ほんなら・・・ ほんでも・・・ 13回目 『樹村みのり』さん。・・・U ・・・・・2004年 8月 29日・・・・・ |
前回の『ポケットの中の季節 2』は、もちろん『ポケッ季節の中の季節 1』も出版されているのですが、1981年5月に注文を切った時点で”1”は品切れでした。 ”2”は1977年8月初版を1981年5月に手に入れているのですから、重版しなかったようです。 ましてや、上下巻・全五巻とかの本は最初の巻の方が多く売れてしまい、二巻目以降、売れ行きは落ちていくのが普通だから、刷り部数を落とすのが出版業界の常。 樹村みのりさんの場合もその例にもれずってわけでしょうね。 |
『病気の日』 ロマンコミック自選集 樹村みのり 著 主婦の友社 1978年11月1日 初版発行 |
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間違っていないと思うのですが、この本は『ポケットの中の季節 1』に載せられていた『病気の日』『海へ・・・』『カルナバル』『冬の花火』『贈り物』『菜の花』とが入れられています。 『ポケットの中の季節 1』に入れられているので抜けているのは『跳べないとび箱』で、これは当時、友人がたまたま持っていた『ポケットの中の季節 1』からコピーさせてもらった(違法行為?)ので、『ポケットの中の季節 1』は眼を通した事になります。 自選集にしては良心的で、1978年までに出版された本に載せられている作品の中では、前ページに載せた『ポケットの中の季節 2』の『おとうと』のみが重複しています。 そして新たな三作品を加えて作られています。 樹村みのりさんと編集者との話し合いで、載せる作品を決めたのでょうが、樹村みのりさんは私のような遅れて読み出した読者を見て決めたのではと、勝手に喜んでいます。 『おとうと』を重複して載せているのは、それまで頭でのみ考えていた、心地よさを感じる人と人との関係から、冷静に引き離して他者関係を見る事が出来るようになり視野が広まった樹村みのりさん自身の変化のように私には視えます。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『病気の日』(1970年8月・りぼんコミツク掲載) 陽子ちゃんにとって、軽ぁ〜るい病気の日はとてもとてもステキな日。 だって、学校は休めるし、遅くまで寝てられるし、お母さんはわがままを聞いてくれるし、二日目はお医者さんに行かなくても良いし、クラスの意地悪な子からはお見舞いが届いてビックリしちゃうし、色々な音が遠ざかっていくし、陽の光を体中で感じれるし・・・それにそれに・・・お母さんとお父さんがとっても仲良しに見える・・・ 20ページ前後の短編では、この作品が一番と思います。 初めて眼にした当時、このような気分でいられた”病気の日”を餓鬼の頃に持てなかったけれど、親だって仲が良いのか悪いのかそれが見えるほど日々会えなかったけれど・・・・「出来すぎ!!」と思いました。。 数年前、腰痛で一ヵ月ほど寝ていた時、この作品を寝床で思い出しました。 ・・・それにそれに・・・嫁はんがとっても優しく美しく見える・・・ でありました。 (”嫁はんが”の前に「常にも増して」を入れるのを忘れたかもね) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『海へ・・・』(1970年9月・りぼんコミック掲載) 海辺の村で生まれた兄と妹。 幼い頃、お父さんお母さんや村人達が殺された。 海は赤い血で染まるほど赤かった。 それから二人だけの長い旅が始まった。 悲しくて辛い日々、妹は泣き続けた。 ある日、妹が兵隊達にかまわれた時、兄は妹を守る為、兵隊に噛み付いた。 おもいきりブン殴られた後、兵隊達に妹はナイフで瞳をえぐり取られた。その時から妹は泣く事を忘れた。 海の事をそんなに覚えていないと妹が言うので、再び海にやって来た。 海は夕日に染まり、あの時のように赤かった。 暗く静かな海の中に二人は手を取りながら、どこまでも潜っていく。 村人達は虐殺されたと受け取ってよいのだろうか? 両親も虐殺されたと受け取ってよいのだろうか? 兵隊達に瞳をえぐられたのは、放浪中なのか、村でなのか? そんな事よりも、閉塞された状況の中で、兄は妹を連れて入水自殺を選んだと受け取ってよいのだろうか? わからん!! 笑みを忘れた妹の為、それ以前を思い出すように”海”へ連れて来た。 そこには、他は何もない二人だけの世界があると言う事なのだろうか? わからん! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『カルナバル』(1970年10月・りぼんコミック掲載) 南米ブラジルのリオ郊外の丘の上にある村の少年が、生まれて初めてリオのカーニバルに参加する為、おじいさんに連れられて行った。 村をあげて時間とお金を費やすのがカーニバルだ。 リオの街を一人で散策している時、女の子とお友達になった。 街を二人で歩き、楽しい一刻を過ごした後、彼女の豪邸に招待された。 「カーニバルの主役は丘の上の貧しい住民で、一年分の喜びをカーニバルの三日間に楽しむ」と彼女が言う。 そして「ふだんは貧民達が麻薬や密輸取引が行われている怖い所」だとも。 彼女の母親に「おじいさんの仕事は」と聞かれ、少年は嘘をつく。 明後日の上流階級が招待されるパーティーに誘われたが、翌日、少年は「おじいさんが病気になったので行けない」と、再び嘘をつく。 虚しい苦さが少年の心に宿る。 カーニバル当日、欠員が出たので代役で仮装コンクールに出た。 踊りながら少年は明日、彼女に会って謝ろうと決めたのだが、審査員達が並んでいる所に居た彼女と眼が合ってしまう。 Adeus.・・・さようなら・・・。 吉田拓郎さんの唄にこんな一節があったように思う。 ♪ 思ってる事とやってる事の違うことへの苛立ちだったのか ・・・・(略す)・・・・ 間に合うかもしれない 今なら 今の自分を捨てるのは 今なんだ ♪ 少年にとって、間に合わなかった代償は大きかった。 謝肉祭は冬の悪魔を追い払う祭りらしいけれど、日本の祭りと同じように、”ハレ”と”ケ”で説明が出来そうな気がする。 ブラジルは、北海道(蝦夷)のアイヌと同じくインディオの土地であり、16世紀にポルトガルが植民地化した後、アフリカから黒人奴隷を連れて来て住まわせた。 ポルトガルの宗教はキリスト教で、インディオ、黒人奴隷はキリスト教ではなかったがその内に改宗されキリスト教徒になった。 元々流れているものとの違い、生活における抑圧をも含め、抑圧は何処かで解消されなければならない。 ここで”ハレ”の日がキリスト教の行事に身をまとい登場する。 サンバのリズムは賑やかだが、その裏には賑やかでなければやってられないものが視える。 カーニバルと階層と少年の心境をうまくからめた佳作。 ところで、上流階級のお嬢ちゃのその後を、樹村みのりさんがどう描くのか興味があります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『冬の花火』(1971年2月・りぼんコミック掲載) 木枯らしが吹き抜ける冷たい冬の日、不治の病で長いこと入院している少女は「ぱんとあがっる大きな花火」を見たいと少年に言う。 花火が上がっていた頃は少女も元気だった。だから見つかればまた元気になるかも知れない。 少年は花火を見つけようとするが、みんなに聞いても、遠い夏に有ったと言う。 みんなで捜したけれど、冬に花火を見つける事が出来なかった。 病室にみんなで行くと、少女は窓の外に写る雪を見ながら「花火を見つけてくれて ありがとう」そして『夏にあがって そのまま消えて 寒さにふるえて おちてきた花火』と言った。 冷たい冬の花火の中、少女は少年に背負われながら眠るようにして亡くなった。 少年以外は、少女が花火を見たので安心して眠ったと思っている。 少年の、夏に少女と見た花火の記憶と、今は冬だと言う事がつながらない純朴さを描いている。 そう言う純粋さを持つ子もいただろうけれど、昭和三十年代、浪花の下町の餓鬼共の中には 「あんなぁ〜、冬に花火 そら無理やわ。無理言うたらアカンわ。 せやさかい花火見たかったら、夏まで待てや。ほたら見れるさかい。 それまで、元気になっとかなアカンで。良ぇか!」 ぐらい言う少年がいたと思う。 その上で、冬の花火を見て少女が「ありがとう」と言った後、亡くなった時は号泣しただろう。 おのれの無力さと、死の無情な傲慢さに・・・。 と茶化すと作品が台無しか・・・・すんまへん。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ヒューバットおじさんのやさしい愛情』 (1974年・少女コミック増刊FC冬の号掲載) 1981年、パリ留学生人肉食事件の犯人である佐川一政さんはただただ「人を喰いたい」願望だけのもので、だから喰われちゃった阿蘭陀人の女子大生に愛情を持っていたわけではないけれど、ヒューバットおじさんは”愛”がなければ喰わない。 「思いつめて、やっと結婚でき、この腕に抱いた時、”愛”には、最早この娘が必要ない、だから喰った」 愛する事は、成就までの過程であり、愛情の対象者がおじさんの中に入り込んだ時には完成したので喰っちゃう、と言うヒューバットおじさんの物語。 喰べちゃいたいほどアイしてるんじゃなくて、アイしてくれたもんだでもう喰っちゃうか・・・・はぁ〜、わたしゃ喰われたかない!! 前回、”ラブクラフト”なる米国のホラー作家名が作品に出ていた、と書きました。 ホラー作品を読まないし、視ない私なので判りませんが、何がしかの影響が樹村みのりさんにあるのかも知れませんね。 2006年3月30日に追記しました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『贈り物』(1974年10月・別冊少女コミック掲載) 夏休みの事だった。私と兄、他に三人の仲間は野山で遊んでいたら、知らないおじさんが私達を呼んだ。 行くとおじさんは、私達にはよく判らない事をとうとうと述べる。 でも、どこか惹かれるものがあった。 家の人が捜しに来た時、おじさんが言った『目にみえるものだけがすべてではないのにね』と。 町では浮浪者、危険な人と言われていた。 翌日もみんなで行った。 『真理を生きよ』と、そうすれば『世界は天国みたいに美しくなる』と、おじさんは話す。 私達はおじさんを大きく見るようになってしまった。 「奇跡を起こせる人かも知れない」 ある日、お巡りさんがおじさんと私達がいる所に来た。 おじさんはお巡りさんに奇跡を起こせなかった。 お巡りさんの肩ほどの小さな痩せた人だと気づいた。 そう感じた事に恥じた。 「今夜この町を出て行くが、一緒に行かないか」そう言った夜、おじさんはさよならを言いに五人の家に行き、贈り物を埋めておいたと言いながら去って行った。 贈り物は、ガラスの破片で作られた天国への切符だった。 手に取った瞬間、夢を抱かなくても良い処から、抱かなければ生きられない処への切符が切られた。 青年になった兄は学生最後の年に旅に出たまま帰らず、ある者は留学し、ある者は山で遭難した。 残った私と彼とは”青春”についてくり返し語りあう。 おじさんの残した贈り物”天国への切符”が、パンドラの箱の如く作用する為にも、おじさんはある意味で”キリスト”さんみたいなイメージを持たさざるを得ない。 単に悩める青春期を引きずったままの汚らしいおっさんなら、おっさんの理解者は”大人”にはいないが、お子様は”大人”にない純粋さをおっさんに見る。 話の筋から外れますが、おじさんが孤独好きな夢想者なら、お子様達と接する事は避けるべきでしょうし、孤独が嫌いな夢想者なら、お子様相手にお話するよりも「目にみえるものだけがすべてではないのにね」と批判する相手=大人達にコトバを発しなければ孤独は解消しない。 おじさんが”真理”の伝道者なら、おじさんの嫌いな大人側の”真理”に至る天国への切符の置き場をお子様に教えて去るのは・・・変だ!! おじさんは天国への切符だと信じて置いたのなら、おじさんは純粋だと信じているお子様の理解が今一つ足りない。 だって「贈り物を埋めておいた」と言われて、取りに行かないお子様がいるか? 実は大人になりたくて仕方がないんだけれど、なりきれないでいるおじさんなのか? おじさんは同類を求めて、その予備軍を作ろうとしていたのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『見えない秋』(1974年11月・別冊少女コミック掲載) 夏休みが明けて、佐藤君の机の上に花が飾られていた。 突然、佐藤君はいなくなった。魔法のように姿を消した。 佐藤君が生きていた頃の色々な出来事も思いも、死とともにこの世から消え去るのか? お母さんに聞くと「天国で とても楽しく暮らしているわ」と言うけれど、私の問いに答えていない。本当のところは知らない 私が死んでも消え去るのだろうか? 佐藤君の部屋はそのままにしてあり、お母さんの中にいっぱい残る思い出は深く重い。 風が冷たく感じる季節になってきた。 佐藤君の机の上の花は取り去られ、女の子の転校生が使う。 佐藤君の死を受け入れる事が出来、私が嫌っていると思われていた転校生から声をかけられ、佐藤君が生きていた頃の私に戻る。 どの作品でも作家自身のモノのとらえ方が表現されているわけですが、ここでは”死”を多感な女の子の眼を通して樹村みのりさんの死生観が語られているようです。 ”死”と言っても、三島由紀夫さんのように自己の”死”に意味を持たせた場合もありますが、樹村みのりさんはそのような”死”ではなく、偶然な死について、残された人の記憶には軽重があるにしても”死”そのものは、人は一度、必ず死ぬものだから怖がったり怯えたりする必要などなく、『死ぬことは死にまかせれば良い』のだと。 三島由紀夫さんの”死”も、三島由紀夫さんからすれば必然だったかも知れないけれど、”死”そのものはよんどころのないモノ、もしくは、残された者からすればたまたまなのだと言いたいのでしょうか? 作品の中で描かれた絵で、大通りから外れた、生活臭のあまり感じない下町路地裏の家々の午後、陽が差し込む中『ただあの むこうのほうの 家と家のあいだの 細い影のなかに かけている ほんの少しの秘密があるような・・・』の文章が何を伝えたいのか私には判りかねます。 夏には見えていた佐藤君が秋には見えなくなったのは、「家と家のあいだの 細い影のなかに かけている ほんの少しの秘密がある」=死。 とでも伝えたいのでしょうか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『菜の花』(1975年1月・別冊少女コミック掲載) 前ページの『菜の花畑のこちら側』と人物設定等がほぼ同じです。 『菜の花』が好評だったので、『畑のこちら側』を付け加えて連載した のでしょうね。 作品中の”菜の花”を抜いてみますと @ 出だしの一コマ。 『菜の花は たった一本を じっと見つめて 草色から黄への色ぐあい の微妙さに驚かされ これでは人間はとてもかなわないと思ってしま います』 A 高校時代、あこがれていた歴史の教師。 『そう・・・好きな花ねぇ・・・しいてあげれば菜の花かな』 私 『菜の花って あの・・・よく畑なんかにある あれですか?』 高校時代、あこがれていた歴史の教師 『そ あの花が一番好きだな』 B 小学生の私。 『すごーい どうしたの この菜の花』 下宿人で大学を卒業したばかりの娘さん。 『一丁目の畑のところ通ったらね 刈りとられて いてー いてーって うめいていたから 両手に持てるだけ持ってきちゃった』 小学生の私。 『いてー いてーって お花が?』 下宿人で大学を卒業したばかりの娘さん。 『咲いたばかりなのに 無念だ無念だって』 C 部屋の中に持ってきた菜の花をいっぱいの花瓶等にいれて並べたと ころで二人が寝転んでいる。 下宿人で大学を卒業したばかりの娘さん。 『・・・ね こうしていると なんだか遠くの広ーい野原で寝てい るような気がするでしょ』 彼女は、大学を卒業したら郷里の青森に帰る約束だった。 小学生の私。 『菜の花は部屋の中では そぐわない花 たくさん たくさん飾っ ても心ばかりが痛みます』 D 小学校入学試験での面接試験場。 『・・・菜の花は 春の花』 次のコマで 『初めて入学した学校は畑に囲まれてありました』 E いけない事をして、担任の先生に「立ってごらん」と言われ、立ち上 がった私たち以外にもいけない事をした者がいるので、そう言ったら 担任は授業が終るまで立たせた。その後、担任の先生は最初からみん な知っていたと分かった。 学校の門を出ると『あたり一面の菜の花でした』 F おしまいの1ページ。 『ふちまでいっぱい 想いをたたえた うつわを あなたのところ まで そのまま運ぶには さぁどうしたら いいのでしょうか? もえぎ色した 春のうつわは それほど 大きくはなく 胸に抱 きしめて わたしは ゆっくり歩いてゆくことにします 風に吹 かれた 菜の花の花びらが もしかすると ほんの2・3枚 そ しらぬ顔をして なかにはいりこむかもしれません』 ”菜の花”は樹村みのりさんからすると、希望・夢を具現化した人間の象徴で、群生された菜の花畑は理想郷なのでしょうね。 理想郷のこちら側、つまり『菜の花の花びらが』『ほんの2・3枚 そしらぬ顔をして なかにはいりこ』んだ現世での、面白くも悲しい人々の暮らしを、ドタバタ喜劇・人間万歳として描いたのが『菜の花畑のこちら側』だと思います。 でも、こちら側の世界(世間とか、社会とかを含む、縛りのきつ〜い世の中)を樹村みのりさんのような人が描いていくのは荷が重そうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『早春』(1976年・りぼんDX春の号掲載) 高校を卒業してウン年目、突然、浮宅に游から電話が入った。 中学二年生の時、浮は游を仲良しだと思っていた短い期間があった 当初、游は浮の一歩先を歩んでいた。 生真面目な浮には、怜悧な游を理解しがたい人だったが、おいおい分かるようになってきた。 人影のない放課後、浮が游に、何故、忌み嫌っているグループにいるのかと問い『ある意味では、グループ友だちって大切よ 一人になるってみじめでしょ?』と游が答えた時、浮は親友になれる人を見つけたと思った。 春まだ遠からじとまではいかなくても、春の入り口にさしかかった浮と、早くも春に突入したように見える游では、モノの視方、考え方の合わない事が多々あった。しかも内向的な性格の浮は游への反論を言えるだけのモノを持てずにいた。 游は浮の一歩先をいつも自信ありげに歩み、浮を翻弄させた。 浮は游と接する事でいっそうの孤独感を感じた。 浮は游に絶交を伝えた。 三年になりクラスも替わり、ほとんど会う事もなく過ごし、同じ学園の高校に進学した後、浮は時々『たくさんの友人たちに囲まれながら 一人でいることに矛盾しない態度を早くから身につけた』游を見かけた。 結婚し一児の母となっている游は、電話で言う。 旦那の阿呆坊と『いろいろ話をすると どうもあなたのことばかり話すらしいの わたし もったいないこと したなって 思っているわ 今は』そして『一度会ってよね』と。 浮は思う。『現在(いま)のわたし』は『いちばん確かな他人』の貴女に一度会うだけで『終らせるつもりは無い』と。 青春期によく起る(青春期に限らんか)あやまちにおちいりやすい対応の一つに”思い込み”と”思い入れ”があるが、浮さんはそこに自分が陥った。 游さんは自己保全の為、それまでに身につけていた処世術による過剰な自信がその後の行動を決定する。 でも、当時はお互い求めるものが異なる。 単純な図式で見れば、当初、浮さんは広い意味での自虐的(サド)で、游さんは被虐的(マゾ)なのだろうけれど、関係を絶った時から徐々に逆転する。 浮さんは、自分にあった友人達を見つけていくのだが、游さんは群れの中で浮き上がるのが怖いが故に、小馬鹿にしている相手には相手のレベルに合わせ、そつなく”つきあい”を行っていく。 それは自分が願っている関係にはほど遠いものだっただろう。 過去の交友関係振り返った時、不充足感に気付いた游さんが電話を浮さんに入れた事でお互いが望む関係が出来るかどうかは少々疑問で、一皮むけた游さんに浮さんがどの様に接するかで決まるのだろう。 多分、無理ですな。 |
短く作るつもりが、のんべんだらりと長くなった。 また、嫁はんに「誰が 読むか!!」って言われそうだ。 |
14回目は、 『樹村みのり』さん・・・V です。 |
この車に乗って往き、 ”本”の事でも、 ”わんこ”の事でも、 何でも書いて(掲示板)おくんなはれ。 |
「お手紙は、この”HONDA1300クーペ9”で運びます」 |
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下記に転記したのは、2チャンネル『樹村みのり』からで、472は私です。
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