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谷中墓地 | ||||||
台東区谷中7丁目周辺は谷中墓地と呼ばれており、徳川家15代目将軍慶喜や鳩山一郎・横山大観・渋沢栄一などが眠る。都立谷中霊園の他に天王寺墓地と寛永寺墓地なども含まれる。谷中霊園の面積は約10万平方メートル、およそ7,000基の墓がある。徳川慶喜など徳川氏の墓は寛永寺墓地に属する。 かつては、感応寺(現・天王寺)の寺域の一部であり、中央園路「さくら通り」は感応寺の参道であった。江戸期には、この感応寺で富くじが行われ、「江戸の三富」として大いに客を呼んだ。この客を当て込んで茶屋が参道入り口に立ち並び、現在でもその名残から墓地関係者は中央園路にある花屋のことを「お茶屋」と呼んでいる。中央園路の半ばには、幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなった五重塔跡がある。これは、1908年に天王寺より寄贈されたものであった。この五重塔は、1957年に谷中五重塔放火心中事件で焼失するが、跡地は東京都史跡となっている。 谷中霊園は桜の名所としても親しまれて中央園路(A-B中央)を通称「さくら通り」という。現在、公園型霊園として再整備が進められている(Wiki)。 さくら通り五重塔の派出所前で東西に交差する通路(A-B間)を「いちょう通り」、甲区と乙区を区切る屈曲する通路(A-D・E間)はひょうたん通りという。さくら通りの事務所前から五重塔跡までは、通りに面して碑文を有する墓碑が樹立しており、さながら碑林の様相である。 訪問墓碑については便宜上以下の六区に分けて整理した。ただし有名人の墓所については案内のサイト*も多いので東京都公園協会の配布案内図『谷中霊園・著名人墓地』に掲載の76家に限り、これに若干を補ったに過ぎない。臥孌堂の捜索対象は主に漢文をメインとしたとした銘文のあるもの。書家、文人、篆刻、儒林は銘文の有無に限らず収録した。なおこれより先に東隅子選定の石碑一覧『谷中150碑』がある(2017.4)。
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園内の詳細図 (都立公園のサイトへ、下方のPDFに詳細図があります) |
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