3月10日(日)

昨日のうちに荷物を用意して、今日の早朝に備えていました。フロントに 朝の4時半に行くとすでにお弁当を用意してくれていました。
短い間ですが(二泊)お世話になりました。
迎に来たのは、マイクロバスです、その中にぎっしり先客が居ます、バスの座席は前の席との間を詰めて、増やし尚且つ、日本では横に3人がけの並びを4人がけにした。空間の無駄使いをしない、ナイスナバスです。
「おいおい、これでこのギュギュウ詰め状態で、この先悪路を10時間走るんじゃないだろうな?、バスを乗り換えるのか?」と聞くと「ウン ウン」と頷く、子供のようなスタッフ、まだ暗い、時間帯にマイクロに乗り込み「モーニング」と挨拶を交わし、言われた、入り口の席に座ります。

先ほども話したように、ギュウギュ詰めで、欧米人にとっては、足の置き場もない状態です。

尚且つ、入り口には、横向きに比較的広いスペースで、20代フランス人カップルがが占領して居ます。

荷物は屋根の上に載せたり、座席の下に押し込めたりして、みんなが融通しあって乗せています。

早朝から見送りありがとうね。
左の子には鉛筆セットをあげたので
何かとことあると事に世話をしてくれました。でも、ほかの男の子にあげようとした時、スタッフに「この子は読み書きできないから あげても無駄になる」と言われてしまった。

これは、集客用のマイクロかな?

椅子はペラペラ、ガタガタ「さあて、どこのバスターミナルで乗り換えるのかな♪」と思っていたが、走り出したバスには途中からも、地元の人が次々と乗り込んできます。
もちろんすでに中はいっぱいで、屋根に次々乗り込んで行きます、入り口近くに立っている、乗務員助手の子供に「これで インレーまで行くのか?」と聞くと、「そうだ」と元気よく答えが返ってきた・・・・・・・・・・・
今までの最悪のバスのたびが始まりそうだ・・・
隣に座っているのは、どうやら日本人のようだ、20代前半学生のようで、体はチョット小太りの大きな図体です。ディバックを胸に抱え どこに置こうか探しているようです。足の下はもう入れるところがなく、それで、目の前にふんぞり返っている フランス人の足元に、バックを置こうと思ったようだ。
ほかはもう入る余地がないくらいですが、その下はガラガラ その日本人の青年は、スゴスゴとその下にいれようとしました。
入れようとしたら、フランス人の女性が「ノーーン ノーン」と顔を引きつらせて、拒否 明らかに、アジア人を見下したかのような、しぐさでかばんを引き擦りだし、「ここは私達の椅子なんだからね、そんなものを勝手に入れないでちょうだい」とでも言っているのか、フランス語で、彼にまくし立てます。勢いに飲まれた日本人の彼は、ひるんでいるが、なにやら愛想笑いを浮かべて、場を繕っていた。
それを横目で眺めていたが、完全にアジア人を馬鹿にした態度で、リアクションも大きく 回りに「この日本人が、ずうずうしくて・・」とやっている。
少し、同じ日本人としてというより、お互い協力・思いやりのできない奴は、大嫌いな私の性格が、少しイラッっときました。
そのうちヤッパリその日本人は、少し大き目のデバックをひざに乗せてこの先、移動はつらいと判断して、またそろりと、先のフランス人の椅子の下の空間に滑り込ませようとした。
それに気づいた フランス人のねーちゃんはいきなり、狂ったように、まくし立て、その子の荷物を足で蹴りだしてしまった。
彼氏の男も 見て見ぬふりで、気性の荒そうなフランス人(結構、欧米系は女性の方が気性が荒かったりする、レディファーストの間違った、認識か、彼氏も手に負えない)
の必然的な対応策か、自分の彼女の暴挙と言い訳に、にっこり答えていた。
(彼女にとっては、よきパートナーであった)
困った隣の日本人は スゴスゴと床に転がった、自分の荷物を抱えていた。
目をつぶって、我慢していた私は、腰を上げて 目の前のフランス人に「どうして、そこに入れてはいけないの?あいているじゃない、何か不都合でもあるの?みんな我慢して、荷物を入れているじゃない?」と言うと、「ここは私達のスペースだから、空いていようがあなた達には関係ない、自分達のスペースだけで処理してよ」とのたまった。

ブチ!!「みんなお互いに協力しているじゃないか」と言うと、英語が分からない振りして
フランス語で、薄ら笑いしながら「ノン・ノン・ノン」と、・・・廻りに同意を求めるように、勢いを増してまくし立てる。
そんなことでひるむと思っているの??君達。
いかん事はいかんと数々の国で、主張して来た私は、当然 引き下がるわけには行かない。
もうだめだ、周りのEU勢が居ることも関係なしに、日本語で「そんな屁理屈が通用するか、この
バカ・フフランス人、お前達みたいな自分勝手な奴らが、このバスに乗っているだけで むかつくわ、このバカフランス人(三回ぐらい顔の前で言った)、とっととその大根足どけろ、人の荷物を足蹴りにしやがって このバカやろうが・・」と フランス人の彼氏はチラッとこちらを見たが、こちらの剣幕に第三者を決め込んだようだ・・
フランス人女も、ふてくされて横を向いている。話はついたようだ。
「よし ここに置かせてもらおう」と
彼の荷物を「貸してごらん、堂々と ここに置いておけばいいのだから・・」と 言うと
当の日本人は
「ウーーン 僕は別にどうでもいいけど・・・」ガクッ・・・・・・・・あんた自分の荷物足蹴にされて、放り出されたんだぞ 言うべきことが言えないから、まだまだ日本人は舐められる、好き勝手されるんだぞ と思いつつも「あっそう、それなら自分でもっていな」と あほらしくなって 余計なお世話だったけど好きにしなさい、そのちびまるこちゃんのバッジがいっぱいついた、バックを大事に持っていなさい。こうゆう日本人も疲れます。
個人的にも、あのようなわがまま旅行者は大嫌いなので・・・その後も、フランス領主国思想は通用しないことを、叩き込むために せめぎ合うのでした。
段々、EU連合は(ドイツ人・スイス人・イタリア人等)崩壊し、彼らフランス人のわがままぶりに付いていけなくなって、自分達の窓は砂埃がすごいので開けたくない、かと言って中は灼熱で、ほかの人に「そっちの窓を開けてよ」と、指図する。
私の顔の前を横切り足を投げ出し 伸ばして、窓枠に掛ける、(足を叩いてどかしてやった)
椅子は勝手に場所を変えて自分達だけ広いスペースをつくり、当然ほかの人が狭くなってもお構いなし、(椅子を蹴って元の位置に戻してやった)人のリックの上に足を投げ出し平気で踏んづける、みんなそのたびに迷惑そうな顔をしているが、言い出せない。しかし、ウインクで相槌を打ってきます。
最後には 乗務員のミャンマー人をこき使っていたが、そのミャンマー人にも無視されて 他にも居た、フランス人もう一組と少数連合となるのであった。
フランス人、君達はもう一度しっかり 人とのかかわりを 両親から勉強しなおして、外国に出ろ!このようなことの多い フランス人は 結構ほかのところでも、ほかの国の人達から、煙たがられています。
フランス人とツアーに行くと、身勝手で楽しくない、って 多くの人が言っていたぞ。全部が全部とは言いませんが、フランス人・中国人は 自己主張が強すぎます。両国ともまずお互い 言いたいことをバーーーンと主張して、「ダメダメ それはダメ」と言いつつ、妥協点を見つけていくやり方で、中国人同士 フランス人同士「ダメダメ ダメダメ」
と、言い合いをしている姿は良く見ます。
ああ  すっきりした、でも あの日本人が一番参った、あれだけ明らかに嫌悪感を示されてやられたのに、休憩になるとそのフランス人の会話に混じろうと、フランス人の傍らに佇んでニコニコ愛想笑いをして・・・・最後にはシッ・シッ と女性に追い払われて、いました。
すると、こちらに来て「なに食べているんですか?安いですか?」と・・・あんたのその優柔不断さが私には理解できない。「自分で店の人に聞きな」と私は、もうこのような人間とは係わるのは疲れるので、ドイツ人達と話をしていました。
バスは段々、山道に入って行き、赤土の乾燥した砂埃が、すごいです。バンダナで鼻と口を覆って、サングラスを掛けていないと、車内は砂埃が蔓延しています。
もちろん服も荷物も砂まみれ、しかし、窓を閉めると40度近い気温で、大変なことになります。
そして、ゴロゴロした石のある山道で「パーーーーン」 おっきたな!
またしてもタイヤがパンクをしたようです。
いままで、何度もこの音を聞いているので、(ネパール ラオス) 車を降りて タイヤ交換を見守ります。

ヤッパリこれで移動か〜

ガソリン給油中です、いつの間にか
屋根にも人が満載

山越えをしていく、多くのトラックたち

また、パンクだ!

がんばっているな、
わが町の(名古屋市)の市バス。

エアコンは  勿論ない

何とか、山越えをしたのがお昼過ぎ、次の街に止まって、予備タイヤもどうやらもう限界のようで、タイヤ交換に入ります。
途中で抜かしていった、名古屋市の市バスの団体が、食事に寄っていました、懐かしさからシゲシゲと眺めてしまいました。
タイヤは、ミャンマータイヤと言う、国産品煮変えてありました。中の椅子も数が増やされて、どこかの学校のバスになっているようです。「非常口」「自動ドア」など、日本語はそのまま表示してあります。

どこの町にも必ずタイヤ屋さんはあります・

タイヤ交換も無事すみ、またバスに揺られて、走ります。

途中から、多くの人をまた乗せていきます。まあ、バガン〜インレーの路線バスのような感じです。
自家用車や路線バスの発達していないこの国では、貴重な足です。
次第にミャンマーの人が大きな荷物を持って乗ってきます。

勿論座る場所がないので、屋根に乗る人、床に座る人、譲り合って乗り込みます。しかし、相変わらずフランス人はゆとりのある自分達の長イスには、誰も座らせません。インレー湖が近づくとカローと言うインレーから70キロの街で、何人かの欧米人が降りて行きました、この街は、少数民族の村を廻るトレッキングの拠点です。時間はすでに16時過ぎです。

景色を楽しむために、乗ってみたいと思った、バスですが、埃と狭さで、景色どころではなかったです。今まで乗った、数々のバスの中でも、1・2を争う厳しいバスでした。
景色は、山間を走ったり、たまに村が見える程度で、今となってはあまり記憶がありません。日がどっぷり暮れた19時何とか、インレーの拠点タァゥンギィの町に着きます。そこから湖畔の街までは、まだ約30キロ ここからは自力でいかなくてはいけません。タクシーが待機しています。ドイツ人の中年夫婦と、シェアーしておこうと思って交渉していると先ほどの日本人がちゃっかり「私もお願いします」と入ってきました。
ニャゥンシュエの街に着くと、ドイツ人は予約したホテルで降りて、かの日本人は、「安い宿はないか」とu運転手に聞き 連れて行かれたホテルで降りていきました。「どこのホテルに泊まるんですか?明日一緒にインレーを廻りますか?」と聞いてきましたが、「まだ、ホテルも何も決めていないので判らない」と答えて別れました、もうかかわりあいになりたくなかった。
そのまま、小さなメインの道端で、ホテルを薦められるが、一度飯を食ってから考えようとおいしそうな地元の人が、いっぱいいるレストランに入りました。時間は21時過ぎ、大きなリックが、目立ちますが、まだ、ホテルも街の様子もわからないけれど、ビールを飲んで考えます。
ここミャンマーでは、生ビールのほうが値段がずいぶん安いんです。ABCという黒ビールもあり写真に写っている料理を食べて、運河沿いにある、ジプシーインというホテルに行きます。
少し高級感のある、二階建てのホテルです、別館と本館があり、別館は少し部屋が狭く、窓はありません一泊5ドル 中はきれいで、これは魅力的、本館は広くて運河を見渡せる部屋で、テレビも付いていて(久しぶりのテレビつきの部屋)12ドルにまけてくれるそうです。

窓から外が見渡せるので、小さいことは気にしないで、12ドルの本館を2泊頼みました、最後の日にはインレーの空港からヤンゴンに帰るので、車の手配も頼みました、少し高く20ドルでした。30から40分掛かるので、歩くわけにも、バスもないし、これで飛行機に乗り遅れたら、その日にバンコク行きの
飛行機にも乗れないので、確実に行く手段を選びました。
後は、明日、インレーのボートトリップはないか?と聞くと、確か明日朝日本人が3人ボートをチャーターしているので、シェア出来ないか、聞いといてあげるよ、と言うことです。
シャワーを浴びて、バスの疲れで いつの間にか寝てしまいました。