する山荘に行き、小学校時代の幼馴染と旧交を温めたことがあったが、今回は、中学校時代親しくした友人と、彼の友人たち(全て同窓生)と一緒にいくこととなった。
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■「(続)学問の史跡(?)を訪ねる」
平成30年4月4日
先月は、遅まきながら学問の恩恵に与られるようにと、湯島の「学問の神様、史跡」を訪ねたところだが、時間が足りずもう一足先にある学府に立ち寄ることができなかった。
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■「記念誌の発行」
平成30年4月3日
青葉国際交流ラウンジ国際児童画展は、1996年より(財)横浜市国際交流協会、外務省、文部科学省ならびにフルブライト・ティーチャーズ・プログラムなど多くの支援や協力を頂きながら続けてきました。
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■ 「還暦13歳・「おのこ・をみなご」の武周が池散策記」
平成30年4月17日
「隔世の感がした駅裏」
1年半前に郷里の小学校の友人 K君に誘われ、彼が使用する山荘に行き、小学校時代の幼馴染と旧交を温めたことがあったが、今回は、中学校時代親しくした友人と、彼の友人たち(全て同窓生)と一緒に行くこととなった。午前10時に集合場所の福井駅の東口(昔は裏口と呼んだ)に行ったが、駅裏のあまりの変わり様に隔世の感がした。思えば故郷を離れてから半世紀以上の時が流れており、変わらないわけがないのだが、頭の中の故郷はいつまでも変わっていないのだ。そのギャップが拍車を掛けているのかもしれない。
「かじかの里」
今年の2月には30数年ぶりの大雪に見舞われ、郷里のあちらこちらに被害が続出したらしい。途中立ち寄って山菜弁当を調達する「かじかの里」も物置小屋が崩壊したり、山荘へ続く山道は木々が倒れ、落石があったりして、今年の冬の荒れようが想像できた。子供の頃、こういったことは当たり前に起こっていたので、郷里に住む友人たちには殊更(ことさら)のことではなく、握るハンドルも軽く、冬の荒れに反比例するかのように車内での話は姦しさを増していった。
「春爛漫の老桜」
市内では、桜の時期はとっくに過ぎていたが、さすがに少し標高が高いこの地では春が真っ盛りで、山荘の庭の老桜も枝を折らんばかりに花をつけ、我々を迎い入れてくれた。
「春爛漫の老桜」
電気もガスも水もないこの時期の山荘での一番のおもてなしは、明かりと暖 ということらしく、K君の手慣れた指示でランプに灯がつけられ、ストーブに火が点けられた。この歳の我々にとって、旧交を温めるのにこれほど整えられた場はそんなにないだろう。青春を語る「最もふさわしい場」に「最もふさわしい暖」と「最もふさわしい山菜弁当」と、そして「最もふさわしい仲間」が整い、青春謳歌の幕は上がった。
「青春を謳歌する若者たち」
そして、語らいが弾み佳境を迎えた頃に不思議なことが起こっていた。はたから見れば、「ジジ」「ババ」の集団なのに、熱弁をを振るう友、その熱弁を聞く輩(ともがら)には、皺や白髪や禿頭はまるで他人事。「をみなご」「おのこ」時代を追憶する言動にジジ、ババの象徴が霧消し、ここは青春を謳歌する若者たちの場になっていた。
お勉強もたくさんしたが、たった一言「好きです」と、言えずに悶々と過ごした時代にフラッシュバックした時、青春回顧の盛り上がりは頂点に達していた。青春を語り終え、未だその余韻が冷めやらない内に集合写真を撮った。まさか、それに皺や白髪や禿頭が映り込むなどとは思いもしなかった。
「西雲寺の枝垂れ桜に悠久の時を感じ」
その後、西雲寺を巡り、春を満喫する見事な枝垂(しだれ)桜に、わが青春時代に繋がる悠久な時に思いを馳せた。この場に来なければ感じなかったことであろう。ところがそのことが、ここに住む尾長鳥には見えていたのかもしれない。
「尾長鳥に誘われ他奇遇」
かの鳥たちの一段と甲高い鳴き声が、還暦13歳の酉たちを誘っていたとしたら、まさに奇遇で、巧妙に仕掛けられた宿命というしかない。
「青春に戻った桃の花園」
宿命に導かれ、桃の花園へ足を踏み入れたとき、心の開放は止めようもなく、半世紀前の青い時代の無邪気な「をみなご」「おのこ」を演じていた。青春時代に戻り、当時のまんま無邪気に語り合え、遊べるこの仲間は羨ましい限りであろう。この青春の1ページには偶然のめぐり逢いから、朋(とも)の絆を紡ぎ、かけがえのない友人の契りを交わそうと懸命に燃やし続けた仲間の情熱が透ける。そして、その巡り合いが宿命的と言えるのなら、これからもその宿命に沿って無邪気な付き合いを続けていかなければならないのだろう。
今年も友人と語らう濃密な時間は、あっという間に過ぎた。今年もどうしても言えなかったことがあったけど、来年こそはと言い聞かせ、この場に別れを告げた。青いレモンの味を確かめに、来年もこの地を訪ねたい。
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■ 「(続)学問の史跡(?)を訪ねる」
平成30年4月4日
「加賀前田家藩邸の朱塗りの門」
先月は、遅まきながら学問の恩恵に与られるようにと、湯島の「学問の神様、史跡」を訪ねたところだが、時間が足りずもう一足先にある学府に立ち寄ることができなかった。凡人には、恐れ多くてとても近寄れるところではないが、先輩のお引き回しに与り訪ねることにした。
「三四郎池」
江戸時代、加賀前田家の大名屋敷だったこのキャンパスは、大名屋敷を象徴する藩邸庭園(三四郎池)や門に日本伝統の格調高い文化が漂っている。この場所を訪ね、約半世紀前に起こった事件を思い出した。恐らく、泉下の加賀の殿様は、当時、この事件の行く末を案じられたに違いない。
「半世紀前ここで戦いがあった」
それから半世紀、戦いが繰り広げられた場所は何事もなかったように修復され、日本伝統の格調高い文化を取り戻している。泉下の殿様の気持ちが安んじられたことと想像するが、最近、某所が「忖度」事件で機能マヒに陥っているところを見せつけられるたびに、修復が途上であるのではないかという気がしてならない。
「本郷キャンパス図書館」
泉下の殿様を、不安に陥らせないようにと祈りばかりである。
「忠犬ハチ公」
ハチ公もそう思っているに違いない。待たせるわけにはいかないだろう。
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■ 「記念誌の発行」
平成30年4月3日
「横浜青葉国際交流ラウンジ国債児童画展20周年記念誌」<表紙>
「横浜青葉国際交流ラウンジ国債児童画展20周年記念誌」<コンテンツ>
青葉国際交流ラウンジ国際児童画展は、1996年より(財)横浜市国際交流協会、外務省、文部科学省ならびにフルブライト・ティーチャーズ・プログラムなど多くの支援や協力を頂きながら続けてきました。この児童画展には海外、国内を合わせて5000枚近い児童画が寄せられ、横浜市のみならず各所でも展示を行い、異文化交流や国際理解に努めてきたところです。
この20年の間には世界でも日本国内でもさまざまな出来事が起こり、子どもたちの絵の中にもしっかりと表現されていました。そして、この中から私たち大人は何を感じ、何を伝えなくてはならないのか多くを学びました。20周年を迎えたことを期にこの児童画展を一旦休止することとしましたが、子どもたちの目に映る世界が、本当にやさしい世界であって欲しいと願わずにはいられなく、この願いを語り継いでいこうと記録に残すことに決めました。
1年ほど前から、この展覧会に関わってきた最後に残った6人のメンバーが、毎週木曜日に集まり記録編纂に向けた作業を始め、ようやくこの4月3日に20周年記念誌として、後世に繋ぐ冊子を発行するに至りました。この間の作業は老人力が問われ、難行苦行の連続でしたが、思いのほかの出来栄えに、強いられた苦難に倍する感動を得ることができ、近年にない喜びに打ち震えた1日となりました。
1年前、本作業に取り掛かる心境を本欄に「児童画を通じた新たな国際交流のあり方に向き合っていければと思う。国際交流には程遠いセンスしか持ち合わせてないが、純真な子供たちの4,000点の作品を整理していて、それが透けて見えてくる気もする。このお手伝いを全うできるのは、この感性を信じるしかない
(ご参考)」
と記した。信じた恩恵の大きさは、想像を超えている。
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