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染井霊園と周辺の墓所
 明治の神仏分離により増えた神式葬儀により増えた神葬のため、明治四年に播州林田藩邸(建部氏)の跡地に開設された墓地で、明治七年に東京府の管理下に置かれ宗教によらない公共墓地となった。昭和30年、染井霊園と改称。面積は67,911平方メートルと都立霊園では最も規模が小さい。五千余基の墓がある。
  訪問墓碑については便宜上南北二区に分けて整理した。ただし有名人の墓所については案内のサイトも多いので、東京都公園協会の配布案内図に掲載の67家に限りこ掲出、これに若干を補い、また周辺の墓所から若干を収集。臥孌堂の捜索対象は主に漢文をメインとしたとした銘文のあるもの。書家、文人、篆刻、儒林は銘文の有無に限らず収録した。
染井霊園(北部) 染井霊園(南部) 周辺の墓地@〜J
染井霊園と周辺