ほんなら・・・
  ほんでも・・・


     19回目 
    『樹村みのり』さん。
・・・[
      ・・・・・2004年 10月 10日・・・・・


 樹村みのりさんとはまったく関係ないけれど・・・・。

 神戸のDOG CAFEさんが昨日(9月19日)閉店した。
オーナーさんは「わんこさんと気軽に入れる喫茶店を」と思い、自分の望む事を始めたようで、わんこ喫茶の嚆矢たる店だから、そのものズバリの店名にしたのだと思う。
 浮が初めて他のバセット
春吉さんにお会いした所だった。

 御近所の開店してから五十年ほど経つパン屋さんが、二日前閉店した。
親父さんと一緒にしていた息子の剛君四十五歳は、地域通貨に燃えてるけれど(いつの間にか副代表になっとるわ)まぁ、本当に望む事なら、ぼちぼちやってくれ・・・。


 追記・いつの間にか剛君は、NPO法人日本スローワーク協会
    http://cafe-commons.com/に居た。


Flight (フライト) Flight (フライト)

樹村みのり 著


朝日ソノラマ

1982年3月5日 
初版発行

Flight
(フライト)
              (1979年 月刊セブンティーン4月号 掲載)



 就職に本腰を入れなかった井上工は、卒業後、家に居るわけにもいかずアルバイトの気ままな二十二歳の生活者。


 新宿ピットインのような生バンドが出るお茶所に久しぶりに行った折、マリエの歌を聴いた。
 マリエが出る晩はかかさずに通った。
彼女の歌に魅かれたのは
『まるで自分のことを歌われているような彼女の自作の歌』にだった。

 マリエが唄い終わる頃、ラストオーダーを店の者が聞きに来た。
一番奥の席にいつも座っているマリエに水割りをプレゼントしようとした時、スケッチブックに挟み込まれていた男の横顔の絵が下に落ちた。
 井上はそれを拾いながら、ここに座っても良いかと聞いたが、彼女は一度は断ったものの、苦笑いしながら礼を言い、帳面に何か書き続けた。


 始発電車に乗ってマリエが帰る時、強引に「君が降りる駅まで送るよ」更に降車駅に着いても強引に「まさかこのまま上りの電車に乗れって言うのかい?家に寄ってコーヒーでも って言うのが・・・」
 こうしてマリエとのつきあいが始まり、マリエの出演日の翌朝は始発でマリエの家に行くようになった。
 井上がマリエに恋愛感情を持つまでさほどの時間はかからなかった。


 学友の紹介でお役所の戸別訪問調査のアルバイトする事になった。

説明会で井上が卒業してるのを知った若い小役人高山は「良ぇ身分でんなぁ〜流行のモラトリアムちゅうとこでっか。まぁ、怠け者 言う事でんな」と冷たく言い、井上は心では反発した。

 その晩、マリエが歌う日だはと気付き、彼女の歌を聴いている時、詩の中に見知らぬ男、マリエが愛した男を見つけた。

 井上に年下の坊やとしか思っていないマリエに、井上は同じ部屋で眠る事は出来ないと階下の台所で寝る。


 三十件の戸別訪問調査のお仕事は、転居している人や門前払いの人もいれば息子が学生なので息子と重ねて「じゃぁ いいわ」と協力する人等々・・・。
『住所と名前以外 なにも知ることのない三十人の人たちの意見を求めて』歩きまわったが『そこでは ぼく”井上工”という人間が人々と接したのではなかった』それは『便ギ上ぼく個人についた仮の名称として ぼくは見知らぬ人々と会い・接し・ことばをかわしていた』そこで 『正直な 心優しい人たちとことばをかわすときぼくは幸福を感じた』『人々にとって ぼく”井上工”はなに者でもなかった それゆえ その幸福は”没個人的なもの”一種の”片想い”の幸福だった』


 聞く井上に、答えるマリエ。
「学生時代に出逢った、激しい感情が内部で同居していて、表面には出さないもののウンウンと声を出して苦しんでいた男だった」
「卒業すると、米国に一人で行ってしまった」
「私は卒業すると、母親一人で切り盛りする店を妹が見ているので、次に妹が入学する為に郷里へ戻るのが決まっていた」
「山国の小さな町。日々、自分が死んでいくように感じた」
「二年経った頃、妹が学生結婚し、幸せそうな顔を見た時
『本当に望むことをなにもしなかった自分をなさけなく思った』
 井上が「彼についていきたかった?」と聞くと、「唄っていたかった」
まだ彼のことが好きか?と聞く井上に、考えたマリエは「
『とにかく いま わたしは 自分をなさけなく思わないために暮らしているわ』と話を切った。

 その晩、井上は眠るマリエを見続けながら、わけもわからず泣いた。


 適当に戸別訪問調査書を出す者が多い中、真面目にお仕事した井上に高山は感心した。
「ついでにまとめてくれへんか?」と言う高山に井上は拒否の顔を見せたが、「金をもらわなきゃ アホ臭くて出来んか。三流大の落ちこぼれはこれやさかいに、何やってもアカンねんなぁ」の高山の言葉に噛んだ。
『あなたの おっしやるように ぼくは無気力で なまけ者で 甘ったれで 無責任で 落ちこぼれかもしれないけど 少なくとも あなたのように外側で人間を決めつけたりはしないつもりです』
 高山が「見上げた自尊心やけど プライドだけではどもならん やれるもんやったら やって見せてみんかい!」と煽る。

 徹夜でまとめた井上は、翌日、高山の所に行き提出し、中身を見た高山は、合格百点満点と井上を褒め上げた。
『どうして あんなに挑発的だったんですか?』 
「あれはやなぁ〜俺の愛情表現やんけ!」


 西洋酒場で高山は井上に、まっとうな大人論を静かに語る。
 曰く
『何故 職について仕事をもたない?それともなにかやりたいことでもあるのか?』
 曰く『自由でなくなることがそんなにおしか?そんな子供の自由は不自由というもんだ』
 曰く
『きみは自分をおとなとは思えんだろうが二十をを過ぎた人間に世の中にはおとなであることを要求する権利があるんだ だが それには社会で生きる資格が必要だぞ』『それがいやならきみは一生子どものまま過ごす未熟児だ』
 
過去を振り返るように「そんなんやったら、好きな女の子が出来ても 大人としてやなぁ 愛する事も出来へんでぇ」
 眼鏡を外した。
井上に、マリエが描いた絵の男の顔が浮かんだ。

 「好きな人はいたのか?」と過去形で聞く井上に「学園紛争が盛んな頃でしてなぁ、ウダウダした日々を送っていましたんやが、卒業の時にでんな、将来の事 なぁんも考えられへん自分には 彼女を想う事なんて出来まへんがな。そう思い込みましたんや。そやさかいにひたすら遠くへ行こ思て、米国に行きましたんや。二年後帰国した時、彼女は故郷に帰ったと聞きましたんやけど・・・。名前でっか?”えみ”言いいまんねん」
「捜し出さなかったのか?」
 高山は物思いにふけた風の糞真面目な顔で言った。
「そんな・・・彼女が おれを 決して許しまっかいな」
   ・・・(えぇ〜、ここで唐突な感じがしますが・・・)・・・
 井上が言う『なんにもなりたくなかったな なんにもならないようになりたかった だって なにかになったと豪語する人間はみな どこか変なところのある隣にはすみたくないような人たちばかりだった』と高山は熱弁した。
「そんな屁みたいな理由で自分を粗末にしたらアカンわ。残ってる時間はせいぜい二年やで。好きな道には戻れまへんで。望みが有んねんやったら、やんなアカンわ。
『せめて自分のできることできないことくらい この世で過ごすうちにはっきりさせなけりゃ自分に生まれた意味がないだろう?』 あぁ〜んどないだ!」


 雑踏の中、自分は何者でもなければ、誰も自分を知らない。
存在していないのと同じで
『人々の中を歩く透明人間のようだった』、


 井上は『進むか 退くか 停まるか  ちがう ちがう 進むか 進まないか・・・だ』

 始発の駅でマリエに「好きだ」と言うが、」マリエは「自分がいけなかった」と謝る。
 翌日、マリエに名前を聞き、”恵海
だと知り・・・・後は、高山に『ぼくは 仕事を持って おとなになります ぼくはぼくなりのなり方で ぼくに望みの ほんとうのおとなになります』なんて言った後、まぁ想像出来ますように、高山をマリエが唄う所に連れて行き、舞台から井上を見た彼女はしばし沈黙の後、愛しい人への愛の歌と曲を変えた。


 『人と人が生きるなら この世には かなわぬあこがれもある』
『あこがれは きょうも 胸をこがす』

 海辺で紙飛行機をおもいっきり投げ飛ばす井上。
・・・GO・・・ Flight





 年上の歌い手さんが唄う詩は、まるで自分の事を歌っていると思った青年が歌い手さんに恋したものの、相手にはされない未熟者。

 歌い手さんは卒業後、故郷によんどころのない事由で帰ったが、心から望むことをしなかった点を痛恨した後、上京し、学生時代の忘れられずにいる男がいたものの「歌を唄い続けたい」と思い込む事で心の中に今も残る男を消し去る日々。

 青年はバイト先のおっさんに「大人とは・・・」云々のお説教をくらったものの、反発し、お仕事を良くやったのでおっさんは見返した。
「よっしゃ、気にいった。飲みに行こうやないけ」

 青春期を乗り越えて、曲がりなりにも一人前の大人になったと自負するおっさんはお説教の続き始める中、飲みながら聞くと、このおっさん、後にも先にも好きな彼女は学生の時にいただけと言い、青年は何処となく年上の歌い手さんと重なる気がする。

 半分酔っ払ったおっさんがアジる。
「出来る事ぐらい、生まれたからにゃ、やらんけ!!」

 青年が告白すると「坊や、ごめんね」
本名を聞くと「あれまぁ〜」と驚いた。
おっさんのもとに飛んで戻った青年は、「仕事をちゃんとしますわ。大人になりますわ」と言いつつ、おっさんに「好きだった彼女の所に連れたるわ」

 「憧れだけではどもならん」と知った青年は、海辺で次の一歩に飛び出す。




 単行本の書名になっている作品ですので、敬意を表して以前のように長くて細かい作品内容を書きましたが、私は「つまらん!!」と思いました。



 井上工君。
 高山の”まっとうな大人に”論に対して、
『なんにもなりたくなかったな なんにもならないようになりたかった だって なにかになったと豪語する人間はみな どこか変なところのある隣にはすみたくないような人たちばかりだった』と答えた井上工君、君は良い事を言ったんだぜ。

 後半は偏見だけれど、前半の
『なんにもなりたくなかったな なんにもならないようになりたかったを自然体で身に着ける事が出来れば、そこは老荘思想の到達点。
 なのに、高山が続けて言う「そんな屁みたいな理由で自分を粗末にしたらアカンわ」は彼の考えにすぎないけれど、続く
『せめて自分のできることできないことくらい この世で過ごすうちにはっきりさせなけりゃ自分に生まれた意味がないだろう?』に言い返せるほどの力と知恵を持っていなかった。
 売り言葉に買い言葉にせよ、若気の至りにせよ「何もなさない者が、明確さを求めるのは愚の骨頂」ぐらいせめて言い返さにゃ。
 樹村みのりさんは、そこを含めて”駄目坊や”を描いたのだろうけれど、でもねぇ〜。


 高山さん。

 卒業後の渡米留学(留学とは描かれていないけれど)は合法的なモラトリアムで良いのだけれど、帰国後、職に就いたから、と言って、別に君より若い井上君に君が説教する事もないだろう。
 職に就く事が大人になると考えるのは、一寸違う。
 在学中フォーク・ソング同好会で知り合った恵海さんが、帰国後、郷里に居る事を知りながら何も行動しなかった程度の自信
(=大人)を留学で得ていながら、説明会に来てよそ見をしていた井上君に「「良ぇ身分でんなぁ〜流行のモラトリアムちゅうとこでっか。まぁ、怠け者 言う事でんな」と言うのは”大人”じゃないと思うよ。

 恵海さんが唄う所に井上君に連れられて行ったと言う事は、井上君の方が君よりも1枚も2枚も上手を行く”大人”だぜ。
 人に厳しく、自分に甘い典型?
 樹村みのりさんは、自覚しない三枚目を演じさせた?



 恵海さん
(マリエ)
 自分が年上だからと言うだけで井上君を”ぼうや”と呼ぶ未熟な大人のマリエさん。貴女が一番解らない。

『本当に望むことをなにもしなかった自分をなさけなく思った』ので、歌い出した訳ではなく、過ぎ去った高山さんを忘れる為に歌った訳でもなく、忘れないように唄いだした。
 だから貴女が唄う歌の詩は、逆に切実感は有るものの陳腐に聞こえる。
それは、陳腐であればあるほどに、その年齢に多く見られる感傷と同じ響きが返って来ると初心な者には思わしてしまう。

 結果的に、劇場でコンサートをと、高山さんと、望む二つを手に入れたのだけれど、それは何も恵海さん
(高山さんも)が”大人”になっていたからではない。
 歌い続ける事が、それ程に軽いものだったのかと思う。
違うか。軽いものだったからこそ井上君が自分の事を歌っていると思える程度の詞をまだ歌えていたのか。



 ”あこがれ”は色恋物に限らないのだけれど、高山さんを描く事で対象が絞りきれずにいると思う。
 雑誌『セブンティーン』の読者向けなら”あこがれ””大人””恋””職業”等々を繋げるとそれも仕方ないか。

 1976年、『限りなく透明に近いブルー』(講談社刊)で出てきた村上龍さんは、昨年えらく爺臭いと言うか、”立派な大人”になってと言うのか『13歳のハローワーク』(幻冬舎刊)を出したけれど、高山さんは二十五年後の村上龍を見るようで、それからすると樹村みのりさんは三十歳にして早くも(早くもないか?)も村上龍さんに近い”立派な大人”モノをも描いた? 



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砂漠の王さま
           (1980年 週刊セブンティーン2月19日号 掲載)



 大国の若き王様に、隣接する小国は「王女を嫁はんに差し出すように」との要求に従い、王女に見立てた娘を差し出した。

 王様は娘が王女ではないと見抜いていたものの、娘の母国での身代わり条件や、小国の事も考えてやると追い返す気にはならないぐらいには人が良い。

 この娘、恐れ多くも王様に、結構言いたいことを言う。
言われた王様は、怒りもせずに痛い所を突かれたと思うぐらいには結構素直。

 ほんの一寸したきっかけで、王様は娘に恋の感情を抱くようになった。
 王様の財力の許す限り、娘の為にと”物”を与えたが、娘は感謝はすれども、これっぽっちも喜ばない。

 娘の笑顔をもう一度見たく「どうして欲しい?」と聞いてみれば「国から持ってきた野草を育てたいので、土地を少し」
 容易い御用なのに「今度は、おいらの願いをきいてくれ」って言い、口づけを求めたものの、その直前に自分が情けなくなったお粗末な王様。


 嬉しそうに痩せた土地を耕す娘。横で娘を見ながら満足する王様。
やがて花が咲き、実がなった。

 娘が王様に「もっと怖い人だと思っていた」と言うと、王は他の噂を聞いた。
 娘が「思い通りにならないと、気に入らなくて我がままなる」
王様は反論を加えるが、娘が好きなのでリキに乏しい。

 王様は考えた末、娘の部屋に行き「お前の言う事は、もっともだと思う」

 実が落ち娘は布を織り出した。
織り終ると娘に残る望みは家に帰りたいと言うだけだと思い、王様は落ち着かなく不安になった。

「家族を呼び寄せてやろう」と言ったが、娘は「家族は自分をもう必要としていない」と言う。
 ヤケクソ気味の王様は「閉じ込めておくことだって出来る」と言うと、娘は「愛しているのなら、せめて、”おまえ”と呼ばないで」と言った。
 王様は、こりゃ、アカン 阿呆な事 言うてもうたわ と反省し続けた。

「多くの娘さんを見てきたが自分が愛されたいと思ったのは一人だけだった」「帰らないでおくれ、望むなら、もっと良い人になる」なんて娘に言った。
 頑強堅牢の石のお城が、消えた。
(と、ここで描かれているんですわ)
 娘は、織り上げた布を「貴方の為に織った」と王様の肩に掛けた。
王様が振り向くと、美しい女王が居た。



 白馬に乗った王子様が来て”玉の輿”願望がかなうお話は古今東西あるようですし、大国が周辺の小国からの謀反を抑えるべく、かつ、双方の利害が一致し小国の娘を嫁にするのも聞く話だし、大国の皇帝が馬鹿皇子をおもんばかって、将来安定の為に近隣国から嫁をもらうのも聞けば、側室をてんこ盛り欲しさにってのもありふれた話。
 でも、さすがに樹村みのりさんはそこいらの低俗物にならないように、王様を、娘を、うまくずらして描く。

 惚れた男が女によって性格改造されると言のか、愛はわがままな悩める男を救うと言うのか。
 まぁ、これが逆の王女と若者でも同じだし、同性でも・・・・。


 ずらした結果、”玉の輿”に乗れたのか乗れなかったのかは漫画を見る限りでは解らない。
 何せ、旧弊の象徴、城が無くなっているもんね。
 ここいらが、少女漫画を読めない阿呆坊の辛い所です。

 これまでの樹村みのりさんの作品からすれば、いくら夢見る少女向け雑誌
週刊セブンティーンに載せる作品とは言え、王政を認めるわけにはいかない。
 となると、読み手に玉の輿が有るとも無いとも分からないようにぼやかすしかない。

 座る王様に後から寄り添う形で”王女”となった娘。
しかも頭には冠がしっかり乗せられているおしまいの描写は、不毛の地に建つ石城を消し去る事で、新しい二人の婚姻形態をそこはかとなく示しているようにも思う。




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ピューグルムン
           (1981年 プチコミック 1・2・3月号 掲載)



ニューヨーク 1956年で始まるのだけれど、何故なのか分からない。
1957年にソ連が初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げているのが何がしか関係するのんかな?
ピューグルムンは何処から出てきた名前なのかな?



『親愛なる友へ お元気ですか?』・・・略・・・『今ではわたしもあなたも あの人がどういう人だったのか よくしっています わたしたちがピューグルムンになりそこねたことを後悔していません』・・・略・・・


 年長の女の子セシー、続いてピーとエミルゥ、一番年下で男の子もジェニファの四人組が、廃屋となったアパートの一室にお城を作った。
 セシーがある日に思い付いて話したピューグルムンの話は、四人組達のお気に入りの話だった。
 ピューグルムンが「待たせてある船でピューグルムンの星に行き暮らそう」と言い「みんな一緒に行くの」でいつも話が終わるのだけれど、なさぬ夢と知りながらも温かい気分になった。

 自分達をとっても良く理解してくれるピューグルムンはそれぞれの心の中にいた。

 ある日、いつものようにエミルゥ、ジェニファが部屋に行くと若い男ヒューイ・ジョーンズがいた。
 ピューグルムンが来たと思ったエミルゥ、ジェニファはセシーとピーを呼びに行った。

 ピーの母親は昨夜の飲みすぎで機嫌が悪い。
ピーは自分の母親をふつうのおかあさんとは思っていない。
帰宅が遅くなる母親は鍵をピーに渡した。

 セシーは自殺した父親の姉に引き取られて暮らしている。
セシーは初めから口をきかず聾唖者を演じていたが、姉
(義母)はセシーが話せる事を見抜いており、自分勝手に娘を残して死んだ弟をけなし、私が見なければ孤児院行きだったとまくし立てる。

 ヒューイは四人組が手に入れてきた食い物を食らいつきながら、四人組のひそひそ話に耳をそばだてた。
 ヒューイはピューグルムンを演じ、四人組は自分たちの夢を語る”ピューグルムン”だと信じた。
 。

 ジェニファの友人ステーイブンが近頃一緒に遊ばないのを心配して声をかけるが「ごめんね。近頃、忙しいいの」
 四人組はせっせせっせと家から食物を運んだ。

 ヒューイは、憧れや夢を持っていたが貧しかった頃の話をし、四人組は共感した。

 ヒューイが話すピューグルムンの星は
『そう たとえば いつもわたしたちが 心のどこかで思い描いているような 平和で満ちたりた場所でした 争いがなく 理解しあえ 愛しあえるところでした』
 
四人組は『 陶然となって 彼の話に 耳をかたむけたのでした』

 警察が、ただのチンピラだったのに最後は強盗殺人の罪を犯したヒューイの写真を手に捜している。
 ピーはその写真を見た。

 ジェニファが車椅子に乗り感情がなくなっている痴呆症
(?)のお祖父さんに「ピューグルムンの星には自分は本当は行きたがっていないと思うが、友人との約束だから守らないといけないの」と話す。

 セシーの義兄チップに会いに来た男が、偶然にさわったセシーの胸の感触から性的悪戯をする。
 家に戻って身体を拭いていたところに、義母が土だらけのセシーを見て驚くが、かけた言葉は冷たいものだった。

「今夜、ピューグルムンの星に連れて行って欲しい」とヒューイに言うセシー。
「今夜は家に帰りたくない、みんなと居たい」と言うセシー達の部屋に警官達が来た。
 四人組を人質にするヒューイにセシーは「騙していたの」と問うと、「ピューグルムンなんて嘘だし、君達を分かったふりするなんて誰でも言える。俺はコソ泥だ」その言葉を聞いて、ピーは
『知っていた わたし でも あなたがだれでも どんなことをした人でもかまわないと思っていた あなたと一緒にいると幸せだった わたしたち 星へなんか行けなくてもいいの みんなで一緒に生きられるところへ逃げよう ピューグルムン』
 ヒューイは、そこまで思ってくれるのかと思った。

 警察からの連絡にセシーの義母。
一瞬のためらいの後「セシーなんて子は知らないね」
 エミルゥの母親。
驚き「すぐに、行きます」
 ピーの母親。
「あの子は大切な子ども」
 ジェニファの母親から連絡が入ったスティーブン。
「すぐに僕も行く」

 一緒に逃げようと言う四人組に「
『おれはピューグルムンなんかじゃない きみたちと同じに まわりを悪く考えてつまらない生きかたをしてしまった』 ヒューイ・ジョーンズだ これが おれなんだ」と言い門を飛び出し、待ち構えていた警察官達に撃たれて死ぬ。

 野次馬の中から、年老いたおばさんが飛び出して怪我をしたので救急車を呼ぼうとすると
だめ・・・だめよ いま行ってやらなければ・・・お願い あの子のところへ連れていって』

 ヒューイの拳銃には弾は込められていなかった。
 刑事が「この男は、君達を利用して逃げようとした悪い奴だった」と言うが四人組は涙を流す。
「何故、泣くのかね?英雄ではないだろう。空でも飛んでみせたかね」
『そんなことは しなかったわ わたしたちをとても愛してくれただけよ』


『子供時代をともに過ごした なつかしい友人へ』
(ピーからセシーに送った手紙かな?)




 低学年の頃、学校の屋上に行く階段の先に有った物置に使われていた部屋を”りゅうエフ団”(いぃ・ある・さん・すう、の六番目と、A・B・Cの六番目です)と名づけた、秘密の城での秘密の仲間達がいたもんね。
 この部屋にいる間は、まさに子供の時間だった。



 愛されていないと感じている子供達四人の愛情飢餓症が、セシーの作る

ピューグルムン物語に耽溺するのは、分かる気がする。
 でも、本当に飢餓を覚えているのはセシーだけで、他の三人は充足感に少しずつ乏しいだけで、つまりは右へならへの他者追従型。

 セシーがピューグルムンの作り話を始めるのは、他の三人から嗅ぎ取った不充足感を満たす為と、それ以上に自分自身が主役として動ける快感を求めて、他の三人を信じ込ませる事が必要だったと思う。

 逃避としての擬似世界を作り出し耽溺する行為自体は、逃避ではないけれど”ままごと遊び”を例にすれば子供にはごく普通の行動で、ただセシーは孤独感が強い故に、他者を巻き込んだ。
 セシーは、赤胴鈴之助ではないと知りながら、赤胴鈴之助になりきれた
・・・(古いか?セーラームーンの方がましかな?)・・・
 巻き込まれた三人は、セシーよりも切実感に乏しく、それだけに嬉し楽しの夢の世界に迷わずに入り込める。
 秘密の空間でセシーが話すピューグルムンを、自分たちが求めているモノに近いが故に、信じ込む。

 餓鬼達の作り話の世界に飛び込んでしまった、これまた餓鬼の頃の愛情飢餓症時代を経て、今もって愛情飢餓症状態にあるヒューイは、四人組を相手に演じている間に、餓鬼の頃の”なりきり”状態におちいる。
 この餓鬼達を前にした一刻は、幸せを感じていたと思う。
・・・(ここで13回目の『贈り物』に出てくるおっさんの話を聞く場面を思い出すけれど、このおっさんは独断専行型だったので、チョイと異なるなぁ)・・・

 四人の子供と一人の大人(若者)の一体化された空間が出来上がった。
当初、セシー自身が作り話だと自覚していたピューグルムンは、セシーの中で本当の話に変わるのも無理はない。

 『今から 考えると ほんとうは あの 古い汚れたビルの一室が わたしたちの望んだ星だったのかもしれません』

 だがヒューイの”なりきり”は、所詮汚れきった世俗の世界のフイルターを通した一時的なモノでしかない。
 警察官が来た事により、現世に戻る。
俺は、こそ泥で人殺しだ!と。
 ピー
言葉に、身をもって四人組に”ピューグルムン”を知らしめる。

 ヒューイは確信的に警察官達に撃たれて殺される
(死ぬ事が出来る)と飛び出した。
彼の拳銃に弾が入っていなかったと、あえて描く意図が解らない。
 ピューグルムンなるもののお話を信じる四人組達に巻き込まれた結果、彼が得た到達点
(燃焼点・完結点)だとすれば、入っていようといまいと同じじゃないのかな?
 別な言い方をすれば、ヒューイはろくな生き方をしないかも知れないけれ
ど(そんなの、分からんよね)四人組達に会わなければ、まだまだ生きれた。

 四人組は、まったく内容は違うけれどもジャン・コクトー作の『恐るべき子供達
(私は岩波文庫版ではなくて、角川文庫版で読んだ)




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夢の枝えだ
         
(1980年 ミミデラックス 秋の号 掲載)


 
”ドリームエッセー”と称しているもので、作者の”夢”の話。
 夢は夢でも、将来の夢のようなバラ色の”夢”ではなく、昨夜寝た時に見た夢の夢。


 友人が出てきた夢。
「占いによると、来年、とっても良い事が起るよ。死ぬ時の歳まで占いで分かるよ」
 その友人は七年前に亡くなっていた。

 広い部屋で多くの人達と食事をしていて、多くの人は私の知っている人達で、私は何でか胸のつぶれそうな思いでくたくた喰って。喰い終わった人は別の部屋に行き、親しい関係ではなかった人が残っていてくれたので聞くと、悩みがあるのが分かるからと言われた。
 その人は十年程、会っていない人だった。

 アシスタントさん達と話していたら、空を飛ぶ夢を見るらしく一人は低い所から徐々に高く自由に飛べるようになるだの、人々の間をぬうように「飛べるのよ」と言いいながら飛ぶだの・・・。
 聞いているうちに、自分も空を飛ぶ夢を見たけれど、気持ちが弱い時で
『「現実なんてたくさんだ」と強く考えた夜』だった。

 自分自身が嫌になった時は、処刑・死の夢を三夜続けて見た。
 殺人して硫酸で溶かした夢は、殺人者も被殺人者も自分自身だったと目覚めて気付いた。
 外国で反体制派の人達が目隠しされてレールの上に寝転がされて列車に轢かれる時、一人が目隠しを外して
『死ぬのだったらプライドを持って死にたい』と叫び、列車の前に仁王立ちして・・・。
 幼い子が階段を登って行き、花に囲まれてベットで横たわる亡くなったお祖父さんを見た。
 その後、見なくなった。

 アシスタントさん達が襖一枚隔てた部屋で泊まりこんだ日の夢。
 友人に会いに行く為、
『向こうに 白っぽい森の見える真夜中の だれもいない 田舎の線路を浮游しながら ずーっとたどって』行き、友人の家に着いて、入って、扉が三枚有って、机と椅子と電話と、階段が有り、眠っている友人を起こさずに帰る。
 翌日、アシスタントさんの一人の夢と、「友人に会いに行く」「小道具内容がほぼ同じだった」



 精神分析屋さんとか、精神科医や・・・フロイトさんの『夢判断 上・下』(新潮文庫)をざっと眺めた事もあるけれど・・・樹村みのりさんの熱烈なる愛好家・熱狂的支持者なら「う〜ん、面白いやんけ!」となりそうな”夢”内容なのでしょうが、他人様の”夢”話を聞いて面白いと思った事がないので、こんなのが本になる?っと言う気分です。


 ただ、反体制派の人達が目隠しされての夢は、この本を読んだ時は次に発売される予定の本を知らなかったので、単に樹村みのりさんの体質が見させた夢だろうとしか思っていなかったのですが、数ヵ月後に出た『あざみの花』を見て何とはなく納得しました。

 加えるとすれば、列車の運転士さんがガチガチの体制派で「殺してやる」と思っている者なら別にかまわないけれど、ただ通常の運転をしていて目の前に”人”が立ち、寝転がっているのを見た瞬間、刎ねた瞬間を思うと樹村みのりさんには、他の処刑される場面の夢を見ていて欲しかったと強く思う。
 鉄道の運転士さんの話を何かで読んだのですが「飛び込み自殺には二度と遭いたくない」そうで、車と異なり避けれない。重いので急ブレーキをかけるものの止まらない。ただ目前に迫る人を見ているだけだそうで・・・。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ばれそうだ

夏の一日』   
(1981年 月刊 デュオ 創刊号 掲載)


 
小学校三年三組の先生、原加瑞子二十五歳。
 失恋して二年も経つと言うのに、まだ夢に
『これから先 年とって死ぬまで彼女と会うことも話しこともないなんて なんてさみしいことだろう』と言う彼が出て来る程、未練たっぷり。

 夏休み、下宿先に母親から電話が入る。
家を新築にするので置いてある荷物を整理しろ、との事。

 実家の店は、同居する兄の良夫夫婦が継いでいる。

 昨年に新築しょうと思っていたが、あまりにも家の者が怪我をするだの庭の柿の木に実がならないだの・・・良くないので今年にした。
 そう話す母親に、父親は「そんな迷信じみたのは信じない」話をし、加瑞子に同意を求めて、加瑞子は微笑む。

 蚊帳の中、母親と枕を並べて横になる加瑞子。
 母親が話す事は、築二十六年の思い出多い重みから「湿っぽくなりそうね」と加瑞子。
『もう決めたこと 決めたこと』と言いながら、目を閉じて眠る母親。
 天井の灯りを見ていると、加瑞子は二年前の彼との夜を思い出す。

 ほとんどの荷物を廃棄処分したものの、柳行李に子供の頃からの思い出が沁みこんでいるガラクタが入っていた。
 一つ一つのガラクタを前に考え込む加瑞子。
はたと思った時、窓にぶら下げられた風鈴が鳴り・・・・
 座り込んだまま風鈴を見ている加瑞子に、母親が「どうしたの?」

『なんだか つくづく感じちゃうわ わたしって こういう人間だったのね この性格では もしも失恋なんてしたら きっと応えちゃうわね』
 翌朝、「残すの?」と聞く母親に「捨てないで、新しい家に残しておいて」と頼んだ。

 家を出る時「お父さんには内緒で」母親から、駅に着き「かあさんや良夫には内緒で」父親から小遣いを加瑞子はもらい、プラット・ホームでいつまでも見送る父親をあとに帰京する。

『もう一度 誰かを 好きだと思える時があるかも・・・ね』




 父親の出番が多くて、しかも現実的な”父親”でして・・・。
三十歳を越えた樹村みのりさんは、落ち着いた?

 親の家に帰ってから、ことに母親と加瑞子の情景は、どことなく小津安二郎さんの映画を思い出させるもので・・・・三十歳を少し越えた樹村みのりさんは、落ち着いた?

 別に毒にも薬にもならない作品だけれど
・・・(小津安二郎さんの映画も)・・・何故か読了後、満腹感ではなくて、ほど良いお腹具合でほっとする。


ホンダ1300・クーペ9(後ろ)
20回目も、 
『樹村みのり』さん
・・・\ 
です。


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