乾清花苑  太白廡  略伝引得

細川
細川林谷(1780〜1843)
 江戸後期の篆刻家・漢詩人。本姓広瀬、名潔、字痩仙・氷壺、林谷は号、他に林道人・忍冬葊・三生翁・白髪小児・天然画仙・不可刻斎・有竹家など。通称春平。寛永9年、讃岐国大川郡寒川町石田東村森広生れ。幼時、林村の阿部良山(1773〜1821)より篆刻を学ぶ。その後、長崎・京都に遊学し、江戸に出て京橋の中橋広小路芝に住む。その篆刻は天下一と讚えられた。その後も各地を周遊し、浪華では文人墨客からの篆刻の依頼が引きも切らず、一冬滞在。毎晩の酒溺で散財した。このとき頼山陽の印も刻している。竹をこよなく愛したという。詩画をよくし、山水画・墨竹図を得意とした。その清新な作風は子の細川林斎、門弟の頼立斎羽倉可亭・山本竹雲らに伝えられた。天保14年6月19日没。阿部縑州(1794〜1854)に林谷伝あり。
 著『林谷山人帰去来印譜』『林谷詩抄印譜』『林谷山人印譜』『林谷山人遺稿』『林谷詩鈔』1848年

印箋
(刷)
収古堂印譜書畫記
細川林齋(1815〜1873)
 名」、字言甫、通称俊平。江戸浅草三筋町西町住。林谷の息。明治6年没。59歳。『西遊印譜』あり。

印箋
(刷)
収古堂印譜書畫記 参考(早大)